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お台場の第三砲台跡について
先日、お台場公園の第三砲台跡を見てきました。 黒船来襲に備えて…ペリー…江戸幕府…ふぅん、昔歴史の授業で聞いたかもなぁ…くらいに思ってたのですが、帰り際にふと看板を見ると、「砲台跡とかまど場は江戸時代のものではありません」の表記が。 ん??江戸時代じゃないの?でもペリー来たのって江戸時代よね… これって、レプリカということなんでしょうか? それにしては砲台跡もかまど場も、すごく歴史を感じさせる風体だったのですが… 歴史に詳しい方、何か知ってる方、教えてください。
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>これって、レプリカということなんでしょうか? この回答は、何を基準にするのか?で異なります。 先ず、(教科書通り)幕府は外敵に備えて先ず8つの台場を計画しました。 結果、1・2・3・5・6台場が完成。 1868年まで、幕府が親藩・譜代などが台場を管理運用します。 明治維新後、海軍省・陸軍省が台場を引き継ぎ改造したのです。 そこで、現存の砲台跡・かまどなどは明治時代の遺構となります。 昭和3年に、第三台場は公園化し現在に至ります。
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- gunsin
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回答No.1
大日本帝国時代に東京湾の守備の為に増強して作った海堡ですね。 木更津から横須賀間に第一海堡から第三海堡まで有ります。 木更津側から第一海堡、第二海堡、第三海堡です。
質問者
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
そういうことだったんですね! 分かりやすくありがとうございました♡