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人を見下すために?
過去ログを見ていて、興味深い言葉を見つけました。『能あるタカは爪を隠す』ということわざに関するもので、これにはある本によると『・・爪は隠すが、その爪はひたすら研いでおけ』 という続きがあるようだという話です。その話をされた方は『いざとなったらバカ共を爪で引き裂いて八つ裂きに出来るように爪を研いでおけばいい』というようなことも言ってみえました。 (この方の意見に意義があるわけではないのでご了承ください) 他のサイトでも、仕事上の人間関係云々、自分をうまく出すことのできない環境でストレスを抱えている人へのアドバイスとして、『家に帰ってから、密かに自分磨きに専念する。いつか見返してやろうとほくそ笑みながら』というのがありました。 これに関して私は『現状に腐るより努力を続けろ』という前向きなアドバイスだと思いました。『いつか見てろ』という気持ちは自分にとっての原動力になりうるとも思います。 でも・・『いつかバカどもを八つ裂きにできるように・・』とか『いつか見ていろ』というのは、『人を見下すために』ということになりはしないのだろうか?という疑問もあります。 精進とは邪念を持たずひたすら技を磨くことに専念するのが本当だとは思う。 でも、他の人よりも上手くなりたい・・純粋にこんな気持ちで頑張ることも人を見下すことになるのだろうか? 優越感・・多少の差はあるものの、誰でもあるものじゃないだろうか? これに対する考えを教えてください。
お礼
回答をありがとうございます。 とても詳しいお話でわかりやすいです。 もちろん、人を見下すつもりで技術を磨いてはいないのですが、そういう姿を見てそう受け取る人がいたとしたら、それはもう私にはどうすることもできないなぁと思いました。 >単に他人を見下しているだけでは、進歩はありません。 そうなんですよね。 >どんな分野でもできる人程腰が低く「爪を隠す物」です。 そう肝に銘じてがんばります。
補足
ありがとうございます。 今から少し外出するので、その前に一言補足させていただこうと思いました。 私は先日、英語に関する質問をしたところ、自分が知的なことをしていると周りを見下していないかと執拗なまでに言われました。自分を高めようと努力すること、英語が好きでもっとわかりたいと頑張ることが、周りを見下すのとどうかかわりがあるのか疑問に感じたのです。 また帰宅後お礼をさせていただきます。 ありがとうございます。