どうしてみなさん、感情的な、ないしは建前的な発言をなさるのでしょうか。
この話は非常に簡単なことです。
漠然とした質問、などと質問者様がおっしゃっているのは情けない。
非常に明快な問いかけだと思いますが。
何々をいくつしなければならない。
いままで自分は何時間かけていくつできた。
ということは自分の生産性は1時間にいくつ、という見方でよいと思う。
努力しろとかいう話は、一応心がけるけれども現状の生産能力はこれだけである。
この能力で計算して1か月にできる仕事はだいたいこのくらいの数である。
したがって、指示の数値と自分の能力にこれだけの開きがある。
時間がないと判断する理由である。だからメンバーを増やしてほしい。
このように説明させればいいのです。
ただ単にできるのできないの、しんどいの苦しいの、というのは、何も生みません。
そういう定性的な感情的なものにフォーカスするから漠然とした質問だと思ってしまうのです。
当人の生産能力が少々足りないのではないか、というのは別の話です。
それは教育なり訓練をしていくなりで向上させるべきことです。
訓練が適当かどうか、は、数字がなければ判断できません。
簡単な例を出します。
仮に1時間で100枚のレポートを書けといわれたら通常できません。なぜできないのですか。
それを「難しいから」とか「経験不足で」などといったらただの負け犬の言い訳です。
だけど、まず端緒として考えるのは、通常1分でどのぐらい文字を書けるか。
まあ400字もかける人は居ません。手本があってそれを写すのでも400字はムリです。
レポート1枚は普通600字ぐらいあります。
1枚書くのに3分はかかるはずです。だったら1時間で20枚でやっとです。
100枚書けなんていうのはほとんど不可能です。
こういう論理は、非常に単純なものです。
そう交渉すれば、第三者も理解できますし、管理者が最適ラインがどのへんか考えることも可能です。
要するに、数字がだせるかどうか、が重要なんです。
つらいとかしんどいというのは単なる感想にすぎない。
だけど、自分にかかる負荷がどのぐらいあってそれを実現するのが可能か不可能かは計測していればすぐに言えます。
数字で言い合えば恨みっこなしです。
たとえば打率が落ちてきたら選手は自主トレなりマッサージなり栄養工夫なりをして調整すればいいのです。
千本ノックだとかど根性だとか言っていたら体を壊すのです。
数字で相談報告できるというのは、自分をきっちり観察測定しているということですから、実力が備わります。
何の数字を数えるといいのか何を見ようとしているのかが核心にありますから、数えようとしただけで向上します。
自動車に速度計も燃料計もいっさいないものがあったとして、それに乗る勇気がありますか。
マネージャ役は、数字を見て判断および指導をするのが仕事です。
ど根性といって選手に無駄にボールを投げつけ続けたりすることは「いじめ」です。
時間がないという人間は、何かの根拠があってそういっているはずですから、それを聴くのがマネージャの勤めです。
さぼろうとしているとか決めつけた態度はとらずとりあえず聴くのです。
それが単なる感情的感想的な話だったり、言い訳だったりするなら、それを数字で説明せよと指導する仕事もあります。
これは、自分の仕事について考えよ、力配分をして努力せよ、というのと同じなのですけど、数字を核にするので手法自体がシステムになります。