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期待している時に限って物事は上手くいかない
期待している時に限って物事は上手くいかなくて、そんなに期待していない時ってよく上手くいくような気がします。 例えば、小さい頃テストの結果を自分で予想して、今回はいいだろう思っていると結果が悪かったり、そんなに今回はよくなかったな、と思っているとよかったり、というのがよくありました。 また、そんなに興味のない旅行に誘われて、いってみると結構楽しかったり、行きたくてしょうがなかった所に行くと結構つまらなかったりということもよくあります。 その他にも、これは上手くいくだろうと思っていたプロジェクトが途中でだめになったり、そんなに期待していなかったプロジェクトが大成功をおさめたり。スポーツ選手でも、この人は大成するだろう、と周りが期待しているとたいした選手にならなかったり、逆にあまり注目を浴びなかった選手が大物になったりするケースがよくあると思います。現在、有名な人で、小さな頃から、期待されながら有名になった人はかなり少ないのではないでしょうか。 皆さんの周りではそういうことってないですか?もしあるとしたら心理学的に説明できますでしょうか(別にできなくても一向に構いません。)?もし何かわかる事がございましたら、些細なことでも結構ですので教えていただけるとうれしく思います。 (教えてgoo!/okwebでも特に期待していないときにいい回答をもらえたりします。これはいったいなぜなのでしょうか。)
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ズバリ、「マーフィーの法則」というものがあります。 (1)に「マーフィーの法則」の実例がいっぱい載ってます。思い当たることがたくさんみつかりませんか? (2)に解説があります。 (3)「マーフィーの法則」を見つけたマーフィー大尉の本国アメリカのHPがあります。 (1)http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/1934/murphy.html (2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87 (3)http://www.murphys-laws.com/ 理由についてですが、まずは、「マフィーの法則」どおり、「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」や「うまく行かなくなりうるものは何でも、うまく行かなくなる」は、大前提だと思います。何故なら、「起こる可能性があることは、いつか必ず起こる」というのは、当然なことだと思うからです。次に、それが、「最も起こって欲しくないときに起こるのは何故か」ですが、これは、2つの理由があると思います。 理由1:「もっとも起こって欲しくない」と思うということは、それなりに「起こらない状態」に対する期待が大きいということだと思います。何故そんなに期待が大きいかというと、大なり小なり、そのことが困難だ(あるいは、発生する確率が高くはないから)だと思います。当たり前にできることや、いつでも発生することなら期待値はそんなに高くならないと思います。その結果、「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」確率がより高い状態にあるのだと思います。要するに、起こらないようにするには、本来そのための対策により多くの努力が必要な状況なのに努力不足であったり、あるいは、全く運に任せたりしている状況があるのだと思います。 理由2:また、人間の心理として、「最も起こって欲しくないときに起こったこと」は、特に鮮明に記憶に焼き付ける性質があると思います。大して気にしていないときに起こったことは、忘れてしまっているのではないでしょうか。このため、あたかも「物事は、いつも最も起こって欲しくないときに起こった」と感じるのではないでしょうか。 ところで、この「マーフィーの法則」は、プロジェクト管理にとっては非常に有意義な法則です。というのは、プロジェクトは目的達成、コスト管理、納期管理など、厳しい条件下で仕事を進めますが、もし、その過程で、「そんなトラブルは、めったに起こることはないから、そこまで厳密に管理しなくても良いだろう」などと、たかをくくると、必ずトラブルが、しかも納期の直前に起こるものです。そこで、どんなトラブルにも対処できるよう、手抜きをせずに万全の準備することになり、プロジェクトの成功につなげることができるのです。 結局、「世の中、そんなにうまいことばかり起こらないのだから、ちゃんと努力して、手抜きせず、真面目にやりなさい」ということではないでしょうか。
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- kaitaradou
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ほかの回答者の方のおっしゃっていることと重複しますが、だめでもともとという場合とどうしても希望通りになってほしい場合があると思います。利害関係や損得勘定からどのくらい自由か、ということもあるように思います。
お礼
なるほど、利害関係や損得勘定が希薄であればあるほど、期待と結果のずれも小さく、また少なくなるのですね。 ありがとうございます。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
ご質問文中の例を、心理的というより論理的に考えてみました。 1、テストの結果を自分で予想。 :一生懸命勉強した時は、理解した内容が、そうでない時よりも精度が高い。 結果として「良くできなかった箇所」がよく判断できるので、あれもダメ、これもダメと悲観的になる。 しかし「良くできた箇所」は確実なので、堅実な得点が得られる結果になる。 逆に理解の精度が低い場合は「良くできたのか、できなかったのかわからない」箇所が増える。 どうしても贔屓目に「何とかなるだろう」という判断が多くなるが、裏づけが無いので結果は「できていない」場合の方が多くなる。 2、そんなに興味のない旅行に誘われて、いってみると結構楽しかった。 :興味の無い旅行に行くということ自体が、あまり無いように思います。 結構楽しかったのは偶然でしょう。 素人が飛び入りでプロ野球のバッターボックスに立ちヒットを打っても打率10割ですが、イチローと比較して「すごい」と言う人はいないでしょう。 3、行きたくてしょうがなかった所に行くと結構つまらなかった。 :これは期待を裏切られたという印象が強いので、確かに記憶に残り易いです。 しかし、同じ回数だけ行きたくもなかった所に行っていたら、もっとつまらなかった回数が増えていたのは確実でしょう。 これも単に確率の問題であって、「行きたくてしょうがなかった」ことと「つまらなかった」ことの間には何の因果関係も無いわけです。 4、スポーツ選手に対する期待。 これも前項で述べた確率の問題だと思います。 期待するにはそれなりの根拠があるので、やはり大成する選手が他の場合より多いでしょう。 期待されなかった選手の大部分は、無名のまま消えていく方のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。 >有名な人で、小さな頃から、期待されながら有名になった人はかなり少ないのではないでしょうか。 :どの時点で誰に期待されたのかという問題もありますが、やはり然るべき誰かが必ずどこかでその可能性を見出していたということが多いように思います。 もちろん、全く期待されずにきて大成する人もいるでしょうが、しかしどこかの時点で誰かが注目していたような印象は受けます。 全く誰にも注目されないできて、いきなり大成したというパターンは少ないのでは・・・。 5、プロジェクトの場合は、内容が良くわからないので何とも言えませんが、期待の度合いに比例したことよりも反比例した結果の方が強く印象に残る、ということのように思います。 6、>教えてgoo!/okwebでも特に期待していないときにいい回答をもらえたりします。 :私がこんな回答をしたということは、ひょっとして今回は「非常に期待」していたということか・・・?(汗
お礼
たくさん書いていただいてありがとうございました。参考にさせていただきます。
- mika000000
- ベストアンサー率16% (1/6)
気持ちはよくわかります。 私もいつもそう思ってしまいますね。 例えば、目標を設定して、今日から「よし、がんばるぞ!」と思って努力したとしても、必ずうまくいかないときがあります。 そんな時に「なぜ、こうもうまくいかないのか!」と腹立たしくなります。 期待していたことが裏切られ、ありえないとおもってたことが実際にそうだったりしますよね~。 ある人と出会って、初めの印象がとても悪い人が、なにか印象を良くするようなことをすると、いつも以上に好印象を感じてしまう。反対に、はじめの印象がいい人に限って、なにか悪い印象を与えると、悪い印象が大きく感じてしまいます。 心理学的にこういう【作用】は説明されていましたが、うる覚えで申し訳ないですが、NO2さんが説明されているように、期待を裏切られた形や、予想とは違っていたという出来事は、記憶に印象深く残るのはわかりますよね? 反対に、期待通りだった、予想通りだったというような印象は、案外残らないものなんです。 よく考えてみてください。よく考えてみると、今まで何回も予想通りにいった、期待通りにいったという、うまくいった経験は数多くあるものですが、「なんでこうもおれはうまくいかないんだ」と思ったことありませんか?それは、うまくいかなかった、期待を裏切られた、予想と反した出来事が、深く印象として残っているからなんです。本当は、数多くうまくいった経験が小さな頃から考えると、多分にあるのですが、そういう印象は、あまり【驚き】を感じないから、印象に残るのも薄いんです。でも、予想通り、期待通り以上になった場合は色濃く記憶が残りますよね。要は、どれだけ自分が思っていたことと、差ができるかによって記憶の度合いも変わるということですね。 しかし、あなたが指摘するようにそれだけではありません。 実際人間の生活は、期待通りだったことよりも、期待に反したことのほうが多いんです。でも、人間はと言えば、期待しないことよりも、期待することの方が【多い】んです。だから結果的に、期待を裏切られた回数も多いということになり、しかも、そういう記憶は印象も大きいので、あなたが言うように、そういうことがよくあるように感じてしまうんです。というか、実際にあなたが言うようにそうなんですよね。 余談ですが、ふと思ったんですが、マイナス思考の人間がプラス思考の人間よりも自信を感じないのは、実生活自体マイナスなことが多いからそうなるのもわかりますが、数少ないプラスを見ようとしないから、自信も生まれないのかななんて思ってしまいました。気をつけよっとw
お礼
3段落目(しかし、あなたが~)のくだりで、曖昧だった感覚を整理してもらったような気がします。 大変ありがとうございました。
- wulong
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1です。 誤変換が多くて申し訳ありません。 根拠のない期待は当然裏切られます。 特に対人関係となるとなお更です。 他人を見たときには、必ず自分にとってネガティブな要素が目に付きますので、それは仕方ありません。
お礼
確かに、過度に期待しすぎるときは根拠が希薄のような気もします。 再度ありがとうございました。
- wulong
- ベストアンサー率36% (299/826)
心理学的に同行などという難しいことはわかりませんが、答えは簡単です。 逆の結果が出たときのほうが印象深いからついいつも創だと思ってしまうのです。 極端な場合ほど記憶に残りますしね。 物事の結果が期待と逆ばかりなら大変ですが、決してそんなことはありません。
お礼
早速ありがとうございます。 確かにそれは一理ありますね。 しかし、それだけでもないような気がしてならないのは私だけでしょうか。 例えば、最初の印象でこの人はいい人だ、と思っていると必ずそうでなかったりします。
お礼
おお、マーフィーという人がもうすでに指摘していたことなのですね。 しかし、よくよく考えてみると、「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」というのはごく当たり前のことでしたね。ついつい、嫌な事が起こる可能性から、目を背けたくなる自分がいます。 この自分が無意識に行っている習慣に気がついたことは自分自身としてはかなりの収穫です。期待に沿わない結果が多くなるのも確かに当然でしょうね。 常に冷静に物事を見極めて、現実を受け止めることのできる心持ちでありたいと改めて感じました。期待している暇があったら、ネガティブな結果になりうる要因を消す事に従事するようにしたいと思います。 ありがとうございました。