弱者の甘えとは? 弱者の傲慢(ごうまん)について
早速ですが、
『ログ・ホライズン』というファンタジー小説の一節をご紹介します。
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〈冒険者〉は自由です。私たちよりも自由な人間なのです。……わたし達は確かに〈冒険者〉より弱いかも知れませんが、だからといってその弱さに居直って良い訳がない。我らは我ら自身の弱さに甘え、彼の方々を道具のように使う権利などありますまい。
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で、わたしが、賢明なる哲学カテの皆さんにお伺いしたいのは、
《弱者の(強者に対する)甘え》
です。
これは、哲学的に正当化されるものなのか?
強者は弱者を守る義務を有しているのか、いないのか?
また、
『ログ・ホライズン』の別の個所では、
こうした《弱者の強者に対する甘え》を、
《弱者の(強者に対する)傲慢(ごうまん)》
と表現しています。
《弱者の甘え》は、《弱者の傲慢》なのか、いなか?
教えてください。
よろしくお願いします(ペコリ)。
弱者と強者を、
知識を持たない者と知識を有する者、
あるいは、
質問者と回答者
と置き換えて、回答していただいても、結構です。
大歓迎いたします。
「教えて!」で質問する者は、(回答者に対して過度に)甘えているのか、いないのか?
回答者は、質問者のお願い(要求? 要請?? 居直り???)に、どこまで、応えなければならないのか?
そして、
質問者は、何を以って、回答者に応えるべきなのか?
それは、『ログ・ホライズン』にあるように、礼(儀)なのか?
お考えを教えてください。