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遊牧民はなんですぐに滅びる?
モンゴルの遊牧民が他の部族を統合する歴史を見ていると一瞬で滅びたり屈服します。 冒頓単于が東胡をあっという間に滅ぼしたり、チンギスハンがただの一度の奇襲で大国ケレイトを滅ぼしたりします。 普通小さい国でも倒すのに何ヶ月も戦うのに、遊牧民の場合はあっという間に決着がつきます。 なんでかとても不思議に思ったので、理由をご存知の方があれば教えてください。
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- jkpawapuro
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土地に縛られない部族社会だからでしょう。 強いリーダーのもとに集まり略奪をするのが彼らの暮らしです。 逆に戦に負けたら略奪できません。 そんなリーダーの元にとどまっても仕方ありません。 だから彼らは自分の家畜を連れて去っていきます。 別の部族の末席に加えてもらうか、逃げていった集団で旗揚げするかでしょう。 農耕民族はそうはいきません。 自分の田畑を守らなければ生きていけません。 だからちょっと戦いに負けたくらいで逃げるわけに行きません。 強く団結し自分らの土地を必死に集団で守ります。
- oska2
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>遊牧民はなんですぐに滅びる? 遊牧民は、固定の土地を持っていませんよね。 固定の土地を持っていない事は、国が存在しない事なのです。 国が存在しないので、国としての組織が存在しません。 遊牧民が移動する地域の四方に国が成立すると、どうしても「空白地」となって他国から侵略を受けます。 結局、遊牧が出来なくなり遊牧民は一定の土地に土着します。 結果、遊牧民は存在しなくなります。 例えば、ヨーロッパにはかつて「ジプシー」と呼ばれる人たちが存在していました。 が、各国の定住政策で土着が進みました。 日本でも、明治初期まで「サンガ」と呼ばれる方々が存在しました。 日本全国の山々を移動して、鉱物・漆・(食器・お盆などの)加工木材を探して+その地で加工して生活していた集団です。 また、日本全国を巡業する役者・芸人集団も存在しました。 彼らは、決まった生活地(本籍)を持ちませんでした。 日本では、明治政府によって土着しました。 アジア・ヨーロッパでは、政府が強制的に移動を制限しました。 共産国家では、強制的に「人家が少ない土地への強制移住政策」を行いました。
- eroero4649
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狩猟民族には「保存」とか「貯金」のような概念がなくて、あったらあっただけ使ってしまう(食べてしまう)そうです。足りなくなったら狩れば(奪えば)いい。それが狩猟民族の考え方です。 だから中国の北方騎馬民族の中国への侵入は、彼ら北方民族からすると「足りなければヨソから調達するのは当たり前のこと」であり、それの何がいけないの、なのです。農耕をしないから作物ができるまで待たないといけないってのが分からないんですね。 だから繁栄するのも滅びるのも早いのです。欲しければ捕りにいく。捕ったら使う。また足りなくなったら捕りにいく。のくり返しだからです。 また軍事的にはいってみれば国家ごと動くようなものなので補給線に縛られないというのはありますね。通常の軍隊であればどこかに補給基地があってそこから補給を受けながら作戦をするので、その補給線の限界を超えて攻めていくと時に現場の部隊が悲惨なことになります。太平洋戦争の日本軍なんかでありましたね。 だけど騎馬民族(狩猟民族)の軍隊は「補給は現地調達」ですから、補給線に縛られるということはありません。足りなければある場所にどんどん押し入っていけばいいのです。 だから時にものすごい機動力を展開するわけですが、例えば長城なんかで足を止められてしまうと必要な補給品を現地調達することができなくなるので戦力が発揮できなくなるのです。 ですので昔はピラミッドと万里の長城と戦艦大和が「世界三大無用の長物」なんていわれていましたが、とりあえず万里の長城に関していうと北方民族の侵入をある程度防ぎ、公共事業としての経済効果もあったということがいえると、近年はあまり無用の長物とはいわれなくなってきましたね。
- asdffgfu
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圧倒的な統率力を持つリーダーの下に各部族が集まり戦うからです。 勝つ時は モンゴル側 規律も厳しく部族単位で部隊が構成されその部族の働きにより略奪品の分配、軍内での発言力に影響が出るので、命がけで戦う。 もともと馬賊なので各々独自の判断である程度臨機応変に動くことができるし、誰を倒せば楽に獲物を得れるか解っている。 中国側 強制的に兵役に就いたり、食うに困って集まった民で組織された歩兵と戦車部隊で構成(騎馬兵は鐙が発明されるまで習得が難しく組織できなかった)。 部隊長や将軍など統率者の指示が無ければすぐに逃げ出す。 馬賊に対する防壁として万里の長城が築かれたように、騎馬中心のモンゴルの弱点は攻城戦ですが、籠城すると騎馬兵は迂回したり周辺の集落を襲う可能性があり判断が難しい。 有能な将軍がいれば問題ないですが、そういう将軍はそうそういないので撃って出て相手の有利な戦場で戦い判断ミスをし敗走する事も多い。 そしてモンゴルは勝っても土地を支配するのではなく略奪が目的なので奪ったらさっさと引き上げる。長期的な場合でも定期的に奪うだけで統治する事はあまりしません。 負ける時は、モンゴル側は統率力を持ったリーダーが不在で部族単位で行動し、各個撃破されるか、そのまま部族ごとの判断で自分たちの土地に戻るので敗走する事になる。 滅びるという訳ではなくそれぞれの部族が勝手に戻るだけです。
- SPS700
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#1です。補足です。 1。遊牧民はなんですぐに滅びる? という一般的なご質問に答えましたが、冒頓単于も下記のように遊牧民の出ですから、東胡を滅ぼしたのには、油断をしている隙を衝いたというのが要因だったと思います。https://hajimete-sangokushi.com/2016/05/24/%E5%86%92%E9%A0%93%E5%8D%98%E4%BA%8E%EF%BC%88%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%86%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%EF%BC%9F%E6%BC%A2%E5%B8%9D/ 2。僕の回答に遊牧文化対農耕文化が、被植民地対植民地と述べましたが、それは一部で、インド、東南アジア、インドネシア、などの場合には別の原因があると思います。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
農耕民は、土地に植えたものに関連した経済が基盤ですから、一定の土地や、領地が動きを規制しています。遊牧員は動物に従って動き、領土の観念は不必要です。 従って、農耕民が領土を取ろうと思えば、あっという間に遊牧民は取られて動物の行き先がなくなり、滅びるからではないでしょうか。 アフリカ、シベリア、オーストラリア、アメリカなどの遊牧の先住民が、他から来た農耕基盤の移民の植民地になった過程にはこのような推移が見られるような気がします。