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経済活動・人間活動の根本的原動力は? (長文です)
昔経済をかじった友人とちょっとした議論をしたことがあるのですが、人間の経済活動・人間活動の原動力はどこからくるのでしょうか。またどのような仕組みで働いているのでしょうか? 当時の議論では、友人に「人間が一生懸命働いて価値・財を生み出すからだ、つまり労働がその原動力だ」というようなこと(詳細不明)を言われたのですが、いまいち釈然としませんでした。 確かにある一部を切り出してみると、労働がいろいろな価値や製品を生み出すのはわかりますが、では人間を労働に駆り立てるものは? 金?食べ物?地位?などなど、そしてこれらはどこから来るのか?と遡って考え始めるとシステムが複雑すぎて混乱してしまいます。 個人的には人間か活動は常になにかのエネルギーを搾取しながら行われているような気がするのですが、つまり経済でいえば安い労働力などで、人間活動の根本を考えてみれば化石燃料や太陽エネルギーなど。 ということはこれらのエネルギー源が尽きる時が人間活動の終焉でしょうか?もちろんロボットやITなどの技術革新により効率性を上げることはできるのでしょうが。 こういった雑多な疑問が私を悩ませます(^_^.)。私は環境系のエンジニアで経済はまったく知らないのですが、このような問題について経済・哲学などで一般的に知られている理論や仮説、またそれらをわかりやすく解説している書籍等ありましたら教えていただけるとうれしいです。また皆さんのご意見もお聞かせください。
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- fumidera2
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二つあると思います。 経済活動は人間の消費・生産活動から成り立っているのはわかりますよね?言わば経済活動の原動力は人間活動だと言えるわけです。 そして、人間活動の原動力とは何かということですが、翻ってDeerhunterさんの活動の原動力は何でしょうか?「何のために働くか」ということですよね。それは人それぞれではないでしょうか。「お金」という人もいるでしょうし「働くのが好きだから」という人もいるかもしれません。 あと、人間活動の根本が化石燃料や太陽エネルギーだと言われていますが、それは違うと思います。人間活動を支えるエネルギーは、「食物から摂取されるカロリー」です。これは今のところ再生産可能ですよね。あと、石油などの化石燃料が尽きても、人類は新たなエネルギー源(核融合など)を開発するかもしれないですし、それはわからないと思います。
- uni37
- ベストアンサー率46% (171/370)
人間活動の根本的な原動力は生存と種の保存で、これはどんな生物とも違いません。ただ人間は計画的生産を大規模かつ自覚的に行うおそらくは地球上で唯一の生物で、このことによって単なる生物的生存の維持と種の保存に必要な最低限以上の生産を行う能力を有しています。このことが人間に必要最低限以上の多様な欲求を生み出す原因となっており、その欲求がより高度な生産を可能にし、その生産力を前提にした新たな欲求が生み出されるという循環が今日の人間社会をつくりだしているのだと考えられます。 この考え方は、フリードリヒ・エンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』および『猿が人間になるにあたっての労働の役割』に立脚しています。古いマルクス主義の文献ですが、今日でも参照する価値はあると思います。もちろん、生物学の進歩によってこれらの文献の個々の記述は古くなってしまっているでしょうが(特に、なぜ人間だけが大規模な生産活動を始めるようになったのかなど)、その後の多様な議論のひとつの出発点として、基本的な考え方は参考になると思います。 わかりやすい参考書としては、不破哲三『講座「家族、私有財産および国家の起源」入門』をあげておきます。政治家の書いたモノですから多少イデオロギー宣伝的なところもありますし、理論的には厳密さに欠けるとの指摘もありますが、おおよそのところをつかむのには悪くないと思います。 参考になれば幸いです。
お礼
面白い情報をありがとうございます。 エンゲルスがそのような研究(思考)をしていたんですか。そうですね、人間だけが特殊な存在ですね。しかし欲求から生み出される価値や製品があらたな欲求をうみだしてゆく世界で、もしこの活動が自然・人間資源を搾取しながら行われているとすると、これら資源が枯渇した時点で(そう遠い将来の話ではないともいますが)人間の欲求不満がどのような形で現れるのか興味があります。
- gamy-cho
- ベストアンサー率22% (73/326)
>労働がいろいろな価値や製品を生み出すのはわかりますが、では人間を労働に駆り立てるものは? これは人間のもつ様々な欲求を満たすためということではないでしょうか。 欲求と言っても、低次なものから高次のものまで、様々な欲求があります。これを説明する理論としてスタンダードなもので、「マズローの欲求段階説」というものがあります。 一番低次なものは食べていくための稼ぎを求めるというものです。そこから安心・安全を求め、社会の中での地位を求め、最終的には「あるべき自分」を実現させるために人間は行動するというものです。そしてそのための行動の一つとして労働が挙げられています。 これも様々な理論の一つですので、これだけで説明できるものではないと思いますが。
お礼
ご意見をありがとうございます。人間の欲求がドライブしている。たしかにそうですね。個人としての欲求に裏打ちされた行動が集合的に発現したものが、経済・人間活動ということになるのでしょうかね(自問)。しかしそうするとなぜ人間だけがこれだけ過剰な欲求をもつようになったか、不思議になります。
- marimo_cx
- ベストアンサー率25% (873/3452)
>「人間が一生懸命働いて価値・財を生み出すからだ、つまり労働がその原動力だ」 その友達の回答は「経済活動とは?」の回答であって、質問に対する回答じゃありませんw >ということはこれらのエネルギー源が尽きる時が人間活動の終焉でしょうか? ちなみにこれも「文明の終焉」でして、また違ってますw
お礼
コメントありがとうございます。 そうですね、友人は私の質問の意図を理解してくれていなかったようです。まあ、私の質問も漠然としていたんですが。ご指摘のとおり人間活動という表現もいろいろな解釈ができますし。
お礼
ありがとうございます。 原理的なところは確かに理解できるんですが、どうも何か人間の経済活動というのは平衡状態を超えて過剰に行われているようで、食料に関しても農地を搾取しながら実施されているので、食料供給が追いつかなくなる。 将来のことは分かりませんが、われわれは基本的に太陽エネルギーの収支の範囲内で活動するか、新たなエネルギー源を開拓しないことには、破綻するんでしょうかやっぱり(独り言)。