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期待どおりが嫌
なんというか、こういう質問があれば、こういう回答をするのになあという、自分のエピソードや言いたい意見があって、まさにどんぴしゃの質問が来た時に、「やった。」と思いつつ、段々回答するのが嫌になったりします。 自分が期待した通りのことが起きたのに、そのことがなぜか嫌になるというのはどういう心理なのでしょうか? 好意を持っている人に、好意を持たれるのが嫌 という自分本意の心理に近いのでしょうか?
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陳腐化でしょうね、アイデアの^^;。自分の中で「ひらめいた!」と思うような考え方も、それを過不足なく説明できるようになるまで整理されてしまうと、自分にとっては自明となり、トートロジーのように感じられるのです。 右脳は新奇性を扱い、左脳は慣例を扱います。初めての作業は最初のうち右脳で処理されますが、慣れてくると左脳が担当するようになります。両方使う時、人にとっては心地よいのです。そのようにして、開拓と安全の両立を図りつつ、人類は森から新天地へと棲家を広げていったのでしょう。それが進化論的に有利だったからです。きっと。
お礼
数少ない回答ですが、的確なご指摘ありがとうございます。 「ひらめいた!」ことは整理してはいけないのでしょうか。書いた半分は却下ですね。書いた瞬間つまらないのと、周りの反応を想像して「やめた」と思うのと。もしかすると、現実の関係に近づいているのか、リアルに人前に出すときもいろいろ葛藤します。期待外れも嫌ですけど、期待通りも嫌。バランスの難しさ、自由の難しさかもしれません。今まで書いたものは何だったのか?