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歌詞表現の文法についての質問
- A)とB)の歌詞表現について文法的な違いがあるのか疑問です。
- A)の表現が正しい歌詞の表記であることは分かりましたが、B)の表現は文法的に間違っているのでしょうか?
- 過去形+振りの表現がある場合、B)のような表現は一般的なのかどうか知りたいです。
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> 맘을 모른【체】 살아 갈테죠 → 訳例: 気持ちを知らなかった【振りで】生きていくつもりだろ この表現は文法上間違いなのでしょうか? >過去形+振り、の表現があるのかどうか、と思うのですが、関係ないでしょうか? まず「過去形+체하다」があるかどうか、ということでしたらあります。 체하다には過去形も現在形も付きます。 食べているふりをする 먹는 체하다 食べたふりをする 먹은 체하다 食べなかったふりをする 안 먹은 체하다 ですから 모르다の場合も 知らない振りをする 모르는 체하다 知らなかった振りをする 모른 체하다 いずれもあります >맘을 모른【체】 살아 갈테죠 気持ちを知らなかった【振りで】生きていくつもりだろ この【振りで】なのですが、 日常会話では【振りで】もあるかもしれませんが、言いかえると「振りをして」ですね。 체하다 は依存名詞 「체」に하다が付いたものですが 「체하다」の形で用いるのが普通です。 日本語でも「知らない振りをする」という言い方になります。体言止めで「知らない振り」という言い方はありますが元の形が「知らない振りをする」であることは了解済みと思います。 また「見て見ぬ振り、聞いて聞かぬ振りをする」などのように、対句のようになっている場合にはじめの「する」を省略する場合もあります。これは韓国語でも同様と思います。 たとえば 見ても見えない振り、聞いても聞こえない振りをする 보고도 못 본 체, 듣고도 못 들은 체하다 のようにです。 >気持ちを知らなかった【振りで】生きていくつもりだろ もしこれを「気持ちを知らなかった【振りをしたままで】生きていくつもりだろ とするなら 1 맘을 모른 체한 채 살아 갈테죠 気持ちを知らなかった振りをしたままで 2 맘을 모른 체하면서 살아 갈테죠 気持ちを知らなかった振りをしながら などに言い換えればはっきりする感じがします。 私も専門的に勉強したわけではないので、正しい答えになっているかどうか、残念ながら自信はありません。ですから맘을 모른【체】という 「체」で言いさした形が実際の韓国語の表現にないとは言い切れません。「ない」と言えるのは(実際にはあるとしても)専門家かネイティブの特権だと思います。 学習者としては「체」は「체하다」の形で用いるのが普通という説明に沿って理解して行くしかないと思っています。その意味では맘을 모른【체】は正しいか正しくないかより「しない表現」ととらえるのがいいのではないか。 私自身そのように考えながら、韓国語の勉強を続けています。
お礼
回答ありがとうございます。 長い間のもやもやとしたものが一気に解消しました。 毎度すみません。ありがとうございます。 そして、最後の一行: ⇒私自身そのように考えながら、韓国語の勉強を続けています。 先生も、いまだに勉強を続けているんですね・・・ 引き続き、頑張ります。