- 締切済み
法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?
各聖人は生きた時代が重なってる様ですが、法然聖人と日蓮聖人は重なってませんが。 各聖人たちはお互いを知ってたのでしょうか? お互いの会った事は有るのでしょうか? 特に日蓮聖人は禅は魔界に入る 浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。 私自身凡人身では有りますが、確かに禅は難解で有りますが魔界転じて自覚が得られような気がするのですが、浄土系も取り様によっては現実逃避的に見えるのですがよくよく思案しますと立派な教えだと思うのですが。 聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。 法然・親鸞両聖人は師弟関係の様ですから別ですが。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- 馬鹿 禿(@baka-hage)
- ベストアンサー率67% (99/146)
回答No.3
noname#58770
回答No.2
- abc2008
- ベストアンサー率17% (7/41)
回答No.1
お礼
歴史上の事実としては中々判らないのでしょうね。 日蓮聖人は4人の中で一番最後に出てきた人ですから、法然聖人・親鸞聖人の真意を理解できない或は曲解した一部多数・・念仏者の行いなどを見、日蓮聖人はこれは駄目だと厳しい批判をしたのでは、ないかと考えます、禅にしてもあの時代は飢饉疫病が大変だった時代で朝起きれば死体がゴロゴロだったそうですね、禅的な修業が出来たかと言うと難しいでしょうし、ましてや庶民は。 末法思想もお釈迦様の時代から大方1700年位たっているでしょうから釈迦の本意が伝わらなくなっていた考え方だと思います。 仏教はお釈迦様の教えから始ったのでは有りますが法華経が正しい、何々が正しいと考えるより、釈迦の教えが、後の素晴らしい聖人たちにより切磋琢磨し釈迦の教えを洗練さて、より素晴らしい教えであって良いはずで、法華経が釈迦の一番の教えで有るとか無いとかはナンセンスな感じがしますね。 今現代、日蓮宗の信者が幸福で、浄土系が不幸な人々が多いなどは有りえない訳で、日蓮宗の信者の中にも幸福な人も不幸な人も居るわけで。浄土系もそうで、事実を事実として見ないといけないと思いますね。 やはり親鸞聖人の教えが一番判りやすいですね、そして判りやすいですが深いですね。どんな宗教でも本質は「智で解決できずお任せする」が要のような感じがします。 有り難うございました。合掌。