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悟った後のお釈迦様は何をしておられたのでしょうか?
最高の真理に目覚めた、悟った釈迦は何をしておられたのでしょうか? もう悟りを開いてしまったらすることがないようにも思いますが・・・ 修行を止められたのでしょうか、続けられたのでしょうか。 続けたとしたらなぜでしょうか。
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仏教には「往相」と「還相」という考えがあります。 「往相」とは出家して悟りを啓くこと、「還相」とは悟りを啓いたのち、還俗して仏教の教えを広く衆生に伝え、衆生も救うこと。 前者が小乗仏教であり、後者が大乗仏教です。 だから、お釈迦様は悟りを啓いて後、一般民衆にその仏教の教えを広く伝え、救うために布教に努めました。
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- gurennnisomaru
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お腹の中の赤ちゃんはそこが世界の全てじゃん? 生まれたばかりの赤ん坊は身の回りが全てじゃん? 子供は周囲の大人たちが教えてくれる世界が全てじゃん? 大人は自分の知識の及ぶ範囲が全てじゃん? 悟りを開いたらその上のステージに行くんだよ。 知識の範囲でしかものを語れない我々が、知識の産物である言葉をいくら尽くそうが、知り様も語り様もないことだよ。 次元は超越し、彼女は誰もがたどり着けぬ高みへと昇りつめる。 もはや誰も彼女を知らないし、認識できない。
お礼
彼女?
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
>「むつかしいですね。」 「・・・と唱えれば救われる」みたいなことでは、ありません。
お礼
ありがとうございました。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
禅の瞑想で悟ったといわれる境地を実際に体験した。 それは私の満足する悟りではなかった。 さてね、涅槃とはあの世のことで、自らの死後を見定めたから釈迦は解脱したんだ。 で、死にきれない君たちは、何べんも輪廻して死を悟るまで繰り返し死ぬといったんだ。 すなわち無の悟りとは、直球でいうと死の悟りなんだよ。 禅の瞑想で悟り状態になると、即身成仏したミイラだ。 心が枯れる死体状態で、かつての死者と一体になる死者の記憶の回想だ。 やあ、悟っていなくても生物的に生きている状態の君たちは、生きているからこそ死んだ状態を恐れる。しかしだ、実際にくたばっちまうと死者にとって死は恐怖ではない。 ごく普通に生物的に死んだ状態にすぎないんだ。 だから自分が死んでも安心しておけ。 釈迦は悟った後、死を悟るまでなんべんでも死を繰り返せと、悟った後慈悲という涙で励ます生涯だったんだよ。 あとね、君の質問の不備を指摘しよう。 真理と絶対の宗教的取り組みとはキリスト教のことだ、東洋の仏教は真理を命題としていないから、釈迦に真理を当てはめること自体が間違いだよ。 彼は生きながらに死んだ生涯を全うしたんだ。 死が仏教の掲げる命題だ。
お礼
ありがとうございました。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
gesui3様、こんばんは。 現代の心理学で、「人間の状態は、必ずしも一定ではない」というのがあると思います。 ・・・無理からぬことと思います。 それを、「フロイトは「完璧」ということを、追及し過ぎた」というわけです。 「人格」は、「尊ぶべき何か」であって、「何かのための手段」ではないわけです。 (ただし、「人権侵害」は、社会的に許容されるものではありません。) だから、ただ漠然と「居た」のでは、ないですかね。
お礼
むつかしいですね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
弟子の育成と布教活動です。
お礼
なるほど、なるほど!!
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6879/20344)
伝道です。
お礼
なるほど!
お礼
なるほど、自分さえ悟ればいいのではなくて、その悟りを広めようと為された。はじめは消極的だったとかとも聞きますが、あとからは積極的に布教されたのですね。ただし、縁なき衆生は度し難い、とも諦めておられましたが。
補足
> その仏教の教えを広く伝え、救うために布教に努めました。 現代演劇ふうに言えば、「インプロ」をしておられたのでしょうね。 一人一人の個性に応じた伝え方、その場に応じた伝え方、多様な角度からの説明等を、日々、即興で創造し、「伝え方」の修行・・・。【対機説法】とはそのようなことだったのかもしれません。