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現行憲法と昭和天皇
お世話になります。 昭和天皇とマッカーサー氏は 一定の交流があり 戦後日本についてや 天皇制、現行憲法、 等について 何回も会談し、 当時の日本国内の 法関係知識人の意見 其れを多く取り入れ 密に意見を交わしていた しかも、憲法が決まった折には 自ら進んで署名をした と、聞きました 此れはどの程度 正しい史実 なのですか? あと、もう一つ 昭和天皇は、現行憲法制定間際 どの程度賛同していた ですか? お教えください、 宜しくお願いします。
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私も「追記」を一つ。 貴殿の興味があるかないかはわかりませんが・・・・。 ★徳川幕府が解体をし、明治に入ってから、三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)と言う者が、「大奥の秘密」を知りたくて、元大奥お女中であった、という女性から、数々の仔細を「聞き取り調査」をしました。 ★その本が出版された当時は、歴史学者も作家も、果ては、老若男女を問わず買い求めての一大センセーショナルを巻き起こしました。現代で言うところの「大ベストセラー」になったのです。 ★しかし、それから200年近く、多くの研究者によって、その本の「裏付け作業」が行われました。 ★その結果、確かに正しいと思われる部分も相当数ありましたが、女性の「思い入れ」か鳶魚の「誇張」かは分かりませんが、「どうもおかしい」と言う箇所も見つかりました。 ★引き続き「証拠探し」や「検証作業」は継続し、現在では「単なる資料」(史料ではない)として、極端に言うと「誰も見向きもしない」。 ★つまりは、「口伝」や「噂」は史料(資料ではない)としては認められなくなった、と言うことです。 ★私たちは、いや、私だけかもしれませんが、頭が固い人間なのかも知れませんが、作家は一度書いたものは文字として永遠に残るため、いわゆる、「嘘」は書けない。 ★そのため、口伝や噂についても「裏付け捜査」を余儀なくされるのかもしれませんね。 ★ただし、口伝や噂が全く価値の無いものとは言いません。 ★ことわざに「火の無いところに煙は立たない」という言葉があるように、何らかのアクションがあっての口伝や噂になるのだとは思います。 ★しかし、結局のところ、「確たる証拠」が私たちにとっては、一番「重要な証拠」なのです。 貴殿には、このような頭の固い人間は理解できないかもしれませんね。 自分でも「固い」とは思います。 しかし、こういった人間がいる、ということも事実なのです。 追記、ありがとうございました。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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私は、「歴史作家」として、貴殿のご指摘の通り、史実を知りたいだけです。 それには、確かな「裏付け」のとれた文書(もんじょ)が拠り所です。 口伝や噂は、いくらでも作話できます。 例え方が悪いかもしれませんが、ゲームで、100人の人を一列に並べ、最初の人に、 「今日は晴れです」 と伝え、100人目になると、 「明日は雨です」 に代わってしまう。 極端に言えば、口伝や噂はいつの間にか、話を受け取った者に都合の良いように変えられてしまう。 従って、私たち歴史作家や歴史家と呼ばれる人たちは、いや、ある意味では私だけかも知れませんが、ノンフィクションでは確実なる史料に基づいて話を展開していきます。 少し意味合いが違うかも知れませんが、フィクションには「Perhaps」はあっても、ノンフィクションには「Maybe so」は存在しません。また、あってはならないと考えています。 高貴なお生まれで、天皇家の血筋を引く、とあっては、思い入れもひとしおかとは存じますが、私たちは、確たる「証拠」が欲しいだけです。 私は、個人的には、昭和天皇、ひいては天皇家を冒涜するつもりは毛頭ありません。 終戦の混乱期を良くぞ乗り越えられ、さらには、人間宣言をされた心情はいかばかりかと推察致しております。 私の回答になっていない回答をお読みいただきありがとうございました。
お礼
此方こそ、有り難うございました、 失礼に際し 謝罪致します。
補足
恥を忍んで追記致します。 とてもじゃないが 本人では文字で公開等 出来ない内容を 取材等に対し、関係者が 口頭、態度、ゼスチャー、破棄前提の文章、 等で示す。 此れってあり得ますよね? で、ですね 此れはどれも信用に足り得ない てな事はない ですよね? 公的文章しか、駄目ですか? 双方の話が 両立する可能性がある 其のように 私には思えます。 変ですか?
- 川原 文月(@bungetsu)
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わかりました。 お答えになっていなかったようですね。 >>昭和天皇とマッカーサー氏は一定の交流があり・・・ ★昭和20年9月27日の1回限りの会談で、それ以後、天皇とマッカーサーが面会や会談をしたことは一度もない。少なくとも公文書としては残ってはいない。 ★しかし、天皇は自らの地位を確保してくれたことへの「感謝の気持ち」を持ち続けたことは間違いなさそうである。 ★天皇の地位については、マッカーサー・ノートにあるように、マッカーサー自身が考え出したものである。 ★また、マッカーサーも天皇を象徴として、日本国が民主主義国家になることを強く望んでいた。 ★少なくとも、共産主義国家や社会主義国家になることを最大限に恐れていた、と言われている。 ★昭和26年4月16日、マッカーサー離日。自身の回顧録に、 「200万人の日本人が沿道にびっしりと並んで手を振り」 と、やや誇張して記載されている。 ★昭和36年、フィリピンから独立15周年の記念式典に国賓として招かれた際、フィリピンに向かう途中で所沢基地に休憩に立ち寄り、帰りに横田基地で1泊をした。 しかし、セレモニーもなく、天皇と会うこともなく、ほとんどの日本人が知らないままでの再来日(最後の来日)であった。 >>当時の日本国内の法関係知識人の意見、其れを多く取り入れ密に意見を交わしていた ★日本の草案は、ことごとく拒否された。 ★2月22日の閣議でGHQ草案に沿った憲法改正を決定。 ★3月2日、GHQ草案に沿った試案が出来上がる。 ★3月4日、GHQへ提出し、同日夕刻よりGHQと確定案作成の協議に入る。 ★3月5日午後、すべての作業が終了した。 ★従って、現行の日本国憲法はGHQの作成した憲法と言っても過言ではなく、日本の識者の意見は全くと言って良いほど取り入れられていない。 >>しかも、憲法が決まった折には自ら進んで署名をした、と、聞きました ★天皇の地位について、これ程までに「寛大」だったこと、さらには、戦争放棄の条文に、大変喜ばれた、とも言われている。 ★しかし、自ら進んで署名をした、という事実は定かではない。 ★少なくとも、大日本帝国憲法の手続きに基づき、憲法が改正され、その署名の手続きにより署名したことは確実である。 >>あと、もう一つ昭和天皇は、現行憲法制定間際どの程度賛同していたですか? ★「憲法制定にいたるまで」を先に述べましたが、憲法制定に関しては、天皇は一切関与していない。 ★また、日本の憲法草案作成者たちも、天皇に何一つ相談やお伺いはたててはいない。 ★恐らく、GHQも認めなかったものと考える。 ★従って、天皇の「お気持ち」がどのようなものであったかは、少なくとも記録としては残ってはいない。
お礼
有り難うございます 拝見しました。 仰る内容は 全く真逆ですね 私は 当初の日本側草案が 戦前の憲法と 差が余にも少なく 確かに拒否された とは、聞いています。 しかし、 たがら と、言って GHQは 日本側を無視せず 逆に 其の草案策定にあたり 日本国内の 法に関する知識人の 意見を聞き 天皇と意見を交わし 大幅に盛り込んだ 其の為に マッカーサー氏は、昭和天皇と 10回を超える交流があった 更に GHQ草案も 日本側から ある程度、否定された 昭和天皇は 進んで ヒロヒト と 署名した と、発言に関し一言一句 裏取りしなければ口にしない と、信頼している方から 聞きました。 進駐軍内に入り込んでいた 父からも 同様に聞いた と、記憶しています。 貴方は 上記、此れ等は 立脚を公文書に拘らなくした場合も 同じく、全く否定される そう言った、お立場ですか? もう二つ 公文書以外では 信頼に足る 記述、口伝、其の他、 其れ等は ありませんか? 失礼な物言いをお許しください 貴方の其のお言葉に 我田引水的要素は 含まれますか? お答えをお待ちしております。 追伸 〉程までに「寛大」だったこと、… 人として 私の先を示す紳士として、 武士道を弁える手本として、 敬愛し、尊敬に止まない 昭和天皇に対し あまりに蔑む内容 勝手ながら 強かに遺憾を感じます。 昭和天皇は 国体維持は望んだ かも、知れませんが ですが、 自身の保身等 微塵も望まなかった マッカーサー氏が 昭和天皇の留位を 強く強く望んで、成して、尚 退位の意向を示していた。 そんな、紳士とも足る、武士とも足る、 そう思い得て十分な姿勢 其れこそが マッカーサー氏の感銘を打ち得た 此の現国体を、結果として守り得た。 確かに、無問題 では、無いにしろ 其の功労を示したものに対し 必然性を、とても感じ得ない ましてや侮辱に等しい内容 天皇家を始祖として持つもの と、して 遺憾を強かに感じます。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 ★昭和20年9月27日午前10時、天皇陛下を乗せた車がアメリカ大使館公邸へ着いた。 ★この時、マッカーサーは「出迎えることも見送ることもしない」と心に決めていた。 ★2人の会談が始まり、まずは和むようにと、マッカーサーは天皇にタバコを勧め、天皇はタバコを手にした。 ★マッカーサーが火をつけて差し上げたが、この時、天皇の手が小刻みに震えているのをマッカーサーは見てとった。 ★天皇は言った、 「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」 ★この言葉を聞いたマッカーサーは、 「天皇陛下は、日本国の全責任を負う覚悟で来られた。そして、それよりもなお天皇の紳士的態度を見た時、天皇が日本の最上の紳士であると感じ取った」(マッカーサーの回顧録) ★約35分の会見の後、マッカーサーの態度は一変した。 ★「出迎えも見送りもしない」と決めていたはずなのに、天皇を玄関まで送った。 ★マッカーサーは、直ちに本国(米国)へ打電した。 「天皇の戦争責任を問うべきではない。日本国の象徴として殺すべきではない」 ★本国(米国)からは、次のような返信があった。 「昭和天皇の戦争責任を再度調査するように」 ★マッカーサーは数日後、本国へ打電した。 「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」 ★昭和21年11月3日、それまでの大日本帝国憲法に代わって、GHQの改正案を元に政府が手を加えて、日本国憲法が公布された。 ★その第1条には、 「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」 ★この条文の草案の大筋は、マッカーサーの意向を汲んで、GHQが考え出した、とも言われている。 ★マッカーサー・ノート、 1.天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。 2.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。 3.日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。 憲法制定にいたるまでの過程 ★昭和21年2月3日、マッカーサーは、憲法改正の必須要件である「マッカーサー三原則」(マッカーサー・ノート)をホイットニーに示した。翌4日、民政局(GS)内に作業班が設置され、GHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業が開始された。 GHQは、起草作業を急ぐ一方で、日本政府に対して政府案の提出を要求、2月8日、憲法問題調査委員会の松本烝治委員長より、「憲法改正要綱」「憲法改正案ノ大要ノ説明」等がGHQに提出された。 ★2月13日、外務大臣官邸において、ホイットニーから松本国務大臣、吉田茂外務大臣らに対し、さきに提出された要綱を拒否することが伝えられ、その場で、GHQ草案が手渡された。後日、松本は、「憲法改正案説明補充」を提出するなどして抵抗したが、GHQの同意は得られなかった。 ★ そこで、日本政府は、2月22日の閣議において、GHQ草案に沿う憲法改正の方針を決め、2月27日、法制局の入江俊郎次長と佐藤達夫第一部長が中心となって日本政府案の作成に着手した。3月2日、試案(3月2日案)ができ上がり、3月4日午前、松本と佐藤は、GHQに赴いて提出し、同日夕方から、確定案作成のため民政局員と佐藤との間で徹夜の協議に入り、5日午後、すべての作業を終了した。 ★3月6日、「憲法改正草案要綱」が日本国民に公表された。 ★同要綱は、「日本政府案」として発表されたものだが、GHQが深く関与したことが明白であったため、日本の憲法改正に関する権限を有する極東委員会を強く刺激することとなった。 ★また、米国政府にとっても「寝耳に水」であった。 ★極東委員会はマッカーサーに対し、「日本国民が憲法草案について考える時間がほとんどない」という理由で、4月10日に予定された総選挙の延期を求め、さらに憲法改正問題について協議するためGHQから係官を派遣するよう要請した。 ★しかしマッカーサーはこれらの要求を拒否し、極東委員会の介入を断固として拒否した。 ★明治憲法73条の手続きに従って可決され、天皇陛下は、 「どのような扱いになろうとも、受け入れる準備はできている」 と、側近に漏らしたと言う。 ★昭和21年11月3日、日本国憲法として公布され、翌年の5月3日、施行された。
お礼
有り難うございます。 しかし、 申し訳ない 質問のポイントへの言及を お願いしたい。
お礼
有り難うございました。