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強者を支える弱者について
強者=権力、冨 弱者=貧困 昔も今も変わらず、弱者の上に強者があり 自然界のルール、とも思いたくなる構図 みなさん どこまでこの世界の現実を受け入れていますか この先もこの構図は変わらないとおもいます。 変える必要性があるのかもわかりませんが 弱者の方は無理してでもこの構図を受け入れているとおもいますが そろそろ限界ではないでしょうか? 人が豊かに暮らせる社会の構図とはどんなものでしょうか?
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そう考えた先人達が共産主義を唱えましたが、上手くいってませんね。 平等を目指すのは悪くないのですが、肝心の「平等とは何か」が抜けているから。 ・皆同程度の暮らしが出来る ・努力し成果を上げたら多くの報酬を受け取れる どちらが平等なのでしょう。私には分かりません。 そもそも富に限りがある以上「今より良い暮らしをしたい」と考える人がいると平等はありえませんよね。 「頑張っても見返りは無いが、仕事に手を抜かない」と考える人が大半を占めるようになればこの構図は変わると思います。 社会を発展させながら富の集中を避けるには、欲を捨て義務を果たすのが当たり前の社会を作る。 別の表現をするなら「弱者を無くすには人間らしさを捨てる」ということ。 豊かに暮らせる社会=弱者のいない社会 と考えていると理想だけで終わると思います。
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- gouzig
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おじさんです。 mituru0101さんが書いていることは、ある意味でその通りでしょうね。 でもすべてではないです。 人口の多い地域や首都圏などでは、あまりの人の多さから生きる競争が激しくなります。 お金も優秀さもスポーツでも激しい競争です。 一方、人が少ない地方、とりわけ過疎の山村や漁村などではお互いに助け合いながら生きています。 農産物でも魚介類でも独り占めなどしません。お互いに分け合います。 とくに、貧しいお年寄り世帯には野菜も魚もみんながもっていきます。 何故ならば、独り占めしても周囲から嫌われては幸せではないからです。 そういう意味では大都会は異常な社会です。 精神クリニックは朝から満員です。 自殺者も多いです。 では何故、大都会に人が集まるのでしょうか。 人間の欲という業です。 お金に向けて人間の欲がそうさせるのですね。 仮に、大都会に住んだほうが貧しくなると分かれば、ほとんどの人は大都会に向かわないし、去っていくと思います。
- まさしろ(@masasiro)
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強弱に関わらず、それぞれの立場で「人間性」を失わないことが大切だと思います。 人間性とは、社会を構成するそれぞれの人間が、分業と専業とを持ち寄って、所属する社会に対して、それぞれの能力を生産的に還元し、それぞれが所属する社会が、住み心地の良い社会になって行くことを希求し、また、それを協力して支え合って行くことが出来る前向きな人間の精神だと思います。 人間社会が分業と専業とを志向するようになってとても大切になったことは、等価交換による価値の交換です。価値というものを突き詰めて考えると、人間にとっての最大の価値とは「時間」であることがわかります。 お金で交換することが出来るあらゆる物には、時間料が含まれていますからね。 話は変わって、アメリカの超資産家400人が持つ資産は、アメリカの一般人1億5千万人分の資産額とちょうど釣り合うとのことです。このように、少数の者が富を独占するアメリカのような社会はその構造がとてもいびつです。しかし、社会がいびつであるから反骨精神が生まれ、育まれる側面もあるかもしれませんね。 時間という視点で社会を見れば、時間は全ての者に平等です。時間から「与える」ものは死でしょうか。人間は自身の死を先延ばしする為にお金を払って時間を買うのです。しかし、お金を払って手に入れたものが、自分の生きられる時間を本当に延ばすものなのかどうかを見極められるほど、私達には知恵がありません。人間が資本によって買えるものは、このような有象無象のものだけですからね。
- simonmagus
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弱者の上に強者が立っているのではなく、弱者を下から強者が 支えているのだと思えば良いのではないでしょうか。 世界の現実を受け入れるか否かと大上段に構えなくても、生まれ た場所、性別、国、民族、才能、家庭環境など自分では選べない 運命は受け入れて、そこから自分の未来を見据えないと、不平不満、 愚痴や怒りに流されていても事態は好転することはありません。 今、社会の構図に不満を抱いているのは実は上層階級の者の方が 多い事に気づきませんか。 己を弱者の位置に置いたまま、高額納税者の血税を蝕むような社会 保障を受けていながら、格差社会だと嘆いてみせる。 いや、自身の収入で生きている人達は良いのですよ。 働けないとか、外へ出られないだの言って生活保証や手当で生きよう とする者にこれ以上の社会保証は必要ないだろうと考えます。 強者になるには一朝一夕には為し得ません。 自分の代で叶わぬの なら自分の出来る範囲まで高めておいて、子の代、孫の代と自ら社会 の構図を描き直そうと連綿と続ける一族の努力に何の努力もしない 者達が勝てるものですか。 また、どんな地位にあろうと一瞬気を抜いたために堕ちてしまう事など 何度も歴史で繰り返されてきたことです。 人を豊かにする前に、まず自らと責任が及ぶ家族を守れるくらいの豊か は築くのが先決。 結婚して子を為して、直系の家族を築いて教育と 自身のコネクションを与えることを何代にも渡って続ける家系が現在の 強者のアウトラインです。 自身の子や孫に出来の良いのがいれば国家公務員にするとか、弁護士 や医師の道を歩ませるとか、はっきりした指針を与えなきゃいけません。 当然、子供も3人以上いれば女の子なら社会的地位のある方へ嫁がせる など自身の一族に力を与えて高めるための不断の努力が格差の上に 行くように仕向けるのですから。 実際に彼らはそのように行動をしています。 ところが、豊かでない者ほど子供には子供の夢があるとか、押し付けない ようです。