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バイロンにつて

イギリスの詩人のバイロンについてです。 バイロンが1807年に出版した詩集「懶惰の日々(Hours of idelness)」はスコットランドによって批判されたそうなのですが、なぜ批判されたのでしょうか? 知っている方、回答お願いします。

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  • kzsIV
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回答No.1

書斎の常識の範囲内での回答は以下の通りです。 (バイロンは)詩をつくり、詩集「懶惰の時」(1807)などを出版した。これがひどい批評をうけ、バイロンは風刺詩「イギリス詩人とスコットランド批評家」(1809)をかいて、自分を攻撃した批評家たちを徹底的にヤッツケた。(桑原武夫監修『西洋文学小辞典』福音館小辞典文庫33) 1807年、小詩集『懶惰の日々』を発表。『エジンバラ評論』誌の冷評に対し、風刺詩「イギリス詩人とスコットランド批評家」(1809)をもって一矢を報いた。(小学館『日本大百科全書』1987) エジンバラ・レビュー 英国の評論雑誌。1802年スコットランドの法律家F・ジェフリーとH・ブルーム、イングランドの宗教家S・スミスによってエジンバラで創刊。自由党系の立場に立ち、トーリー党政権の対ナポレオン政策を攻撃した。(マイペディア電子版2006) ジェフリー 1773-1850 スコットランド生まれのイギリスの法律家、批評家。雑誌『エディンバラ・レビュー』の創刊者として知られる。(ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書2012) ブルーム ヘンリー・ピーター(1778-1868) 英国の政治家・法律家。エジンバラ大学で学び、弁護士となる。《エジンバラ・レビュー》の創刊に加わる。1803年イングランドの法廷弁護士の資格を獲得してロンドンに移り、1810年下院議員となり、奴隷貿易や神聖同盟批判の雄弁でならし、また労働者教育の必要性を唱え、J・ミルらとのちのロンドン大学の創立に尽力した。1830年グレー内閣の大法官になり、裁判と法制度の改革を主張、第1次選挙法改正の実現に力を貸した。大法官時代に乗り回していた1頭立ての4輪箱馬車は〈ブルーム型〉と呼ばれるようになった。(マイペディア電子版2006) スミス シドニー 1771-1845 イギリスの著述家、聖職者。1802年に雑誌『エディンバラ・レビュー』創刊に参画、同誌上に健筆をふるう。主著はカトリック解放を弁護した『ピーター・プリムリー書簡』(1807)(ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書2012) 「イギリス詩人とスコットランド批評家」= English Bards and Scotch Reviewer (Britannica Concise Encyclopedia (2011・電子版))  (注)≒英語の自作歌手とスコッチのくだ巻論者 bardは吟遊詩人 scotch は当時のEnglandではscottischの侮蔑語) 1802年には「エヂンバラ」評論が出来る。1809年には「クォーターレー」評論が出来 其他にも「ブラックウード」雑誌、倫敦雑誌抔(など)云(ふ)のが段々色々な文学者の創作や批評を世間に紹介した。就中(なかんづく)尤(も)目立つて見えるのが「エヂンバラ」と「クォーターレー」である。是は其(その)主筆が新派の「ラム」「リハント」抔(など)と全く相容(ゆる)さぬ守旧派の批評家であつて 当時の名家を無茶苦茶に評騭した為である。取分けて「エヂンバラ」は劇(はげ)しかった。「バイロン」でも「ウォーヅウォース」でも「スコット」でも19世紀の新詩人とも云ふ可きものは 皆 劈頭から罵倒し去(っ)て毫も怪しまなかつたのは驚く。今では英文学を修むる者の外には余り「ジェフレー」や「ギフォード」の名を口にせぬけれ共 当時は中々な勢力で自らも亦 批評界の大王を以て任じて居た。気の毒なのは作家である。殊に気の弱い作家である。切角(せっかく)の丹精も苦心も是等の口にかゝつては三文の価値もない様にけなされて仕舞ふ。(英国の文人と新聞雑誌『漱石全集13巻』1995年)  (注)ギフォード ウィリアム 1756-1826 クォーターリー誌の主筆 エドマンド・ゴッス(Edmund Gosse)の『近代英国文学』(Modern English Literatur)368頁バイロン(Byron)の評論中に、「彼の詩の大欠点は律語(ヴァース)が滅多に正確なことはないと云う点だ。彼にはテニスンやミルトンやシェレ―などに見る一種説明の出来ない形式の結合(combination of form)が欠けて居る。そしてその微妙な欠点は英国人でなければ気が付かない。外国の批評家等がバイロンを目して英国一流の詩人とするのは此所に耳がない為である」と云つて居る。バイロンが大陸に於て賞讃され居るのは事実である。そして彼が精錬を欠いて居ることもゴッスを待って始めて云はれたことではないが、所謂微妙な欠点は、詩の調子に関し、比較的日本人よりは勝れて居る大陸の批評家の眼を脱れる位だから、日本人の吾々が之に気が付かないのは無理ではない。(英文学形式論、同上)  (注)ゴス 1849-1928 イギリスの批評家・文学史家