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【「お金がすべて」という心のベクトルとは違う次元に

【「お金がすべて」という心のベクトルとは違う次元にいる人】がいますがどういう心の心境の変化でいまはどのベクトルで生きているのか教えてください。 仏教に神社も寺もお金、お金、お金です。 彼らには物欲しかないのかと思うほど境内には賽銭箱だらけです。 本境台に1個の賽銭箱で「建て替え費用の寄付のため」なら分かりますが、賽銭箱のお金は住職、神主のメルセデスベンツに変わったりしています。 で、実際に建て替えになった時は、建て替えの為の寄付を「別途」檀家に求めます。 彼らは賽銭の貯金をせずに、必要になったら恵んでもらうキリギリスです。 完全に金のベクトルの上にいます。 一方のホームレスは自分が生きるその日の分の稼ぎだけで生きていたり、生活保護を受けれるのに受けたら家に定住しないといけないという理由で受給せずに放浪していたりして完全に金のベクトルから外れた違う世界で生きてます。 お金がすべてではない違うベクトルの世界に生きている人が見えている世界が知りたいです。 何が1番大事なのでしょう。

みんなの回答

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.2

ベクトルを自分なりに二次元座標(XY)座標に置き換えて考えてみました。いまX座標をお金がすべて座標としてみます。私の感覚では普通の人は少なくともプラスのところにいます。Y座標はお金がすべてではない座標とします。Y座標はプラスマイナスで価値基準にはならないとします。ホームレスの人はX座標はマイナスでY座標は零の人が大部分ではないでしょうか。生活保護を受けている人はX座標は零かマイナスでしょう。しかしY座標が零の人はほとんどいないと思います。  お寺のことは少し別の話ではないでしょうか。  

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