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日本は中国から数々の文物を取り入れて来ましたが、「

日本は中国から数々の文物を取り入れて来ましたが、「道教」というものはいまひとつ日本の社会に根付いていません。仏教や儒教(朱子学・陽明学)に比べると明らかです。どちらかというと密かに愛好されている様な印象で、キリスト教よりもマイナーな存在かも知れません。何かの本で、古代から日本の為政者が、国民が道教を信仰することを禁止していたという話も聞いたことがありますが、道教の日本での不振は本当はどういう理由によるものなのでしょうか?

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回答No.4

以前読んだ本の、私の読書メモです。 少しでもご参考になればと思います。 東野治之氏は著書『遣唐使船』(朝日選書)で、 「道教の開祖に仕立てられている老子は唐の帝室の祖ということになっており、日本へ道 教を組織的に持ち込むと唐の帝室の祖先を拝むことになり、嫌ったのだろう。」 とされています。 老子(前579頃-前499頃) http://www.koubourico.natsu.gs/_tv2SSAW.html 字は李耳。孔子の同時代の人とも、戦国時代の人とも言われる。実在を疑う説もある。儒家の思想を批判し、無為自然を説き、儒教と並んで中国の二大思潮となる老荘思想の祖となり、後世道教の祖とされた。また,唐王朝は本来鮮卑系貴族の出自であるが,自らを老子の末裔と称し,漢民族の名門出身に出自を改竄した。そのため,唐では老子を祖と称した道教を帝室が保護することになった。 松本 健一著『砂の文明 石の文明 泥の文明』(岩波現代文庫)には、道教の名残として、 「天皇は正月初め四方拝、満州国奉天で皇帝溥儀四方拝、相撲は天をかたどった正方形の土盛りの上の土俵で、火水木金土曜日五行説からは日本だけ。」 かなり端折ってメモしていますので、今、読み返しても後半部は、私自身よく理解できません。 そこで、相撲に関しては、ネット検索で調べてみました。 http://entee.archivelago.com/?m=200510 「それは仏教や神道の伝統というよりは、その儀式の構成要素はむしろ中国から渡って来た道教にこそその起源が求められる。当然のことながら、日本の神道儀礼と混淆していることは否定すべくもないが、相撲には「木火土金水」の明瞭な五元素、および「東西」によって象徴される「陰陽」の要素が明瞭に見られ、茶の湯と同じく、「陰陽五行」の世界観が濃厚に反映されている。」

yu_OKWave
質問者

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御回答ありがとうございます! 『道教の開祖に仕立てられている老子は唐の帝室の祖ということになっており、日本へ道教を組織的に持ち込むと唐の帝室の祖先を拝むことになり、嫌ったのだろう。』 → これは知りませんでした。大変説得力があります。聖徳太子や中大兄皇子や菅原道真の動きから考えると、日本は確かに先進国である中国からは出来るだけ文明を取り入れて行きたいけれども、配下になったり、巻き込まれたりすることを非常に警戒していたことが分かります。 ありがとうございます。

その他の回答 (4)

  • hekiyu2
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回答No.5

日本独自の宗教に神道があります。 神道は本来は自然発生的に誕生したもので 後生、列強と対峙するために人工的に創り出された 神社神道とは違うものです。 この本来の神道には体系も教義もなく、信者であるとの 自覚も不要の宗教で、宗教というよりも、民族の 宗教的感情と言えるものです。 神道は体系も教義も無いので、他民族に布教する ことが困難です。 民族感情が基ですから、そんなもの、そもそも他民族 に布教するのは難しいわけです。 道教は中国独自の宗教です。 神道よりも教義や経典は整っていますが、それでも 中国人の民族感情を反映しており、やはり 普及が難しい宗教です。 日本で流行らなかったのは、そうした事情があったのだ と思われます。

yu_OKWave
質問者

お礼

御回答ありがとうございます! >>神道よりも教義や経典は整っていますが、それでも 中国人の民族感情を反映しており、やはり普及が難しい宗教です。 道教は、神道よりは整っていると思いますが、仏教やキリスト教の様に教義を徹底的に体系化して、普及に情熱を注ぐ様な宗教ではなかった様に私も思います。納得です。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.3

中国の儒教は、世界帝国である中国の世界宗教ですが、道教は民族宗教で、日本には民族宗教としての日本神道があり、日本各地に神社があって、日本人は新年に神社にお参りしたり、また何か願い事があると、神社にお参りします。 昔、香港に行ったとき、黄太仙廟に行ったことがあり、日本の神社と同じで、みんな線香をあげてあげて熱心に願い事を祈っておりました。 横浜にも三国志の英雄、関羽を祭った「関帝廟」があります。 私はそこにもよくお参りに行きます。 中国では道教、日本では日本神道、それが仲よく共存しているという感じです。 決して、あなたの言うように日本で不振だとは思いません。

yu_OKWave
質問者

お礼

御回答ありがとうございます! いくつか理解できないことがございましたので書かせていただきます。 >>中国の儒教は、世界帝国である中国の世界宗教ですが、道教は民族宗教で、日本には民族宗教としての日本神道があり、日本各地に神社があって、日本人は新年に神社にお参りしたり、また何か願い事があると、神社にお参りします。昔、香港に行ったとき、黄太仙廟に行ったことがあり、日本の神社と同じで、みんな線香をあげてあげて熱心に願い事を祈っておりました。 → 日本神道は民族宗教ではありません。少なくとも卑弥呼の時代から米軍施政下になるまでは、国を挙げて神道を奉じており、現在でも天皇家は戦前から続く数々の神事を執り行われています。 >>横浜にも三国志の英雄、関羽を祭った「関帝廟」があります。私はそこにもよくお参りに行きます。 → 関帝廟は、道教というよりも、関羽という特定の個人の遺徳を偲んで成立したものと思われます。祀る様式や形式に道教的なものがあったとしても、道教によって成立したものとは言えないと考えます。私は関帝廟は平将門を祀る神田明神の様なものと考えています。 >>中国では道教、日本では日本神道、それが仲よく共存しているという感じです。 → どの辺りが仲良く共存していると考えられますでしょうか? >>決して、あなたの言うように日本で不振だとは思いません。 → 申し訳ございません。不振という言葉に他意はありませんでした。私は決して特定の思想や宗教を神聖視したり肩入れしようとする者ではありません。政治・経済・思想・文化・科学技術などが発達して行く段階で、何がどのように作用しているかを知りたいのです。 仏教については厩戸王~聖武帝~天台・真言~国を挙げて取り組んでいます。鎌倉以降に庶民にまで浸透して行きました。儒教については、江戸時代に封建制度を維持管理する為に、徳川(特に水戸)が朱子学に熱心に取り組んでいます。幕末では数々の陽明学者が出て国を動かしました。 ところが、道教については、前述の様な動きが殆どありません。確かに老子や荘子や列子などは読まれましたが、特に大きな教育の動き(お寺や経典)が見当たりません。陰陽五行思想や修験道などは一部にとどまっていると言わざるを得ません。民間としても、行基や鎌倉仏教や一向宗や島原キリシタンの様な一大ムーブメントが見当たりません。 以上の様なことを疑問に思い、質問させて頂いた次第です。

回答No.2

道教の信者が、広めるのに失敗したからでは? 世界救世教や真光の様な新興宗教的レベルでしか見ていないからでしょうね。 道教 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99 でも、下記のマークは結構有名ですけどね。

yu_OKWave
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3297)
回答No.1

日本の学界では、質問者さんの書いていらっる通り古代から日本の為政者が、国民が道教を信仰することを禁止していたというのと宗教としての道教を体系づける教典や道士、道観などは日本に伝わらなかったとする見方の二つだそうです。 ただ、日本書記の推古天皇(6世紀前半)に関する記述には、以下のような記述がある。百済の僧侶がかつて天文、地理、遁甲方術に関する書物を日本に伝えた。渡来僧は、道教の素養もあった。ここから、日本の仏教は当初、事実上、仏教と道教が混在した状態にあったことが見て取れ、この見解は学界でも広く受け入れられている。 庚申信仰や風水、陰陽師や修験道など道教の影響というか取り入れている部分はありますよ。

yu_OKWave
質問者

お礼

早速の御回答ありがとうございます! 禁止されていたことと、体系が伝わらなかった可能性があるとのことですが、禁止理由にはどういったことが考えられているのでしょうか?やはり為政者による「陰陽技術」の独占でしょうか?よろしくお願い致します。

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