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上野公園の彰義隊墓碑・記念碑がないのは淋しい
- 上野公園にはかつて彰義隊のお墓がありましたが、現在は除去されているようです。これは日本人として嘆かわしいことです。
- 上野公園は元気さがあり、小さいお店も頑張って残っていますが、彰義隊の歴史的な場所が商業施設に押されていくのは残念です。
- 彰義隊の本営であった寛永寺は上野博物館になっており、最後まで戦った「上野戦争」の歴史を残してほしかったと感じます。
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上野の彰義隊墓所(墓碑・記念碑ではなく「墓所」だと思うのですが)がなくなったというのは、何かの勘違いではありませんか。2016年5月時点で、上野彰義隊墓所で慰霊祭が執り行われたという記事もあるのですが。 墓所近くにあった墓所事務所・資料室は、2003年になくなっていますね。彰義隊墓所を建設し、その後、実質的に独りで墓所を維持管理してきた墓守・小川家の都合(病気・転居)だったそうです。資料室の史料の大半は台東区教育委員会に寄贈されたそうです。 ・しのばず自然観察会&彰義隊・上野公園(墓守だった小川家の一族の方によるページのようです) http://www.ac.auone-net.jp/~sinobazu/syogitai.html このページでも、上野彰義隊墓所はまだあります、とわざわざ書いているので、資料室の撤去を墓所の撤去だと勘違いした人が結構いるのかもしれませんね。 こういった墓所の維持管理や慰霊祭・顕彰祭などの行事の継続は、主に子孫を中心とした維持団体がしっかりしていないと、あっという間に維持できなくなってしまいます。さらに、上野の彰義隊墓所はその設立の経緯からして、公的な記念碑としてではなく、末裔による私的な墓所としての性格が強く、公共の公園内に設置するのは本来ならNGだったのが、歴史的意義に考慮して特別に認められたという経緯があるようです。 上野彰義隊墓所が忘れ去られるのが惜しいと言うのであれば、何らかの形で維持管理にご助力なさってはいかがですか。顕彰団体に協力するとか、地域ぐるみの維持活動になるようにその意義を地元や自治体に働きかけるとか。 その価値を認める人すら、何もせずに「なくなるのは惜しい」とか言っているだけでは、その価値を他の人が新たに知ることはないですし、いま維持している人の限界が来た時点で、終わってしまいます。 例えば、江戸時代の藩主の墓所でさえも、自治体の文化財として一応は登録されているので最低限の維持管理はされていても、子孫がすでにいないとか東京に出ていて滅多に帰郷しないとかで、子孫の地元への影響力はなくなっていて、墓所も地元の人にもすっかり忘れられていたり手入れが行き届かなくて荒れ気味、ということがあったりします。特に墓所というのは、史跡である前に、「子孫が守る」宗教施設の側面が強く、その子孫が維持管理できなくなったときにどうするか、という問題がついてきます。特に幕末以降の史跡は、当時を直接知る人達がいなくなった昭和末期頃から、そういう問題が起こっていると思います。
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- eroero4649
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内情を知っているわけではないので、推測になります。結局のところは、「残して欲しい声<再開発を望む声」ということになったのだと思います。 さて、その痕跡を残して欲しいと望む人はどんな人でしょうか。地元の人と歴史が好きな人だと思います。あの界隈は下町の風情が残っている場所ですが地元の人がそれほど多いわけではありません。 一方、「東京を作っている人たち」というのはどういう人たちでしょうか。まあはっきりいうと、地方出身で東京で一旗揚げてやるとやってきた人たちです。彼らにとっては東京は憧れの場所ではあるかもしれませんが、自分が生まれ育った場所ではないのでその歴史に愛着もなければ知識もないでしょう。そこに銅像や石碑があっても、「昔ここで何かがあったらしい」程度の認識です。そうなれば、その痕跡を壊してしまうことに対してもノスタルジーな感傷は起らないでしょう。 だから、「観光客を呼ぶために江戸城天守閣を再建しよう」なんて声が出てくるんですよ。江戸城天守閣は江戸初期の振袖火事で焼失して、以降は再建されませんでした。忠臣蔵の討ち入りのときにも、暴れん坊将軍の時代にも、八っつあん熊さんの江戸落語の世界にも、今に伝わる浮世絵にも、時代劇の時代(ほぼ幕末)にも、江戸城天守閣はなかったのです。だから、歴史的には「シンボルとしての江戸城天守閣」ってのはほとんど存在しないのですよ。それを「再建して観光客を誘致しよう」と言い出すわけですから歴史を知らないどころかリスペクトの気持ちさえないのが明らかです。「金になるなら何でもいい」のが見え見えですよね。 ただ、「東京の歴史」というのはひたすらにスクラップアンドビルドの歴史でもありました。銀座には日劇(日本劇場)というシンボリックな建物がかつてありました。今の有楽町マリオンです。マリオンには日劇を思い出させるものは何ひとつ存在しません。日劇は完全に亡き者にされたんですね。まあそういうものは東京じゅうにあります。逆にいえば、そこにいちいち郷愁を持っていたらキリがなくなるのが東京という街でもあります。
お礼
では、なぜ「西郷隆盛」「小松宮彰仁」の銅像は残っているのだろうか? 日本は、目に見えないものの価値をあまり大事にしないから、歴史が溶けて いきやすく、遺す遺さないを判定する羅針盤も脆弱です。 ここはイギリスやアメリカを見習ってほしい。 結局のところ、日本は「金」の話題が好き。 「上野戦争」を説明する掲示板でもあればいいのですが、今度、探しに行こうと 思います。 ありがとうございます。
- maiko0333
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記念碑を作れ、残せという話はあちこちにありますが、 管理費は誰が出すのでしょう? 記念碑の掃除、周りの草むしりなど、結構お金がかかります。 記念碑がある以上、永代にかかる費用です。 あなたが生きて、死んだあとも永遠に・・・ 都民が出すの?それとも国?税金かけてまで掃除する意義がどこにあるの?
お礼
「記念碑」といっても、規模や意義はさまざまです。 「彰義隊」は管理費が原因だったのでしょうか?? ご回答ありがとうございます。
補足
少なくとも、歴史の教科書に載っているものは残すべきでは ないかと思います。 どこかに、残っているといいのですが・・・という質問です。
お礼
詳細をありがとうございました。 見当たらなかったので、次回に行ったときに探してみます。 「墓所」という形ではありますが、もはや遺跡のような痕跡ですから ホッとしました。 微弱ですが、協力は惜しみませんし、資料も見に行きたいと思います。 「上野」ですよ。 「あぁ上野」 上野で「このような戦いがあったんだー」ということがわかる解説や掲示板、 パネルは目立つところに欲しいです。 上野に立って、散歩したときに、そういう場所だったんだーということは、 じみじみ噛みしめたいものです。 文化財に指定された「墓所」の事情はわかります。納得。 あとは地域の教育委員会や歴史編纂会、観光協会、地元の有志の方々が、 その文化財をどう扱っていきたいかという考え次第です。 遺跡や碑は、ビルや駐車場と違って、建て替えがききませんから、慎重に考えて 守って頂きたいです。 その土地がその土地であるための理由や根拠がありますから、それがなくなると もはやどこもかしこも皆、同じということになってしまいます。 あー味気ない。 目に見えるものだけを追っているから、殺伐とした人間が増えていることにも 気がついてほしいです。
補足
「歴史は正しく遺してほしい」これが私の質問の主旨です。 上野公園の敷地のすべては、もとは寛永寺の境内内にあり、 「上野の山で、上野戦争という戦いがあった」というような説明。 もっと、わかりやすく見やすく描かれたパネルがあってもいいのになぁと 思いました。 文化財は、歴史において勝ったものに陣どられ、現存する役人に遺す遺さないを 分別され、住民が管理費がないと騒いだ結果、存続の危機にさらされるという 運命にあります。 そういう運命をたどらないように、文化庁も目覚めてほしいです。 個人には限界がありますから、 やはり政府の後ろ盾こそ大事ではあるところですが・・・・ナカナカ。