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分類学について

分類学という学問についてなのですが、 分類する事で、自然をまずは大まかに把握していく事ができるメリットがあると思うのですが、 分類は、細分化されていく傾向があると思うので、結局キリが無いといいますか、 最終的には、細分化が不可能な次元に行く着くのでしょうか?

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  • koosaka
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回答No.1

分類学は、たとえば、人間とクジラはまったく違うのに、ともに哺乳類に分類されています。 それは母親が子供に乳を与える、というところが共通すると言って、他の共通しないものを排除することで成り立っています。 でも、別の共通する点で分類したら、人間とクジラは同じ「類」に属するとは言えません。 要するに生物学の分類法というのは、恣意的です。 分類学は、そうして生物の系統樹というものを「作為」しました。 「作為」、つまりフィクション(笑)! 生物はそれぞれ違うのに、みんな同じものである、と言いたいがために。 「差異性」に対して「同一性」を言うために。 そうすれば、プラトンの「イデア」のように、世界はただ一つ「イデア」であり、「イデア」という統一的な視点から眺めることができ、世界を支配することができます。 分類学は16世紀の大航海時代にリンネによって始められたものですが、それは西欧によって、全世界を支配する、という意思を体現するもの、イデオロギーでした。 分類学というと単なる学問の一つと考えられやすいですが、それがなぜ、西欧の大航海時代を受けて始まったのか、ということと考え合わせて考えると、単なる学問ではありません。 生物を分類すること、そこから博物学というのが始まり、フンボルトのように西欧人が珍しい植物を求めて、南米各地に探険に行ったように、西欧のその後の植民地主義に先駆けるものでした。 あなたは、分類学が細分化されてゆく傾向があると言っていますが、分類学の目的は生物を細分化することではなく、多様な生物を生物の系統樹を「作為」することで、その生物、あるいは人間による自然界の征服と、支配することが目的です。 差異を否定し、同一性を取ることで、生物はみんな同じ、と考えて支配するためです。 多数ならば支配できませんが、基本的に一つならば、支配できます。 そして分類学は西欧の植民地主義という野心を「隠蔽」する、イデオロギーでした。

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質問者

お礼

ありがとうございます。

go_in_me
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 同一性が前提にあったのですね! 凄く勉強になります。 納得です。 回答文を読ませて頂き思ったのですが、 議論をする時や、 他には、国家を運営する場合などでも、 議論の問題点とか、 国家の組織などを、 分類して、ある程度の同一性を取らなければ、 分かり易い結論を導き出す事が出来いという事なのかなー、思いました。 本当は、世界は無限に差異があってバラバラなんだけれど、同一性を取る必要があった、というのは、なるほどですね。 そんな中、最近では「多様性を認めよう」という言論が増えてきていたり、 他には、「人間は自己実現を目的の為に生きる」みたいな啓発本も増えてきているなー、とも思いました。 現代では、差異性を受け入れる潮流になっているのでしょうか?

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