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日本の歴史上、福祉が発達しなかったのは何故ですか?
キリスト教では貧民救済活動を古くから行っています。 また砂漠の民ベドウィンは、客がきたら三日間何不自由ないようにもてなすという習慣があるそうです。 日本の歴史を振り返っても、このようなことはあまり行われてこなかったように思います。 神社やお寺が、炊き出しをしたり、病人を救ったという話もあまり聞きません。 全て自己責任に帰されてしまったようです。 日本の文化の中で福祉という概念があまり発達しなかったのは何故ですか? 仏教や儒教の中にはそのようなことは説かれていないのでしょうか? それとも為政者の方針でしょうか? よろしくお願いします。
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>神社やお寺が、炊き出しをしたり、病人を救ったと 社寺仏閣は行政の一端を煮ない支配者として日本に君臨していました。 「福祉」という概念を唱えたのはマルクスあたりです。支配者層全体(=みんな)で下層階級を助けないとペスト等各種感染症の原因となり支配者層が大きな被害をうける。だから.みんなで金を出し合い下層階級に対する福祉を充実するひつようがある という考え方です。 日本の場合には.山林が多く.また.海岸線が長く.氾濫しにくい河川もありました。結果として食料供給が比較的抱負であり.かつ.食料供給を確保するためには構成員の協力が不可欠でした。結果として貧富の差があまり発達せず.原始共産主義社会が普及していた(例.たしか.青森の漁村で全員で漁に行く。収穫は構成員人数で分割という制度をどなたかが回答していたはす)ために.高所特捜が低所得層に対して生活の面倒を見るという福祉が発達しなかったものと思います。共産主義ですから福祉という概念すらもないでしょう。 農業や漁業に対して不要論が大きく宣伝されています(どなたかが質問しています)。また.金の力の戦いを正当化する考え方も大きく宣伝されています(本来の資本主義がどうのこうのという質問があったはず)。したがって.日本本来の共産主義社会が否定されつつあります。だから福祉を唱える必要が出てきました。
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- yuhkoh
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どの程度の資料でそのような判断をなされたのか分かりませんが、大乗仏教では善行の種をまき、功徳の収穫を得るという「福田」という思想はありますし、中世だけでも… 鎌倉時代、当時の仏教の中心的人物であり、真言律の始祖である叡尊や、その弟子忍性の救癩活動(なお、いわゆる教科書でいうところの「鎌倉新仏教」は、当時の主流仏教ではありません)。東大寺別当の重源の南無阿弥陀仏作善。また中世説教節にも『小栗判官』にある餓鬼阿弥の救済など… 現在でも四国遍路に見られる接待の風習。これらは福田活動は貧者・病人など救済される者の真の姿は仏であり、礼拝する対象であるという思想であるため、現在ある欧米型のヒューマニズムに基づく福祉とは異なる形なので、現代人的発想から「福祉が発達しなかった」と誤解するかもしれないのは事実でしょう。 あと、歴史教科書で“奈良・平安仏教(華厳・法相・真言・天台など)は貴族仏教・鎌倉仏教(浄土・禅など)は民衆仏教”という、ステレオタイプ化された時代遅れな日本仏教史に対する教育の弊害がまだ根深いのも事実ですね。