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中国に宗教は根付いているのか?

「キリスト教徒7千万人突破、共産党員に匹敵する勢い―中国」そんなニュースが今日飛び込んできました。クリスチャンの私にとっては喜ばしいことですが、支那大陸に宗教が根付いたことはあったのでしょうか? 古代から、儒教(儒学)、イスラーム、仏教、キリスト教などさまざまな宗教が大陸に進出および発生しましたが、どうも根づいているようには見えません。 文化大革命などの影響なのでしょうか、それとも共産党体制が影響しているのでしょうか?それとも生まれながらに無宗教民族なのでしょうか?

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回答No.2

宗教という物を、「生活規範」とか「神の下の平等」と考えると、根付いていないと思います。 宗教という物を、「人間の力で計り知れない、超自然な物」「それを敬い、その力の恩恵を受けようとする心」と考えれば、かなり強く中国に根付いています。 御守札とか縁起物とか占いとか。もちろん風水のような似非科学もそうですね。 私の部屋には香港製の今年の中国のカレンダーが掛かっているのですが、日本古来の暦のように吉凶の項目が書いてあります。 例えば、今日(7月8日)は、 祭祀,外出,嫁娶り,開業に「宜しい」。友人に会う,魚を取るは「忌むべし」。 「吉の神の方向」は、「喜の神」は東北,「貴の神」は西南,「財の神」は真北。 明日(7月9日)は、ただ賭け事のみ「宜しからず」、と書いて有ります。 「喜の神」は西北,「貴の神」は西南,「財の神」は真東だと。 そういう意味では、中国に宗教は根付いているんですよ。 クリスチャンは「迷信だ」と嫌うでしょうけれど。 文革当時は禁止されていたけれど、今ではすっかり復活しているようです。 台湾だと、「南無阿弥陀仏」という御札がバスやタクシーに「交通安全」と同じニュアンスで貼ってあります。 山間部の狭い道で危ない所を通過したときにも、運転手が「助かったー」というニュアンスで「アミトフー」と言っています。 こういう習慣が、文革中も台湾に残り、だんだん大陸に戻っていっているのでしょうね。 もちろん、仏教寺院は中国でも文化として認められています。 東京で出会った中国人に、「浅草に行ったけれど、なぜ浅草寺には大きな仏像が無いのですか?」と質問されました。 浅草寺の本尊の観音像は「1寸8分」(約5cm)で有名だからと説明しましたが、 中国なら何処の寺でも「大きな仏像」や「仏を守る神将像」が有るのは当然なのです。

Paul_Gary
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 貴方のおかげで支那人の宗教観がまた1つ理解でき、かつ私はまた1つ英知を得ることができました。

その他の回答 (2)

  • hukuponlog
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回答No.3

#2の方が、大変詳しく書いてくださっていますが、どうも一神教の信者の方は誤解している部分があるように思います。 「神のもとの平等」という概念自体が、一神教的な発想で、日本古来の八百万の神様(土着神道)にだって、そんな概念はありません。「人知を超えるものに対して畏敬の念を抱く」とか「人知を超える力を敬い、己を律する、己の生活に活かす(悪く言えば利用する)」というのが、日本の土着神道のはずです。 だから、山だって石だって自然現象(雷など)だって「神様」になるわけだし、様々な神様を、その時々の都合に合わせて拝むわけでしょう。 また、「そんなことするとバチがあたる」とか「火を乱暴に扱うと火の神様が怒る」等々、己の生活を律する材料としてきたわけです。 こういうものは宗教ではない、というなら世界中の人間の1/3は無宗教です。 で、中国古来、民衆が支持してきたのは道教です。儒教はどちらかというと支配者側の「宗教」(と呼んで良いかは別として)です。道教は、多様な民衆信仰と交合(例えば、関帝廟など)し、儒教の概念・倫理とも交合し、現在でも中国民衆に深く信仰されていますし、生活の様々な側面を律しています。これは中華人民共和国でも同じ事です。 おそらく「あなたは道教信者ですか」と正面から尋ねられれば、YESでもありNOでもあるというのが、中国国民の本音ではないでしょうか。でも、生活に根ざした、という意味では間違いなく道教信者が人口比では一番多いと推測します。 日本だって、一応仏教国になっていますけど、仏壇と神棚の両方を備えている家庭は、全世帯の45%だそうですから、何の信者なのか正面から尋ねられたら困るでしょう? 私だって、無宗教といえば無宗教ですが、初詣はしますし、お守りも持ってます。墓は曹洞宗の寺にあり、檀家として喜捨もしてます。坊さんにお経を上げてもらってオヤジの位牌を拝んでいます。 こういう現象を、欧米的(一神教的)な発想で無理矢理解釈しようとするから、「宗教が根付いたことはあったのでしょうか?」という誤解が生まれるのではないでしょうか? 文革時には「迷信」として退けられましたが、二千年以上の歴史の中で民衆の生活に根付いていましたから、消えるものでも捨てられるものでもなく、現在ではほぼ復活しています。#2さんの書いていらっしゃる吉凶暦なども、道教信仰に基づくものです。 つまり文革・共産党・無宗教民族のいずれでもなく、西洋的な・一神教的な宗教観では理解できないだけで、中国(漢民族)に宗教は根付いているということだと考えます。それは漢民族だけの話ではなく日本人の過半数も同じだと思います。 カトリックやチベット仏教に関しては、むしろ宗教以外の理由、具体的にはバチカンやダライ・ラマの民衆への影響力、中国共産党一党支配への介入(それが事実かどうかは別です)を嫌っている、ということではないでしょうか。 >中国が大人の国になるうえで重要なステップではないでしょうか? 信仰の自由が全面的に認められなければ「大人の国」になれない、ということについては、お説の通りだと思います。質問の趣旨とは外れますので、同意を表明するに留めます。

Paul_Gary
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。そうなんですか。「神のもとの平等」という概念自体が、一神教的な発想だったのですか。改宗する前からそういうものだと思っていたので初耳です。教えていただきありがとうございます。 なるほど、東洋人が西洋のことを正しく理解できないと同じように西洋的な価値観で見れば東洋を正しく見ることはできないのですね。

  • oska
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回答No.1

>支那大陸に宗教が根付いたことはあったのでしょうか? 中国国内・チュベット発生の宗教が中国を支配した事があります。 >それとも共産党体制が影響しているのでしょうか? 中国憲法では、信教の自由を保障しています。 が、現実的には「どの宗教も、共産党の支配下」で存在する事になっています。 キリスト教の場合、バチカン法王庁が任命した司祭・評議委員が(中国国内で)活動する事はありません。 中国では、共産党が司祭・評議委員を任命・指導します。 ですから、バチカンでは中国のキリスト教を認めていなかったのです。 最近、バチカン法王が中国と国交樹立の交渉を始めたようですが・・・。 チベット仏教でも、チベット法王庁が任命したパンチェンラマを保護の名目で拉致し、共産党が別途パンチェンラマを擁立しました。 チベット法王庁が任命したパンチェンラマは、世界最年少の政治犯として(未だに)生死不明です。 >それとも生まれながらに無宗教民族なのでしょうか? 中国でも、地方に行くと宗教活動が盛んです。 無宗教ではないようでしたよ。 ただ、宗教は「神の前では平等」とか「仏は、身分の差無く救う」とか平等思想があります。 これは、共産独裁政権にとっては非常に拙いのです。 宗教といえども、「共産党の指導・支配下で活動を行なう」事を共産党に宣言しなければなりません。 宣言しない宗教は、反国家・政府活動団体として弾圧を受けます。 最近、南朝鮮・韓国で「キリスト教団体が、反政府デモ」に参加しました。 中国では、非常に驚きを持って分析を始めたようですね。

Paul_Gary
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ウイグル族は、イスラームを チベット族はチベット仏教を信仰していることは知っているのですが、やはり反政府運動になるかもしれないことを恐れているのですね。 しかし、宗教は民主主義の土台ともいえる「神のもとの平等」という概念があるので中国が大人の国になるうえで重要なステップではないでしょうか?

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