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朝鮮通信使が日本や日本人をうらやむ手紙を書いていた
- 朝鮮通信使が日本や日本人をうらやむ手紙を書いていたことが明らかになった。
- 日本の豪華さや豊かさに感嘆し、自国と比較すると見劣りすると述べている。
- 日本の女性の美しさや日本の都市の豪華さに驚きを隠せなかった。
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質問者が選んだベストアンサー
朝鮮通信使は合計12回やって来ましたが、おそらく11回目のものと思われます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF 通信使の発端は秀吉朝鮮征伐の際捕虜として日本に連れて来た高麗青磁の陶工たちの返還が目的でしたが、二回目からは将軍が変わる度に慶賀を目的としています。 朝鮮と日本の交易は封島(つしま)を窓口にして細々と行われていました。 封島領主は日本を代表しており、時の将軍の名を語って行われていましたが、正式に授権はされていません。 朝鮮は日本を見下すことで国の中の不満分子を抑える。 これは今もずっと続いています。 朝鮮王朝は中国歴代王朝と冊封関係を結び、臣下として仕えて来ました。 このため、独自の産業面での発展も制限されています。 いちいち中国王朝の認可を仰ぐ形を取らざるを得なかったのです。 これに対し、日本は独自の発展を遂げています。 特に15-16世紀の百年以上も続く戦国時代に日本各地に実力者が跋扈します。 この時、軍事面のみならず、商業、工業が目覚ましい発展を遂げています。 17世紀に入り、中国の清王朝の徳川幕府も鎖国政策を取り、門戸を閉ざします。 しかし、日本は8代将軍、徳川吉宗の治世にキリスト教関係以外の西欧の文書の輸入解禁し、当時の世界の最新技術の導入を許します。 第11回目の通信使は10代将軍家治の就任慶賀が目的です。 1760年代の日本は各藩に特産品開発が盛んに行われ、樽前船を通じて日本全土に交易されるようになっています。 戦乱の世は終わり、産業面での発展が著しい時代に入っていた頃の話です。 李朝朝鮮との対比は正しい記述だと思われます。 特に日本は大名の参勤交代を行うため、主要な街道が整備されています。 朝鮮通信使には日本のインフラ整備の進展ぶりは驚きだったと思われます。
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- IXTYS
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こんにちは。 #4の再入場です。 数年前韓国旅行の際、景福宮(キョンボックン)を訪れました。 李朝朝鮮王朝の正宮として建築されたもので、19世紀の後半に建造されたものです。 ● 規模を見れば李朝王朝の権力の大きさがわかります。 日本の大阪城や名古屋城と比べると小さいのに驚きました。 日本で言えばちょっとしたお寺程度の規模に過ぎません。 冊封使が二年に一度訪れ内部査察を受けており、権力もかなり制限されていたことが伺えます。
お礼
なるほど。参考になりました。ありがとうございました。
- mm058114
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朝鮮人は、中国の支配になることが多かったけど、 そのことは伏せて、実は自分達が一番と思っていた。 自分達が一番と思っていたから、倭寇の国と思っていた日本は、 行ってみたら、日本の繁栄にビックラこいた。 ってところじゃないですか?? 朝鮮人が自分たちが一番と思っているのは、 今にも繋がっている気がと。
お礼
今も昔も日本に対する劣等感が凄いですね。ありがとうございました。
- chiha2525_
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リップサービス
補足
当時の朝鮮の国の方が立派だったと言う事ですか?
- mpascal
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絶えず中国からの干渉を受けていた朝鮮にしてみれば、日本は羨ましい国だったのでしょうね。
お礼
なるほど。ありがとうございました。
お礼
なるほど。大変参考になりました。ありがとうございました。