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資本主義社会制度と自己責任の限界とは?
- 資本主義社会で、ホームレスや落ち目の三度笠、流し、非正規労働者等に成るのは資本主義社会の制度上仕方がないので、良い運に巡り会えなかった(運が悪い)からなのではないのか?集まった答え。
- 努力をして、正当な成功を目指す人ばかりではありません。ほどほどの努力で程々の人生を目指す人も多いので。人の幸せは、職業だけでは測れない。と思いますよ。運の悪い人、運のいい人は確かにいるでしょう!1%~5%ぐらいは。要は「努力」が足りなかった人の方が多いと思います。当然自己責任。
- 補足;勉強は学校が教えてくれる・・という学生給料は会社がくれる・・・・・という社員学問は自分で学ぶもの給料は自分で稼ぐもの制度が孕んでいる欠陥に対しては見向きもされずに、個人の罪、無知。先見性がないから。社会の仕組みを知らない本人が悪い。努力すれば、、と言う答えが目立つがこれは資本主義的な考え方に答えに人間たち全てが浸かり過ぎて資本主義という制度そのものに視点が行かないからでは?
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>この世の全てを自己責任で説明することは、可能か、否か? 「全て」とある時点で、「否」であることは明かです。「すべてを自己責任で説明すること」も、また逆に「すべてを当人以外の外的な要因で説明すること」もできないことは、多くの人がわかっているのではないかと考えます。 もちろん、そのうちわけは事例により様々です。「これは本人の責任が大きいだろう」というものもあれば、「これは社会の仕組みの犠牲になった要素が大きいのだろう」というものもあります。ただしそのどちらも、反対側の要素がまったくないわけではありません。 ただ、回答者のように人生も最終コーナーが近くなると、「自己責任か外的(社会制度的)要因か」という議論は、重要ではあるが迷路に入り込みがちな不毛な二者択一ではないかという気がします。進学や就職、結婚などの成否や幸不幸には、その二者以外に「縁」というものがあり、考え方次第ではこの要素のほうが重要だと考えます。 例えば、Aさんが学校でいい成績を挙げ、難関の優良大企業B社に就職できたのは「本人の努力」の要素が大きいでしょうし、そのB社が社会・経済の変化に対応できずに経営破綻したのは、「社会的要因」が大きいでしょう。しかし、「優秀だったAさんがのちに経営破綻する優良大企業B社に就職したという事実そのもの」は「縁」としか言いようがありません。就職する際Aさんは「B社を選択した」と考えていても、その時はB社がのちに経営破綻することまではわかっていなかったからです。 「縁」というと非科学的で時代遅れの考え方のようにも思われるかも知れませんが、そうではありません。紙の上に有限の長さの半径の円を描き、その内部のどこか1点に無作為に印(しるし)を付けるとします。ここで、円の中である面積の領域を考えれば、その領域に印が付く0でない確率を計算できます。一方(ユークリッド流に面積を持たない)特定の1点に印をつける確率を求めようとすれば0になってしまいます。しかし、どこか1点には必ず印が付くのです、これ(無限の可能性がある全事象の中からただ一つを選び出す試行そのもの)が縁ではないかと考えるものです。 これは「縁だから、自己責任でも社会制度のせいでもない」「縁だから人間の力ではどうしようもない」と主張しているのではありません。「自己責任や社会制度の要因を十分考えても、それだけではなお説明しきれない縁というものがある」ということです。もちろん本人の努力も社会制度の改善も大切であることは言うまでもありません。
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- Mokuzo100nenn
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教条主義に陥らないよう注意しながら、是々非々で目の前にある課題を解決し、周囲の方々の幸せに貢献する言動をすることです。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- hekiyu
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遺伝 努力 制度などの環境 運 この要素で決まると思います。 そして、自分で何とか出来るのは、努力だけです。 努力により、遺伝、環境、運の%を少しでも減らす ことになります。 努力以外は、自分個人ではいかんともし難いわけです。 そして、努力するかしないかは、自己責任になります。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
ご回答のほど、 頂いたのでベストアンサーを差し上げます!