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水戸黄門は、権威を印籠で示す卑怯者
水戸黄門は、印籠を見せずに勧善懲悪して欲しい。印籠を見せては権力の権現、不平等社会の象徴となってしまう。卑怯者です。皆さんの御見解を賜りたく、よろしくお願い致します。
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歴史的事実については、皆様の仰る通りです。 テレビ的な演出としては、最初から印籠を見せてしまうと悪代官達が警戒して尻尾を出さないので、助さん,角さん,風車さんが内偵を進めている間に、(不幸にも)善良な民が殺され、御老公はますます怒る、というパターンになります。 で、水戸黄門は「江戸時代は不平等社会だった」という前提で成り立っている作品です。それは御老公だけでなく、悪代官も同じです。どんなに悪事を働いたって俺を裁ける奴なんぞいないさ、という発想で悪代官は悪事を働きます。そこに庶民(視聴者含む)は、ストレスを感じます。 一方の御老公メンバーは、先の副将軍という絶対の権威に守られ、考えてみれば絶対に安全な事は最初から明らかです。その上から目線で悪代官を泳がせる間が、やっぱり庶民(視聴者含む)には快感な訳です。そんな境遇にいた事ないからですよ(^^;)。この時点で視聴者は、御老公一行に感情移入します。 そして最後に、圧倒的な権威と権力を傘にきて悪を一刀両断すれば、拍手喝さい(カタルシス)となります。そういう訳で、やっぱり水戸黄門は不平等社会の象徴です。そこが庶民受けするポイントでもあります。 でも水戸黄門シリーズて、白黒のほとんどテレビ創成期から続いているシリーズだって知ってますか?。最初黄門様は、印籠を見せなかったんですよ。事件が解決した時に「じつはわし、先の副将軍でな(^^)・・・」などと、さりげなく言って終わるのが普通でした。それを信じてもらえない事もあり、そこがまた味わい深かった訳です。 ところが身分を隠したままではどうしようもない回があって、印籠を見せて悪党どもを平伏させるという設定をやってみたら、これがまた大反響で視聴率も高く(胸がすかっとすると)、そこから水戸黄門プレイは始まりました。 ところがその数回後に、山村を襲っていた山賊に印籠を見せても「俺らに、そんなの関係ねぇ~!」と言われて捉えられ、山寺に幽閉されるという事態になりました。死を覚悟した黄門様は山賊の頭領に、「先の副将軍という自分の命とひきかえに、事態を収めてくれ」という旨の書状を送ります。当時は風車さんもおらず、助さんも角さんも山賊にやられて行動不能でした。 書状からうかがえる黄門様の人柄と、民を思う私信のない清廉潔白さに感動した頭領は改心し、事態は解決します。水戸黄門は、昔も今も不平等社会の象徴ではあるのですが、陳腐化する前の黄門シリーズは、それなりにいい味わいでした。
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- statecollege
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3/17日のBS日テレの深層NEWSに水戸徳川家15代当主の徳川斉正氏が出席して、徳川光圀について語っていましたが、光圀(黄門)は、江戸と水戸を往復すること(水戸家は参勤交代がないのでほとんど江戸に常駐)、(東照宮のある)日光へ行ったこと、鎌倉(八幡宮)を訪ねていること、それから領内を歩いたこと以外にはどこへも出かけていないのです。光圀所有の印籠は水戸家に代々伝えられている由ですが、印籠は使われた形跡はない(使えば紐の跡が残るはずだが、その形跡がない)、ということでした。 水戸黄門の諸国漫遊して悪代官等を懲らしめる話というのはまったくのフィクションです。(だいたい諸国漫遊の話が本当だとしても、水戸家にはそんな権限は与えられていない。天下の副将軍というのは、参勤交代がなく、江戸に常駐していたことから江戸の庶民が勝手にそう呼んでいたにすぎません。)
お礼
ありがとうございます。 私は、ドラマの演出が、誤解を生むだろうと思います。勧善懲悪なら、黄門自ら印籠を棄てて、平民になるべきです。印籠を見せるのは、やはり権力をひけらかす卑怯者です。
テレビの水戸黄門のストーリーを要約した2ちゃんのコピペが秀逸です。 「世襲制軍事独裁政権の係累が法的根拠なしに地方公務員に暴力的制裁を加えるハートフルストーリー 」 まさにこれ。ただ、士農工商封建制度前提なストーリーに不平等なんて概念を持ち込むのがおかしい。それを言ったら水戸黄門に限らず、定番時代劇は軒並みアウトになっちゃいますけど。
お礼
ありがとうございます。 痛快と感じるのが、大きな誤りであることを認識して貰いたいのです。正に、極悪人を正当化する誤りです。
- あずき なな(@azuki-7)
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そりゃテレビだからねwww 大体江戸時代なんて不公平時代の冴えたるものでしょww 遠山の金さんだって刺青を見せてびびらせてたわけだしw(それもテレビの話だけど) そもそも徳川光圀は印籠は持ってません 彼は徳川綱吉政権下で副将軍を勤めましたが 大半は水戸に居り、江戸へは2~3度しか行った事がありません
お礼
ありがとうございます。 史実とは関係ないです。
- ZX4
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他の回答者の方たちも仰っているように水戸黄門漫遊記は創作物であり、実際に諸国放浪をした事実はありません。 質問者さまが言うように当時、絶対権力の象徴だった葵紋をふりかざす事は一方の見方からすれば権力の横暴だとも見る事は出来ます。 ただ当時は階級社会であり、無礼討ちが許可されていた侍や武家に庶民が面と向かって異論や苦情を言えるは状況に無く、事件に対する証言でも庶民と武士、または大商人などの権力者のそれでは重みが違ったのですよ。 科学捜査の無い時代ですから目撃や在宅証言などは重要視されましたし、故に事実が捻じ曲げられる事も多かっただろうと思います。 また現在の警察に当たる町奉行は寺社奉行・勘定奉行を含めた三役の中で一番位は低く、他奉行に立ち入っての捜査権もありませんでした。 稀代の悪法と言われた生類憐みの令が施行されている中、水戸藩地ではこれに違反しても死罪などの重刑は科されず、将軍綱吉に反対意見を述べたとの噂から水戸光圀の名も広く庶民に知られていたと言います。 当時は江戸から水戸に転居しますと言った事も簡単ではありませんでしたし、武士の横暴に対する怒りや光圀公に対する民衆の願いや期待から水戸黄門漫遊記は生まれたと言えると思います。 ただ生類憐みの令は、元々は横行していた新生児や病人の遺棄に対して道徳的な見地から行った訓辞のような物だったらしいですし、刑罰がエスカレートした末期でも地方ではさほど重罪を科してはいなかったようです。膝元の江戸では特に厳格だったと言う事なんでしょうかね。 現在でも会期中の国会議員や外交官、在日米軍兵が事件の容疑者や関係者の場合、不逮捕特権や協定があって捜査が難しい状況にありますし、不平等と言えば不平等だと思います。
お礼
ありがとうございます。 史実としては、その通りかと思います。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
史実としては、水戸黄門は水戸から一歩もお出にならない普通の老人だったそうです。
お礼
ありがとうございます。 私は、その事はわかっています。演出がおかしいと思っています。正義の味方ではなく、権力の頂点に立つ極悪人の一人が黄門なのですから。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
裁判官という権威を持っている人が下した 判決だから、皆従うのです。 私人が勝手にやった判決だったら、従わない でしょう。 権威は必要なのです。 問題点はそんなところにはありません。 初めから印籠を示せば、簡単に解決する問題なのに それをサプライズを狙ったのか、邪悪な快感に浸りたかった のか、延々と引き延ばして、犠牲者が出てから 印籠を示し解決するのがオカシイのです。
お礼
ありがとうございます。 確かに、おかしなことの固まりと言って良い、正にドラマチックな架空の物語で、そこには差別、格差社会の闇が隠れていることに気付かず、拍手喝采するのが、洗脳に近い異常な状態である亊を認識して貰いたいですね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34531)
事件が起きた現場にパトカーがやってきたり、制服を着た人が来るから「警察が来た」と私たちは分かります。ALSOKのような民間警備会社の人も社名が大きく入った制服を着ています。あのジャック・バウアーも身分証を提示しながら「CTUのジャック・バウアーだ!」といいます。 もし、普通の車に乗ってきた私服の人たちが何もいわずに現場で大暴れしたら、警察がきたのかヤクザがきたのか訳が分かりません。権威の後付けがなければ単なる暴れ者です。印籠は「公けの団体が公認する人物である」ということを証明するものなのであります。ま、いってみれば免許を見せるようなものです。資格が大好きな日本人ならではでありますね。 むしろワタクシは、悪人でありながら簡単に権威にひれ伏してしまう悪人たちに「それでもお前らはワルか!」と深い憤りを感じずにはいられません。「だからどうした。今さらここまできて引っ込みがつくか。お前たちが死ぬか、俺たちが死ぬかの二つに一つだ!」という啖呵のひとつも切って全滅するまで戦う根性を見せてほしいものです。あるいはワルらしく、町娘と善良なその彼氏を人質に取り立て籠もるような往生際の悪さを見せてほしいものでもあります。 なお、いつものことではありますが、ここの回答者諸氏のユーモア精神の欠如には遺憾の意を表する次第であります。しょーもない質問に大真面目に答えてどうするよ。
お礼
ありがとうございます。 私は、史実は関係なく、ドラマでは、黄門が正義の味方の様に振る舞うが、実際は、格差社会の権力の頂点に立つ、即ち、極悪人の一人であるとする考えは誤っていない筈と主張したいのです。
- SPS700
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国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門、パワハラの始まりが水戸の黄門。
お礼
ありがとうございます。 素晴らしい。
- chiha2525_
- ベストアンサー率13% (119/883)
水戸黄門は、権力を笠に着て相手を悪と決め付けるお話です。 日本人は長らく権力に抑え込まれていたので、そのDNAが染み付いて、これをオカシイと思わなくなっているのですw 米国なら、女の子がしゃしゃり出て『ちょっと待って、これっておかしいと思うの』とか言って逆転裁判の流れですねw
お礼
はい。 ありがとうございます。 それが、世界の常識です。
- kotako77
- ベストアンサー率37% (83/221)
確かに…と思ったのですが、こう考えてみました。 ご隠居はまずはじめに、助さん角さんに悪党を懲らしめることを命じます。 これは、悪党に罪の代償を負わせる、あるいは自覚してもらうためです。 ここでのポイントは「懲らしめる」です。殺してはいません、全て峰打です。(確か) たっぷりと痛い思いをさせた後、印籠を出します。 絶対的権力の前に、打ち首にされたくない悪党どもはひれ伏すしかありません。 でも、あれ、変ですね。 本当は最初から印籠を出しても良かったんです、そうすればご隠居達も返り討ちにあうリスクが無いわけですし。 でも何故そうしないのか…それは、ご隠居の情けではないかと思うんです。 このまま戦っていたら悪党を壊滅させなければいけません、場合によっては殺す事になるかも。 ご隠居はそうはしたくなかったのでは無いでしょうか。 ひれ伏して抵抗の出来ない悪党は奉行所などにしょっ引かれて一件落着、ですね。 悪は罰しなければいけません。 それは武力によってなのか、それとも法の裁きによってなのか。 ご隠居は法の裁きに任せるため、印籠を使ったのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 単なる演出です。ウルトラマンが最初にスペシウム光線を使わないのと同じです。馬鹿馬鹿しいと思います。格差社会の頂点に立つ極悪人に、迎合するわけですから。
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お礼
ありがとうございます。 旧き良き時代ですね。今は格差社会ですから、流行らないでしょうね。不快感を抱くニートもいると思います。