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昭和天皇と東條秀樹と民主主義への変遷
- 昭和天皇と東條秀樹の関係や民主主義への変遷について詳しく書かれた本を読んだ結果、いくつかの疑問が生じました。
- 明治憲法について、中国人や韓国人を平気で殺せるという弱点があったと主張されています。
- 昭和天皇によって日本が救われたという主張や、昭和天皇と米国によって東條秀樹が民主化のための生贄にされたという主張について真相を知りたいと思っています。
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・昭和天皇によって日本が救われたという(竹田氏あたりの発言)ことは嘘ではないのか。 ポツダム宣言を受け入れるかどうかの御前会議は意見が割れて結論がでませんでした。海軍は受諾派。陸軍は強硬派でした。そこで昭和天皇がご聖断を下し、終戦が決まりました。みんな泣きました。 更に昭和天皇はラジオで終戦の詔勅を読み上げました。これで全将兵は戦闘を止めました。天皇がいなければ本土決戦になったのは間違いなく、そうなっていれば北半分はソ連に占領され北日本人民共和国ができていました。昭和天皇の決断が日本を救ったのは事実です。 ・昭和天皇と米国と民主化のために東條が生贄になったとはどういうことなのか。 東條英機首相が生贄になったというのは事実です。連合国としては戦争に勝ったんですから当然、首謀者の幾人かを死刑にしたかった。ニュールンベルク裁判でもナチスドイツの幹部を処刑しました。 東條首相は日米戦争開戦時の総理で、大きな権限をもっていましたので格好のターゲットでした。 日本側の弁護士は東條に「天皇に責任が及ばないようにあなたがた軍幹部が天皇の命を無視して戦争を拡大したことにしてくれ」と頼みました。東條は忠臣でしたので逆臣にはなりたくなかった。絶対に嫌だった。でも考え抜いた末、陛下を救うために自分は敢えて逆臣になろうと決意し、東京裁判では「自分たち軍部が天皇陛下のお考えを無視して戦争を拡大した」と述べました。もしこの発言がなかったら天皇が裁かれていたでしょう。もし天皇が処刑されたら日本国民が激怒しゲリラ戦が勃発していただろうし、マッカーサーの日本統治はたいへん難しいものになっていたでしょう。日米関係に大きなしこりを残していたでしょう。 東條英機は真面目な人でした。任務に忠実な人でした。現代の世に生まれていたら優秀な官僚になっていたでしょう。生まれた時代が悪かった。家族を愛するよきパパでした。 歴代総理の運転手を務めた人が戦後、自由にものが言える時代になり、記者のインタビューを受けました。 記者 「貴方の目から見て、歴代総理の中で誰が一番立派でしたか?」 すると運転手は座っておりましたが、すっくと立ち上がり直立不動の姿勢をとり、 「はい、それは東條閣下でありました!」 と言いました。 東條は運転手にも心遣いができる立派な人だったんです。 東條は忠臣でありながら逆臣の汚名をみずからかぶり、全世界の人から憎まれ、あろうことか日本国民からも恨まれ、天皇陛下を守って絞首台の露と消えました。心からご冥福を祈ります。合掌。
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- mekuriya
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平気で殺されていたのは日本人の方じゃないですか。初代総理大臣を務めた伊藤博文を殺したのは誰だ?安重根でしょうが。壬午事変、尼港事件、通州事件、南京事件、上海日本人僧侶襲撃事件、 中村大尉事件、、、、。殺されまくっているのは日本人の方じゃないですか。たわけが。当時の中国、韓国にいったいどういう強い憲法があったというのか。
- bismarks0507
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回答するお >・韓国人や中国人を平気で殺せる明治憲法における弱点とは何か。 サッパリ不明である 現憲法も諸外国の憲法も、外国人を平然と殺せる憲法である そもそも、殺人行為を戒めるのは憲法ではなく、刑法の領分なので、憲法云々で指摘するのが、勘違いも甚だしい・・・それだけの話である >・昭和天皇によって日本が救われたという(竹田氏あたりの発言)ことは嘘ではないのか。 「救われた」の意味次第であろう そもそも昭和天皇の意思決定過程のその背景について、十分な資料が存在しているわけでもないのに、おおよその伝聞と真贋不明な伝聞・憶測で推論したものなのであって、適切な回答が出来る話ではない むしろ、この部類の話を軽薄に論じる輩の政治論理や言論倫理からして、怪しすぎる もっとも、その怪しいレベルを嬉々として消費する輩もいるわけで、それはそれで勝手なのだろうが >・昭和天皇と米国と民主化のために東條が生贄になったとはどういうことなのか。 さぁ? 民主化の意味次第であることも当然の話 そもそも、大東亜戦争当時は、軍国主義と評価されることはあろうが、それが民主主義ではない、という論理的結論は適切ではないだろう つまり、民主主義でもあり、軍国主義であった、という認識も十分ありえるという話である そもそも生贄というニアンスも意味不明だが、エスケープゴートになったという評価は、極東軍事裁判の経緯・内容を精査していない輩の妄言としか思えない 厳格に資料を精査すれば、そのような妄言は、法廷資料からまずありえないし、極東軍事裁判はアメリカ主導性など認める余地はないのだから、ナンセンスな話である まぁ、2万ページ以上の法廷資料を全面的に精査することは大変だが、論点の箇所だけ抽出して検証すれば、指摘される見解などは、単なる妄想の類であろう もっとも、その妄想を一部の人間で共有化すれば、”妄想ではない状況のように”認識できるわけだが・・・・上部構造・共有幻想論などは陳腐な話だが、その類であろう 付言 >「昭和16年、夏の敗戦」という物凄く詳細に書かれている本を読みました。 あれが?(爆笑) 資料の出典関係で怪しい話も多いのだが? 戦後処理の資料は、どれも主観的見解が多く散見されるものが多いので、小生などはどうしようもない文献群としか思っていないのだが? まぁ、時代考証などのある程度の前提知識を前提にしても、日本の戦中資料など、真っ当なものはないし、加筆されるのが常なので、あしからずw
補足
・・・また消えてる。。。 改めて教えて欲しい事があります。 これまで読んで来られた中で納得できた本を教えて頂けませんでしょうか。 また同じ質問なので消えるかも知れませんが。
- Oubli
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東條 英機でしょ 嫌いな人ですが、嘘綴りで名前を書くのは良くないですよ。
補足
そのとおりですね。本当は自分で、違うよな、とは思っていながら、 睡魔に負けて分かって貰えるだろうという甘い考えで載せてしまいました。 ゴメンナサイ。
お礼
やはり東條閣下は偉大だったのだと再確認させて頂きました。 この度は誠にありがとうございました。
補足
ここ書いて下さったことは「昭和16年、夏の敗戦」のままなので、 そういえば同じ事が書いてあったなくらいしか思いつかないのですが、 僕は東條英機という人が立派な人だったと思えてしまいました。 この点が一致したことは素直に嬉しいことでした。 ありがとうございます。