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豊臣秀次の娘
真田丸では、秀次の娘を側室に迎えて、ルソンに逃がしたことなっていますが、実話でしょうか、フィクションでしょうか。ご存知の方、お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
少なくとも歴史にそんな記録はありません。だからこそそういう話を作り上げたのです。「時代考証」というのは、確実に起きたことと矛盾するストーリーになっていないか検証するということなので、すべてが分かっているわけではないですから、それ以内なら脚本家の自由に設定することができるわけです。
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- あずき なな(@azuki-7)
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まぁ秀次の子の中に生き残りが居ても不思議ではありません 書物によれば秀次の子は36人とも40人とも言われています 秀吉がその全ての子を把握してたとは思えません 何人か隠してても不思議ではないでしょう そもそも真田丸自体フィクションなんだから そこへ持ってきて史実を使う必要はありませんね
お礼
真田丸自体がフィクションだとは知りませんでした。 ならば史実を使う必要もないですね。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
gesui3 さん、たびたび申し訳ありません。 ithiです。 隆清院の詳細がわかりました。 下記のURLを参照ください。 http://rekishi.sseikatsu.net/ryuuseiin/
お礼
ありがとうございました。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>秀次の娘を側室に迎えて、ルソンに逃がしたことなっていますが、実話でしょうか ルソンに逃したのは、フィクションでしよう。 三谷幸喜的な、演出だと思いますね。 また、真田信繁には4人の妻が存在した事になっていますね。 正室が、大谷行部の娘です。 真田丸では、真田信繁が「秀次の娘(隆清院)を側室に」となっていますよね。 和歌山県九度山の逸話では、「隆清院」は真田信繁が九度山に謹慎蟄居した時に側室になった事になっています。 東北地方にも、隆清院の逸話が残っていてお墓もあります。^^;l まぁ、歴史は「勝者がつくる」ので確かな事は誰にも分かりません。 余談ですが・・・。 私の地元には、大坂の陣で敗れた真田信繁が秀頼と大介を伴って逃げ延びた話が残っています。 御多分にもれず、この地の実力者の娘と良い仲になり一子をもうけました。 刀と家紋(六文銭旗)を渡して、薩摩(鹿児島)に向かったとの事です。 嘘か真か? 某国と異なり、国が都合の良い様に正しい歴史を決めないので「色んな歴史があり、楽しい」ですね。^^;
お礼
「色んな歴史があり、楽しい」です。 ありがとうございます。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
gesui3さん、こんばんは。 どうやら、生き残りがいたようです。お菊とその姉と問題の隆清院というのだそうで、事件の時、生後一か月だったようです。生存したのはお菊と同母の姉がいたようですが、母方の親戚のところに預けられていたようです。この他に隆清院という信繁の側室になったというのはずっと後だと思います。一説には京都の公家菊亭家出身だとされています。 お菊 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%8F%8A 豊臣秀次 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E6%AC%A1
お礼
そうでしたか。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
gesui3 さん、こんばんは。 フィクションでしょう。秀次の娘を側室にするとするとその夫である人もおとがめを受ける可能性があります。
お礼
ですよね。 ありがとうございました。
お礼
創作ですね。 ありがとうございます。