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武士はみんな柔術が使えた?
平安時代も鎌倉時代も室町時代も安土桃山時代も武士ならみんな柔術が使えたんですか?
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- hekiyu
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柔術は戦場での組み討ち術が発展したもので 柔術として確立したのは、天文元年(1532年)に竹内久盛が 開眼し、子竹内久勝が広めた竹内流が最初だと 言われています。 平安時代も鎌倉時代も室町時代も安土桃山時代も ↑ と、いうことで柔術として遣えたのは主に 江戸以降ということになります。 平安時代や鎌倉時代にも、戦場の組み討ち術は ありましたが、柔術としてはまだ存在して いませんでした。 武士ならみんな柔術が使えたんですか? ↑ 江戸時代は、武士のたしなみとして遣えることに なっていましたが、武士が官僚化して、遣える 武士は一部になっていきました。 武術など鍛錬するよりも、書物を読んだ方が 出世しやすく、実入りが良かったからです。
- hue2011
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歴史的には、天文元年つまり1532年に、竹内流という柔術が発生し、このあといろいろ枝がわかれたり統合したりしたのが日本の柔術の始まりです。 ですから、平安時代には存在しません。 また平安時代に武士はいなかったか、という質問をされていますが、平安時代のもっとも有名な武士は平清盛じゃないですか。 この人物が、番犬的な低い身分であえいでいた武士に存在価値があると公家に認めさせたのです。 年号をみればわかるように、この人が柔術を使うわけありません。 この人が亡くなったあと、源氏が天下をとり、鎌倉幕府を作りあげ、武士の時代をつくったわけです。 だけど、やっぱり武器は刀であり槍であったのです。ヨリトモがヨシツネと柔術の試合をするなんていうエピソードはありません。伝説の弁慶も槍はふりまわしましたが、がっぷり相手と四つに組むなんてしたことはない。 鎮西八郎だとか巴御前というような怪力のひとたちはいましたけど、柔術をつかったわけではなかった。 安土桃山時代、となると柔術があったろうことは1532年という年号でわかります。 戦国時代になると、刀や槍を振り回すだけの戦いでは生きられない時代です。 いざとなると格闘しなければならず、そのための技を練習しておいたほうが存命率が高いわけです。 これが江戸時代になり、一応戦国時代ではない、平和の時代がくることで、保身術として衛生や保健知識、医学的な知識も含め、他人を傷つけずに勝つという、やわらかい技、柔術という名前で文化が進展したわけです。 それが発展していって、人によってこれを習う人間たちが居たのは確かです。 ただ、武士がすべて柔術を習って達人だったか、ということはない。 藤沢周平の立花登というのが柔術の達人ですけど、あの人に真剣でむかっていった侍が間接をはずされたりして負けるというのは、侍必ずしも柔術をしていたわけではないということです。 同じ藤沢周平でもたそがれ、は剣道の達人だけど柔術はやらない。 藤沢周平は虚構でウソ書いたんだという攻撃があるかもしれないけど、相当調査はしているはずです。 具体的に実在の人の実名を出している小説「漆の実のみのる国」なんかを書いていてちゃんと調査をしないと何を言われるかわかりません。 相当丁寧に調べていると思いますので、立花登という架空の人の話を書くのにも相当調査をしたと思います。
- kuronekofan
- ベストアンサー率56% (229/402)
組打ちという技はかなり古くからあり、相撲の源流ですが大和朝廷時代には存在したとされています。文献上は日本書紀(柔術の起源 http://www.nihonkempo.com/kgijukaisetsu.htm)に登場します。(相撲の元祖である野見宿禰が組打ちを天皇の間で披露する) このレベルであれば、専任の武士なら、かなりの人が使えた、と推定されます。 その後、平家物語などには「甲冑組打ち」「鎧組打ち」などの名称で登場しますから、全員とは言わないまでも体術としてすでに広く存在していたようです。学術的に証明されたわけではないので、推測になりますが、実力集団となった源氏や平氏のような一族の中で、専任の武士であった騎馬階級のものは太刀や弓のほか、組打ちを稽古する機会はあったと思われます。しかし、大多数の武士は平時農民であって、剣術はまともに習っていないのが実態(下級武士は槍が中心)でしたから、全員が剣術などを習えたとは考えにくいと思います。しかし、合戦となるとはじめは10mくらいの距離から槍で打ち合い、近くなれば小刀や刀を抜いて相手を組み伏せてとどめをさす必要がありましたから、相撲のような「組打ち」の稽古はあったはずです。ただ、それを「柔術」と呼べるかどうかです。 「柔術」として体系化されていくのはずっと後の事で、現在の柔術の起源は文献で確認できる開祖が室町時代後期とされています。組打ちや古い柔術は、今の柔術と大きく異なり、小刀術、十手術、捕縛術などが含まれるものであったようで、一切をまとめて「具足術」と呼ばれました。したがって、同じ柔術(具足術)を習ったとしてもある人は小刀術を使い、ある人は投げ技、ある人は固め技、当て技が得意というようなものだったのではないかと思われます。(関節技の得意な柔術流派「大東流」や、投げ技中心の柔術流派「起倒流」など多数があり、多くは藩内に閉じていた) 江戸時代になると、戦乱から遠ざかり、武芸より藩校での学問を重視するようになります。幕末の勝海舟は、北辰一刀流の切り紙を持っていましたが、柔術はやらなかったそうです。
- misa-on28
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柔術という名前は江戸時代になってからの成立と言われています。 というわけで >平安時代も鎌倉時代も室町時代も安土桃山時代も武士ならみんな柔術が使えたんですか? というのは少し無理があると思います。 武士は格闘術を行ったのですか? ならば大方の武士は行ったでしょうね。 柔術にあたる格闘術は当然武士の成立とともに起こっていたわけですが 当時は組み討ちの技術として「小具足」などとも呼ばれていたようです。 組み討ちの訓練としてはもっと古い格闘術として「相撲」がありますね。 織田信長が親衛隊を選抜するのに相撲トーナメントを開いたと言う話も残っていますし むしろ平安末期から武術を行う人はある程度相撲を嗜んだという事は言えるかもしれませんね。
- trytobe
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平安時代に武士はいなかった。 兵士は力づくで組合いになったときに強いのがいただけで、柔術とかいう洗練されたものでも体系化されたものでもない。 刀を大量生産できるようになってからの武士は、実際の剣や木刀での練習をしたのみで、組みあうための柔術は全員ができるわけでもない。
お礼
ありがとうございます。柔術ができたのっていつからでしょうか? 平安時代の終わりくらいには武士ってもういませんでした?