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手紙の返事を書く際の「ありがとう」の使い方は正しいのか
- 手紙の返事を書く際、表現方法について疑問が生じました。
- 「お手紙をありがとうございます」という表現のほか、「お手紙がありがとうございます」とする方法もあるのか疑問です。
- また、「~をありがとう」というフレーズは最近の言い回しであり、他の表現方法はあるのか気になります。
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「お手紙(葉書)を有難う(ございます)」という表現は、以下の引用例(すべて「青空文庫」所収の古い作品です)で明らかなように、昔から使われているものです。もちろん「を」が入らない「お手紙(葉書)有難う(ございます)」という表現も多数使われています。 これは省略しなければ、「お手紙をお送りくださいまして有難うございます」とでも書くべきところを「お手紙を有難う(ございます)」と短くした表現ではないかと考えます。「お手紙が」というより、「お手紙を送ってくださったご厚意が」貴重だという気持ちが込められている表現といえるのではないでしょうか。 〇お手紙を有難う御座いました。「あはれなる廿日鼠」(倉田百三) 〇十二日づけのお手紙をありがとう。「獄中への手紙(1943年)」(宮本百合子) 〇繪ハガキを有難う。「恢復期」(堀辰雄) 〇端書を有難う 「昭和21年5月18日付け書簡」(原民喜) 〇いや、こんにちは、きのうははがきをありがとう。 「どんぐりと山猫」(宮沢賢治)
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- marisuka
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言葉への興味が尽きないとの思い、まさしく「有り難い」ことだと思います。 このように「ありがとう」を「有り難いことだ」ととらえれば、「~を ありがとう」はおかしいですよね。「~が 有り難い」とか「~は 有り難い」とかでしょう。 しかし、現代ではもはや「ありがとう」は「有り難い」ではありません。相手に感謝を伝える場面で発するコトバです。 他の例を言えば、「おはよう」はもはや「あなたも早い」ではありませんよね。そして「Good morning(よい朝だね)」とも違います。ただ両者とも、その日の朝最初に出会ったときに発するコトバという点で共通しているだけです。「さようなら」と「Good by」と「再見」はどれも意味は違いますが、別れの場面で発せられるコトバという共通点があるので同じ語として訳されます。 そんなわけで、「ありがとう」はもはや「有り難い」ではない(非常に意味が薄い)ので、その前に感謝の原因をただ書き添えるだけでよいと考えます。 どうしても何か助詞を付けたいなら「を」でしょう。「○○を してくれて ありがとう」という意味で。まあ個人的には「を」なしのほうがしっくりきますが。 こんなところでいかがでしょうか。
お礼
ご回答の程どうもありがとうございます。「さようなら」「goodbye」「再見」が異なる言語体系の中で生まれた言葉で延いてはあらゆる文脈中で厳密に互換性を持つ訳ではない、という言語学的現象は面白い一方でこの質問を通じて私の興味は国語にありますが、少し意味を考えれば 然様なら≈其では≈right then goodbye≈God be with you!≈無事息災をお祈り申し上げます 再見≈また会いましょう≈see you later 辺りでしょうか。「さようなら」が「こんにちは」同様省略を含む文であり >さようなら、これにて失礼します/御機嫌よう/また会いましょう, &c. などと続けることも出来る傍ら、「こんにちは」の代わりに「こんにちも」などと言えないのは仰る通り慣用表現故でしょうし、今日の「ありがとう」も慣用表現の一種であると疑いなく認められます。お話を私なりの理解で纏めれば、現代語には本来の助詞が使えず或いは格の明瞭を失った表現がある、ということになりますが大変興味深い現象です。宛ら英語におけるnominative absoluteの様な表現かもしれませんね。
ごめんなさい。 そうですね(‘v‘*) 英語だと、Thank you for ~. となり、~の為にありがとう。と言う事ができると思います(‘v‘*) 日本語は、難しいですね(笑)。
お礼
全く仰る通りで、英語で普通に用いる表現がしかし日本語にしようと思えば殊の外工夫を強いられたり。翻訳に至っては宛ら曲芸のようにすら思えますが、それでも言葉への興味は個人的に尽きることがありません。Thank you for your ご回答!(笑)
お礼
ご回答下さりどうもありがとうございます。日本語ではGoogle Ngramなどが使えず日頃から恨めしく思っておりましたが、青空文庫は斯様な場合コーパスの代用として確かに便利そうですね。 例文中の「手紙」を「厚意」へ入れ替えても詰まり問題が「ご好意の程(を/が)ありがとう」に置き換わるに過ぎないことを思えば、この「ありがとう」は元々仰る様な「て」や連用中止などで前文を受ける言葉であったのかもしれません。ここで仮に >手紙を貰ってありがたい/嬉しい, &c. という文の省略 >手紙をありがたい/嬉しい, &c. が非文であることから、「~をありがとう」についても果たして原文を短くしたものが起源なのか余り判然としませんが、例えば、翻訳文か誤用か何かしらの切っ掛けで目的格を想定する解釈が後から加わり言葉遣いが短く変わったものだとすれば、成る程という気もします。いずれにせよ、これ以上「ありがとう」の助詞についてあれこれと考える事には余り意義が無いのかも知れません。古い文学作品でも用いるということがこの構文の正当性を多かれ少なかれ既に担保していますし、それを示して下さったstaratras様には改めて感謝申し上げます。