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明治憲法は、立憲君主制を規定した憲法ですか?
明治天皇も、昭和天皇も、みずから、主体的に、 立憲君主として振る舞われた感じがありますが、 果たして、大日本帝国憲法は、正確には、 立憲君主制を規定した憲法と言えるのでしょうか?
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A No1です。 天皇大権は 6・9条で立法。 (法律を作る権利。9条は特に独立命令大権と呼ばれ、法律以外の"命令"が可能です) 7・34・42・43・44条で議会(召集や解散など。今の天皇に近いものです) 8・70条で緊急勅令。(戒厳令などの緊急時の対応です。) 31条で非常大権(戦争時に臣民のすべての権利を停止できます。) 15・16条で栄誉・恩赦(勲章あげたり、罪を許したりできます。) 73条で憲法改正 そして11条で統帥大権が規定されています。 他にも天皇が有する権利は第一章に多く書かれています。 義務教育の中学校あたりで配られる副読本でも読めば書いてあるはずです。 結局のところ、質問者さんの本当の質問は「天皇って戦争とめる権利あったの?」 ということですよね。これは帝国憲法11条にあるように「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」ので、 天皇の許可無く軍を動かすことができないのですから、「お前等!戦争するな~!!!!」 といえば、天皇は戦争を止めることができました。 ところが、昭和帝はそれをしませんでした。 最近公表された侍従長の記録によると、本心では必ずしも快く思っていない人たちの 意見も受け入れているのです。これは何故か? 話は少し飛びますが、天皇機関説という憲法解釈理論があります。 平たく言うと、天皇とは単なるシステム上の存在だよ、と言い切ったものです。 当然、これを主張した人々は不忠であるとの評価を受けることとなりました。 一方でこの学者を擁護した昭和帝の言葉に以下のようなものが残されています。 「一體日本のやうな君國同一の國ならばどうでもよいぢやないか。」 まさに王!何を言っているのかというと「俺が国だ!」と言っています。 単に文字だけを見るとすごい傲慢じゃん・・・ と思われるかもしれませんが、そういうことですらなく「俺が国だ」というのは 天皇は個人ですらなく、究極的には「国事の責任は俺にある」 ということを言っているのです。 そもそも責任者とはなんであるのか。 部下の行動を諌めるのももちろんですが、決断を行い、部下のミスを 「自分の責任である」と言い切れる人のことです。 つまり昭和帝こそまさに国の責任者であり、戦争を起こした責任を持つのです。 もちろん、臣下が身を挺してその責任を負った、という事は評価に値することです。 しかしながら、彼に崇高な「戦争責任」を負わせなかったことは、犯すべからずとされた 絶対の神聖を汚し、天皇を「国」ではなく「人間」とした契機だったのではないでしょうか。 先の侍従長記録は私的発言集みたいなもので、少し人間ぽい発言も書かれているんですが 少なくとも公の場で、昭和帝はその類の泣き言や押し付けを口にしたことは無いです。
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- pri_tama
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>拒否権がないという証拠は憲法のどこかに >銘記されていますのでしょうか? あくまで一般的にですが、帝国憲法に拒否した場合にどのように扱うかが規定(まあ議会は、天皇の立法の協賛組織であると規定されているのですから意に反した議決がされる事は建前上無いとされていた…。)されていないので、天皇は議会で協賛された法律を拒否するという選択肢は与えられていないと考えられています。 (日本国憲法の「特定の自治体のみに適応される法律は、住民の投票においてその過半数の同意を得なければ否決する(第95条)」の様に、対応する条項が存在しなければならない。) 第4条に「統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあるので、憲法の条規に依っていない行為は統治行為とは認められないと言う訳です。 ただ異論を提示する方がまったく無い訳ではありませんが、それを認めると現日本国憲法にある 天皇の国事行為 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。(第7条) 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。(第74条) これらの行為を各々が拒否した場合に、法律が廃案になる事を認める事になり、あまりにも現状から乖離した解釈と成りますので、帝国憲法の解釈でも拒否は出来ないと解釈します。 イギリスの場合は、元々決議法案に対して国王が拒否する権利が与えられ、且つ厳粛に行使され、そして最後の行使から現在に到るまで、国王から其の権限を剥奪するという法律が可決施行されていない為です。 >「天皇の親政」を輔弼するという考え方もあるようです。 確かに天皇の親政を助けると言う面も有りますが、 輔弼 第55条2 「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」 に規定されたように、天皇が何らかの国務に関して関与する場合、国務大臣ノ副署を実施させると言う行為(賛成)を必要とする訳です。 無論反対する大臣を罷免しても良いのですが、日本国民全員が反対する件に関してだけは、天皇はどう努力しても実行する事が出来ないと言う縛りが有る訳です。 日本国憲法下では、内閣総理大臣は全ての国務大臣を罷免し、自身が全ての大臣を兼任する事で、極端な話だと日本国民全てが反対する行政行為を強行できたりする事ができる点が対照的です。[解散権など] >天皇陛下が一喝して、確か、張作霖事件の時、 >田中義一内閣がふっとんだり、 >2.26事件、ポツダム宣言受諾などの大権行使などを考えると まあ、天皇の大権(独断で行使できる権限)には文・武官の任免(第10条)や戒厳令(第14条)や陸海軍の統帥(第11条)や宣戦布告・講和と条約の締結(第13条)などが有りますから、上記の行為は明治憲法で規定された立憲君主制と相反する行為ではありません。 (天皇家が代々「君臨すれども統治せず」と言うイギリス方式を守ってきたので、特筆されるだけです。) ヨーロッパやアジア等に現存する各立憲君主制の国家も、必要(実施し無い方が、当時の立憲君主として無責任かと)と有ればこれらの権限を行使します。 (リヒテンシュタイン侯国が君主権限で総選挙の無期延期を実施したり、タイ王国の政治に対する国王の関与など) >つまり、天皇が、「お前等!戦争するな~!!!!」と >御前会議で一喝してどなれば、 >戦争はしなかったのではないかと・・・・・・・・ 怒鳴ったかは知りませんが、9月6日御前会議で戦争やむなしとの重臣の言を非難し、最後の最後まで話し合いで解決するよう厳命しています。 その後、ハル・ノートが突きつけられる11月26日まで、日本側の必死な外交交渉が続けられる事になるのですが…。 (外交交渉の実施には当然「輔弼」が必要になりますから、政府・軍部が話し合いによる解決を断念した以上、戦争は避けられません。) まあ、天皇の心情がどうであれ、政治が進んでしまうのは当に大日本帝国が立憲君主制国家であった事の証拠ですが。
お礼
なるほど、大変参考になります。感謝です!! 「輔弼」とは、大臣などの上奏できる方々が、全責任を負う いう意味では、確かに立憲君主ですね。 輔弼という言葉の定義、また、実際に、それに基づき、 どのように、時の天皇が振る舞われてきたか?が大事なんですね。 (外交交渉の実施には当然「輔弼」が必要になりますから、政府・軍部 が話し合いによる解決を断念した以上、戦争は避けられません。) これが全てを説明していらっしゃいますね。 どうも有り難うございました。
- pri_tama
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大日本帝国憲法には、立憲君主制の根幹たる立憲主義と君主制を規定しているので、戦前の日本の体制は立憲君主制であったと言えると思います。 ・立憲主義 帝国議会に対する規定(第33条~第54条)があり、特に「第37条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」(協賛=決議)とあり、国民の権利や義務と言った物を君主が自由に変更できなくしている。 また、議会の一つである衆議院は公選で選ばれた議員で構成され(第35条)、公選が正当に行われるよう国民には、言論の自由・結社の自由(第29条)や信書の秘密(第26条)などの権利が、法律の留保のもとで保障されています。 さらに司法は天皇の名の元に行政より分離・独立させられています。(第57条) 国政にとって最も重要な、国家の歳出歳入は毎年議会での協賛を必要とする規定されいます。(第64条) そして、憲法を改定する場合には、議会で3分の2以上の議員が参加した上で、出席議員の3分の2以上の議員が賛成しない場合、改定をする事が出来ないと定められています。(第73条) ・君主制 大日本帝国の統治(主権者)は、万世一系(血統主義)の天皇が行う。(第1条) 皇族たる者の規定および皇位の継承は、憲法とは別に定められる皇室典範に依り議会の関与を排す。(第2、74条) 国家元首は天皇であり、統治は憲法の条規に従う。(第4条) 皇室費などによる間接的な議会の干渉を排す為に、毎年定額を支出し、増額する時以外は、議会の協賛を要さない。(第66条) 以上から、大日本帝国憲法は立憲君主制(学者によって厳密な定義が微妙に異なりますが)を規定する憲法としては、まるで教科書のように明確に規定して有ると思うのですが…。 しかし現在の日本の憲法には上記の規定が明らかに曖昧なのですが、政府の公式見解では「(日本の政体は)立憲君主制と言っても差し支えないであろう」という事に成っており、逆に問題のような気もしますが…。 1973年6月28日参議院内閣委員会、政府委員・吉國一郎内閣法制局長官答弁 1988年10月11日参議院内閣委員会、大出峻郎内閣法制局第一部長答弁 まあ、イギリスの様にそもそも成文憲法が存在せず、尚且つ国王に法律の拒否権(まあ、行使する事は無いと思いますが…。)が存在しても、立憲君主制だと認知されている事例も有りますから、憲法に拘りすぎるのもどうかと思いますが…。 (拒否権が存在する事が、絶対君主制の要件の一つなのですが…。)
お礼
どうもご丁寧に感謝です。 大変よく参考になりました。 私も、拒否権があるかどうかが、肝心要だと思う者の一人ですが、 「天皇の親政」を輔弼するという考え方もあるようです。 つまり、天皇の政治ではあるが、それを輔弼し全責任を負うので 天皇は、無答責であると・・・責任がないというだけであって 拒否権はあったのではないか・・・? 拒否権がないという証拠は憲法のどこかに 銘記されていますのでしょうか? 天皇陛下が一喝して、確か、張作霖事件の時、 田中義一内閣がふっとんだり、 2.26事件、ポツダム宣言受諾などの大権行使などを考えると、 確かに、天皇が、「現人神」であるという一点において、 「拒否権」を持っていたが、慣習として、立憲君主として 振る舞われていたので、ただそれゆえ、 立憲君主制と言えるのではないか? という感じもしてしまうのですが、違いますのでしょうか?? つまり、天皇が、「お前等!戦争するな~!!!!」と 御前会議で一喝してどなれば、 戦争はしなかったのではないかと・・・・・・・・
- kawakawakawa13
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言えますよ。 立憲君主制は、国王ですら、守るべき法があり、それに従うということですから。 日本の場合、明治維新やその後の経緯を見れば、天皇は統治の道具であり、「錦の御旗」であることが良くわかります。 諸外国と違い、天皇家が独自に兵を集め、戦略と武断を持って自ら統治したのは、「建武の親政」で終わりを告げています。
お礼
どうも有り難うございます。 具体的には、憲法第何条に規定されているのか? 教えていただけませんでしょうか?
補足
http://plaza.rakuten.co.jp/kouzen/diary/200505070000/ 先ほど、見つけたんですが、この輔弼という意味が 重要な鍵を握っているみたいなんですが、 何か、お考え在りますでしょうか?
- wiz0621
- ベストアンサー率42% (182/430)
我々は法によって権利を保障されていますが、君主国では違います。 結局のところ、この世の全てを統べる神の地上の代行者=君主はすべての権利を 持っているのです。 そこで憲法に「これとこれは、天皇さんならやっていいよー」 と決めるわけです。それ以外の権利に関しては(間接的にですが)存在していないよ という制限をしたのが立憲君主国です。 帝国憲法をぺらぺらめくると解るのですが「天皇大権」という 天皇しか持っていない権利がいくつか書かれています。 本来のイギリスでは民衆と王様がケンカになって、結ばされた約束というスタイルですし 日本とは違いますよね。そして現代の視点からみれば、天皇大権はものすごい権利です。 一見すると制限したものに見えないかも知れません。 ですが、まさにこれこそが立憲君主国の憲法そのものと言えるのではないでしょうか。 ただ、日本の議会はそれを言えるほど強くなかったんですよねぇ。 王様強すぎたんじゃないの?という批判はあったようですよ。
お礼
どうも有り難うございます。 憲法第何条に規定されているのか? 教えていただけませんでしょうか?
お礼
大変どうも有り難うございます。感謝です。 何かの本で、確か、半藤一利の「昭和史」だったように記憶しますが、 天皇は、ご自身で、「天皇機関説」を肯定するような ご発言をされたとありました。 ので、立憲君主として振る舞われていたのでは? 確かに、大権を振るわれるときも、全て輔弼従ってそれを 行っていたと、保佐氏の本など読んでも書かれています。 しかし、軍の統帥権は確かに独立しているかように思えます。 問題は、軍隊に対しては、そうでも、 政治は心(主)であり、軍隊は体(従)とお考えであられた 天皇にとって、「国務」に対しては、立憲君主としての 輔弼制度に従わなければならなかったのでしょうから、 当時の軍閥政権(国体明徴声明以後の輔弼権限を参謀本部等が 陸・海軍大臣等により横取りされてからの政権)が決めたことには やはり逆らえなかったのでは・・・ ・・・と言う気も致します。その当りはどうなのでしょうか??
補足
誤字訂正です。すみません。 輔弼従ってそれを→ 輔弼に従って 国体明徴声明以後の輔弼権限を参謀本部等が 陸・海軍大臣等により横取りされてからの政権 → 参謀本部等に、陸・海軍大臣等を通して