- ベストアンサー
チームでの効率性と個人の自由性と革新性
効率性と個人の自由性と革新性とはすこし違うものかと思います。 アマゾンのピザ2枚の理論があり、チームは効率的ともいいます。個人の自由を無制限にするとチームが成り立たないかと思います。 ただ、チームも方向性があるので、ついていかないといけませんね。個人とチームと方向性が違うと大変です。チームも目的が終われば、なくなりますし、個人の成員も離脱もありえます。 どちらを選ぶかなど2択になると極端ですが、どれが最適なのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
生命は、その進化において、単細胞生物>多細胞生物 >社会生命と、組織化を指向してきました。 それは、生命体を構成する物質はエントロピー増大を 指向するものであり、組織化~新陳代謝~生産によって 安定した存続を可能にしており、単純であるほど元の 物質的なエントロピー増大の性質が表れるからです。 ただ闇雲に組織化・分業化すれば良いというものでは ないのは「アマゾンのピザ2枚論」の通りですが、 かといって、可能ならば組織化した方が、生存競争に おいて有利のなのも事実です。 個人の意識は、肉体に付属した感覚器官によって生じる 以上、単純であるほど自己中心的になります。 そこにおいて、社会的なニーズと個人的な自由(短絡的な 充足感)は乖離します。 社会的生命として、本来、自己の生命を成立させている 社会を、自己の生命性の延長として認識(社会生命的自覚 =助け合いとしての自律的社会行動=愛)できず、お金や 出世といった“馬車馬の目の前のニンジン(アメ)”や法規 やモラルといったムチによって、他律的に社会行動を とらされる(お金をもらう為にイヤイヤ働かされる)よう になってしまったのです。 生命として、生きる事=働く事が目的であり、最大の喜び であるはずなのに、いつの間にか「お金を儲ける=自分は 働かずにすむ」事が目的になってしまっているのです。 そこにおいて先述の「社会生命的自覚=愛による助け合い =自律的社会行動=生きること自体による喜び=最大充足」 が可能になれば、社会的ニーズと自己の自由は一致し、 ご指摘の問題も解消する。 ただ、詰込み教育&丸暗記&点取り競争により自己チュー 人間を量産し、雇用の流動化&年功序列の崩壊&貧富の格差 拡大によって拝金主義の蔓延する社会において、そうした 認識の深まりは期待薄ですが。
その他の回答 (1)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
人間には適性や個性があります。 将棋で例えれば飛車は飛車らしく、 歩は歩らしく使うのが最適でしょう。 チームの効率性と個人の自由の問題は 人間の個性、適性を無視しています。 囲碁と同じです。 これでは限界があります。 それぞれ役割を分担して、王を詰ますのが 最善だと思います。
お礼
人間の個性、適性があり、それぞれ役割を分担するですね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
詳しくご解説ありがとうございます。