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昔は、池上本門寺と久遠寺はどのような関係だったのか
現在は、日蓮宗の総本山は久遠寺で、池上本門寺は久遠寺の傘下にあります。 しかしそれは、江戸時代の初めに、徳川家康によって日蓮宗の不施不受派が弾圧された為に、不施不受派の本山だった池上本門寺が、不施不受派を辞めて久遠寺の傘下に入らざるを得なくなったからだという話を聞きました。 それでは、不施不受派が徳川家康によって弾圧されるよりも前の時代においては、池上本門寺と久遠寺はどのような関係だったのでしょうか? また、どちらの方が、より大きくて総本山に近い存在だったのでしょうか?
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zurnkhfc さん、こんにちは。 本当は久遠寺と池上本門寺は宗派は同じでも教義は違うお寺だそうです。江戸時代初期、寺請制度ができた時に久遠寺が本門寺の信者を奪ったという事で幕府に届けたそうです。寺は久遠寺が親寺になり、本門寺はその下になりましたが、不施不受派は追い出され、まるで隠れキリシタンのように生活していたようです。 それでは、不施不受派が徳川家康によって弾圧されるよりも前の時代においては、池上本門寺と久遠寺はどのような関係だったのでしょうか? おそらく、対等でしょう。 また、どちらの方が、より大きくて総本山に近い存在だったのでしょうか? おそらく、久遠寺ですよ。不施不受派なんていう厳格なことをやっているお寺よりも受布施派の方が普通の人に受けいられそうじゃないですか? 不施不受派 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE 池上本門寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E6%9C%AC%E9%96%80%E5%AF%BA 身延山久遠寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0%E5%AF%BA
お礼
御回答ありがとうございました。 よくわかりました。