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三層五階とはどういう意味でしょうか?

お城の天守閣でよく「三層五階の天守」とか「五層七階の天守」とかありますが 一層は一階ではないのでしょうか?

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  • 918thBG
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回答No.3

>三層五階とはどういう意味でしょうか? 外観は三階建てのように見えるけれども、内部の構造は五階建てだよという意味です。 >一層は一階ではないのでしょうか? 城郭建築の技術が発達してきた歴史から見ると、初期から中期にかけての「望楼型」と呼ばれるタイプの天守では、一層の中が複数の階に分かれている方が主流でした。 しかし後期になると、「層塔型」といって一層が一階のタイプ、すなわち質問者さんがイメージしていらっしゃる天守の形が主流になってきます。 初期の天守閣は「望楼型」と呼ばれますが、これは言うまでもなくできるだけ高い位置から周囲を監視することが天守閣の成立要因だったことを示しております。ただし、城郭建築技術が発展途上にあった時期には、大きくてがっしりとした下層階の上に、小さくて構造重量の軽い望楼ユニットをちょこんと載せたような形でなくては強度を持たせて築く事が困難でした。 そこで、多くの望楼型では、下層階にお寺の本堂のような堂々たる大屋根を持った「入母屋造(いりもやづくり)」というがっしりした構造を配し、その上に規模の小さい望楼部分を載せる構造となっています。 さて、城郭建築では天守でも櫓でもそうですが、天井が高くて階数が少ないよりも天井が低くて階数が多い方が、兵力の配置や敵に矢玉を射かける防御力の点で有利になります。このため、下層階の大屋根を持った部分はひとつの大屋根の内部をいくつかの階に区切ってスペースの有効活用をはかりました。 このイメージを最も良く表している伝統的木造建築としては、飛騨の合掌造りが挙げられると思います。 これが、初期の城郭建築で層数と階数とが一致しない理由となります。 建築技術が発達した後期の城郭建築では、下層階から上層階まで連続的に大きさが変化する「層塔型」と呼ばれるタイプが主流となります。代表例は「大阪城天守」です。このタイプになると、基本的に一層が一階となるわけです。

azuki-7
質問者

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ありがとうございます

その他の回答 (2)

  • ithi
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回答No.2

azuki-7さん、こんばんは。 層というのは重なるものという意味です。屋根が重なるという意味でしょうか? 階というのは今でいうところのフロアですから、屋根が重なっていなくいても上下関係ができていれば、別の階を構成すると思います。 詳細は下記のURLを参照ください。 層 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/127961/meaning/m0u/

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

  • misa-on28
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回答No.1

天守はとても大きな建物なので外から見た屋根の数を「層」で数えますが、なかの床の数によって数える「階」の数が必ずしも一致しないのです。一層を一階とするとやたら天井の高い代物になったりしますので。 というわけで外から屋根の重なりが3層であっても中の床は5階分あったりするのだそうです。 また、天守台の石垣のなかに地下室階層を持つ城もあり、それを数える事もあるので外観で見られる層の数より床の数で決まる階が多い事が多いのですね。 まあ、学者さんによって階と層(重)の定義は色々ありますが、外から見られる階層の数と中の床が何階あるかというのは必ずしも一致しないという事は一致した認識です。 近代建築でも戦前にたてられたデパートなんかはゆったりと天井が高めに作られていたものを戦後の改築で増床して外観7階なのにフロアは9階分あるものもあったりしますから、躯体と内部階数が一致しない事も時々あります。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

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