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明治政府要人の俸給とは?政治家のカネ事情について考察
- 明治政府要人の俸給の事情について調査しています。明治時代の政府要人は高額の俸給をもらっていたと言われていますが、具体的な金額や制度についてはウロ覚えです。
- 例えば総理大臣の年俸は現在の貨幣価値で4億円程度だと言われています。また、一つの職務に対して一定の俸給が設定されており、肩書きによって俸給が増えていたようです。
- 明治の政府要人の中でも西郷隆盛は子孫に美田を残さないという考えから、一つの俸給しかもらわなかったと言われています。ただし、現代の政治家のカネ事情に対しては嘆かわしいという意見もあります。
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下記のサイトによると、明治7年の太政大臣の月給が800円です(当時はまだ総理大臣がいなかった)。 また、現在の物価は明治初頭の1万倍くらいらしいです。ただし、大工さんの日当で比べると3万倍かそれ以上とも言われます。当時の大工さんはどうやって生活していたのでしょうか。 「公僕の俸祿たてよこ(上)」のグラフ「図表13 明治以降の民間給与と公務員給与の較差の推移(製造業男子との比較)」は興味深いです。明治15年の勅任官の給与は、製造業男子の63倍にもなっています。また、公務員内部でも格差が甚だしいですね。道理で、明治大正の小説などを読むと、勅任官だの判任官だのという言葉によく出くわすわけです。ちなみに、主計局主計官というのは財務省の中でもエリートコースです。 明治の官制度・物価 http://www.irisiomaru.com/materials/meijiorg.htm 〔引用開始〕 兼任は、給料を重複して支給されていたようです。 〔中略〕 表で明治7年を10000円と置いたのは、このときに明治2年の値が、幕末から算定した現在換算価値の12000円に最も近くなるためであり、明確な基準があるわけではありません。 〔引用終り〕 明治人の俸給 http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J022.htm 〔引用開始〕 官吏の俸給表の一部です。 明治8年9月の『官員録』から作成しました。 〔引用終り〕 国立国会図書館リサーチ・ナビ - 過去の貨幣価値を調べる(明治以降) https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-102809.php 公僕の俸祿たてよこ(上)(神田眞人・主計局主計官) http://www.mof.go.jp/public_relations/finance/f2207e.pdf 〔引用開始〕 明治の当初は、国家公務員の給与については身分給的な性質が強く、一定の較差は当然という考え方が取られていたが、 〔引用終り〕 森鴎外『ヰタ・セクスアリス』 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html 〔引用開始〕 お父様は或る省の判任官になっておられた。〔中略〕 その頃はまだ、書生が暑中に温泉や海浜へ行くということはなかった。親を帰省するのが精々であった。僕のような、判任官の子なんぞは、親の処に帰って遊んでいるより上の愉快を想像することは出来なかったのである。 〔引用終り〕
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- kurikuricyan
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貴方への質問への回答からは少し外れますが、、、。 大部分の政府要人は、かなり肥え太った人もいましたが、皆が皆 ゼニ儲け、、、ばかりではありませんでした。 有名な処では大久保利通。 彼だけは違ったようです。 大久保利通が殺害された後、膨大な借金が見つかったそうです。 当時で8000円。現在のお金にして2.5億円。その借金はすべて、 不足した公金を補う為に大久保が自分名義で借りた借金で、国家作りのために 大久保が個人的に親しくしていた人たちから借りたものだったそうです。 当時、政府は多くの公的事業を推し進めていましたが、財源不足に陥ってたため 大久保は友人、知人から借り集めたお金をそれらの財源に注ぎ込んでいたそうです。 政府中枢にいて巨万の富を得ることも不可能では無かった時代に 最後まで清廉を貫いたそうです。 政府は、協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8000円を回収して、 さらに8000円の募金をあつめて、大久保の家族を養うことにしたそうです。 元総理大臣の麻生太郎さんは、麻生財閥の一人ですが、 高祖父である大久保利通に習って、少しは、寄付を、、、と思ってしまいます(笑) もし、麻生太郎さんが、多額の寄付等をしておられたら、ごめんなさいね。
お礼
う~む、大久保の件は知りませんでしたが、 安田善次郎も誤解されて殺されていますね。 大久保はカネ云々で殺されたわけではないでしょうが、 世間がそういう事情を知っていればどうだったか。 回答ありがとうございました。
- Nebu3
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お二方が回答をなさっているので出る幕は ないのですが、ずっと以前に見た 史料でもう何だったか原典がわからなく 申し訳ありませんが1点だけ。 明治初期の大臣(卿)及び高位の役人は 武家時代の当主の感覚か手近の使える 費用にあまり公私の別がついていないようです。 というよりも、自分が公的な存在だから自分は 公的な金を使って何が悪いという感覚だったので しょう。 ある卿(外務だったか?)が役所の金をどんどん使い すぎてさすがに部下からとめられたとのこと。この件で 卿が責任をとったり問題になったことはないようです。 この感覚が国に限らず、組織を統治する人の感覚には あると思います。昔のように行かないのに感覚は変わらない。 (やはり本来の税とはそういうものなのでしょう。統治者を 養うためのもの)
お礼
回答を読んで”山城屋和助事件”を思い出しました。 Wikiにもありますが、小生は本で読みました。 利にさとい山県有朋のことだからリベートには抜かりが なかったとのこと。回答中の役所のカネを云々はこやつ も同類です。山城屋が割腹自殺して山県を守ったのです。 最後のフレーズ”税とは統治者を養うためもの”同感です。 いや贅沢、飽食させるためのもの、かも知れませんね。 回答ありがとうございました。
- Pinhole-09
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明治11年1月付け「改正 勅奏官等一覧があります。 それによると 月給 三条 実美 太政大臣 800円 岩倉 具視 右大臣 600円 大久保 利通 内務卿 500円 山県 有朋 陸軍卿 〃 黒田 清隆 開拓長官 〃 陸奥 宗光 幹事従四位 〃 大隈 重信 大蔵卿 〃 伊藤 博文 工部卿 〃 など203人が載っています。 西郷 隆盛 〃 (参考 前年西南の役で戦死)末尾に記載。 是は出版会社が版権を得、官公庁などに一部3銭で販売 していたものとの事。 解説では今の貨幣価値で、800円はざっと1000万円 とのこと。 このほか各種手当がつき5割増し位になったのでしょうか。 (あるいは倍かな) 別な資料に、明治19年の高等官職給表があります。 こちらは年俸です。 内閣総理大臣 9000円 外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法。文部、、農商務、 逓信各大臣は同じで 6000円 (月給500円) 次官 5000円 先の表と似たようなものです。 ちなみに当時標準的家庭では、月 20~30円で暮らせたという。
お礼
総理大臣の4億円はともかく、かなり貰ってた みたいですね。 回答ありがとうございました。
お礼
小生の言う”ハコ”というのが兼任はその職分づつ プラスされてたということですね。 回答ありがとうございました。