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豊臣秀次謀反の根拠は?
豊臣秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられて自決させらますが、 その謀反の疑いのもとになったもの、根拠は何でしょうか? 秀吉を暗殺するような動きをしたのでしょうか、 それとも誰かの讒言があったのでしょうか? あるいは素行不良が端を発しているのでしょうか。 よろしくお願いします。
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>その謀反の疑いのもとになったもの、根拠は何でしょうか? そもそも、根拠は無いようです。 秀次・秀次一族の処刑後に、色々と根拠を付け足した様ですね。 忠臣蔵で有名な浅野の殿様も、一種の病気が原因でした。 (歌舞伎では)吉良の悪口雑言が原因とされていますが、吉良家にとっては非常に迷惑な話です。^^; >それとも誰かの讒言があったのでしょうか? まぁ、物語的には「石田三成」となっていますね。 >あるいは素行不良が端を発しているのでしょうか 秀次の素行というよりは、秀吉の病が原因でしよう。 「老人性・・・」という病気です。 今で言う、モンスター老人ですね。 平成の世でも、突然「キレル」老人っていますよね。 (60歳以上の犯罪は、毎年増加。「暴走老人」に詳しく載っています) 神戸港のフェリー乗り場でも、100人程度乗船待ちで並んでいるのに「平気で、先頭に割り込む老人」がいます。 注意すると、凄い剣幕で怒り狂いますよ。^^; この老人の場合は、地位も権力もありませんから何ら怖くありません。 が、秀吉ともなると地位も権力もあるので怖かったでしようね。 自分の思い通りにならなければ、暴走するのです。 余談ですが・・・。 ウィ○ペディ○の記事は「こういう意見もある」というレベルで考えて下さい。 管理者の思想に合わないUPは、サイト嵐として削除してるようですからね。 偏った記事になる傾向があります。 当然、私の回答も「こういう意見がある」に過ぎませんが・・・。
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- mekuriya
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全くの事実無根です。豊臣秀吉を美化した太閤記作者が捏造したのです。秀次事件は秀吉の乱心の所業というほかない酷い事件でしたから、秀次が謀叛したという根も葉もない作り話を捏造しない限り、とりつくろいようもないわけです。そういう作り話を間に受けてあれこれ想像しても意味がありません。歴史にはそういうことがよくあります。戦国時代が終結し、豊臣政権を磐石なものにするためには、余剰人員を粛清する必要があったのです。そのリストラの手段が朝鮮出兵であり、秀次事件だった。それが私の解釈です。政権を握った途端に今度は味方が邪魔になる。無限に恩賞を与えるわけにもいかず不平不満がたまります。かつて手柄を立てたものでも容赦なく首を切る必要がある。古今東西の時代の変わり目には必ずそういうことが起こるのです。ソ連ではスターリンが人民裁判にかけて政敵を陥れて失脚させ、自分がやった悪行は全部自分の部下がやったことだとでっちあげて自分の配下だった人間も情け容赦なく処刑しました。それでスターリンは有力な武将を失って独ソ戦で苦労するハメに陥ったわけです。このように秀次事件は秀次が何をしたわけでもなくて、それは豊臣秀吉が起こした事件であるということです。秀次事件では多くの大名や武将が連座しました。秀吉にとっては余剰人員をリストラする口実、大義名分があれば良いし、無ければ作ればよいということだけだったわけです。 結局、それが豊臣政権の終焉を早めたというのは結果論であって、それ以上はいいますまい。徳川家康だって、東軍諸将にはいったんは過大な領地を大盤振る舞いしても、あとで些細な口実をつかまえて、改易に追い込んだりしています。その代表が福島正則です。結局、豊臣秀吉も徳川家康もやっていることは本質的には同じであり、それはリストラ策だったということです。現代では命までは取りませんが、当時は自決を賜るということだった。酷い話ですが、それも歴史です。
- TANUHACHI
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人一倍「権力志向の強い」秀吉のことです。自らよりも優れた者、自らが持っていない才能や才覚を持っていた者を次々と排除していきます。妄想に取り憑かれた哀れな老人にすぎないといったところでしょうか。そのために数々の人物がこの世から不合理にも去らざるを得なかったことだけは確かです。
そもそも秀次に謀反の事実や素行不良の事実はありません。 秀吉にとって秀次の存在が邪魔だったために消されただけです。
gooウィキペディアに詳しく 掲載されています。 そちらをご覧下さい。