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大昔の社会での個人の責任について
大昔は神様を信じる社会だったと思うので、 自己責任論は少数派だったのでしょうか?
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確かに神さまのいる時代は、何をしても、何をしなくても、みんな神さまの責任で、人間の責任ではなかったから、自己責任論は少数派というより、皆無だったと思います。 たとえば、ドイツのヒトラーが独裁者で、神のように見られた時代は、ユダヤ人を虐殺したアイヒマンのように、みんな上から命令されてやったことで、おれには責任がない、もし責任を問うなら、ヒトラーに問え!ということも言えたでしょう。 (もっとも、それでもアイヒマンは処刑されましたが) それに「大昔の社会での個人の責任について・・・・」と言っていますが、大昔はその肝心の個人がいませんし、日本で個人が言われるようになったのは、明治時代からですから、責任なんて問いようがありません。 自己責任と言いますが、人は他人責任とは言いますが、自己責任とは言わないと思います。 丸山真男が、日本人はたいてい無責任と言っていますから。 日本は「無責任体制」! みんな他人のせいにして、自分で責任を取りたがらない(笑)! だから極東軍事裁判で、アメリカによって、東条英機など戦犯に責任を問わなければならなかった、自分で自分の責任、自己責任を取ろうとしないから。 どうしようもないなあ、日本人は(笑)! 「空気を読み」過ぎるのかなあ?
お礼
ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。 今後とも何卒よろしくお願い致します。
補足
ご回答ありがとうございます。 個人という概念は近代からなんですね、勉強になります。 もしかすると、 「個人」という概念と同時に、 「自己責任」とか「自己実現」とか 「個性」とか「オリジナリティ」など、 こういう概念が、個人という概念からの流れで発生したのでしょうか?