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北海道の歴史について

 北海道に住んでいるのに歴史について、あまり知りません。  明治維新以前は日本地図に北海道は書き込まれていなかった。日本の地図にも、世界の地図にも北海道は書き込まれていなかったか、または未知の領域だったと知りました。  北海道に何があったのか? 明治維新とは?

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noname#224207
noname#224207
回答No.9

No.5・7です 再度補足を頂戴しました。 >とても住めたものではない未開の地であったからこそ流刑地とされたわけですが というわけでもありません。 流刑すなわち一般に言われる島流しは、飢え死にさせるために流した訳ではありません。 源頼朝は伊豆へ流されています。 日蓮は佐渡へ流されていますが、そこで『生死一大事血脈抄』『諸法実相抄』『当体義抄』等を執筆しています。 書物が書けるだけ生活がは保証されていました。 つまり、流刑を命じる立場にある政権から遠ざけておいてなおかつ監視が行届く場所を選んでいます。 古くは奈良や京都の政権から遠い、土佐や信濃、安芸、越前なども流刑地でした。 奈良時代には高句麗が滅亡して王族以下一族郎党が大量に非難してきましたが北関東へ移住させています 今も高句麗にちなんだ高麗や高麗川という地名が残っています。 安土桃山時代は政権が極めて不安定でした。 信長にせよ秀吉にせよ全国を支配下においていた訳ではありません。 家康も関ヶ原以降になってなんとか全国を支配できるようになりました。 安土桃山時代は未だに戦国の時代ですから、罪人が蜂起したり敵対する大名の支配下にはいり戦力となったのではかないません。 本州の北の端には津軽がいました。 津軽の手が届かないとこと言えば津軽海峡の先ということになります。 江戸幕府が落ち着いてから遠島先を決めましたが、松前藩の反対で北海道は除外されています。 江戸時代に罪人が佐渡へ流されたのは労働力として送り込んだだけです。 それ以外は、伊豆諸島では伊豆大島や八丈島へ流していますが、その他については生活物資が乏しいことを理由に流していません。 蛇足 北海道の古い歴史をお調べのようですが、道内には文字史料が少ないため難しいかとおもいます。 鎌倉時代以降であれば十三湊を拠点としていた安東氏の史料が参考になるかと思います。 弘前の津軽氏よりも古い一族です。 末裔は秋田氏の祖とされている一族です。 江戸時代の北前船に見られますように、長い間日本海側が幹線航路でした。 大阪地方は木綿の主要な産地でしたが肥料として北海道産の鰊が欠かせませんでした。 鰊の干物すなわち身欠きにしんを食べてしまえ、とやって京都名物として残っているのが鰊ソバです。

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  • meido20
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回答No.8

北海道は蝦夷地と呼ばれ、江戸幕府から松前藩として最初の城郭が 函館にできました。それが五稜郭です。 ペリーが浦賀に来て日本が開国を迫られた際に、函館も開港するよう にとの約定があったと記憶しています。 そして、戊辰戦争が始まり幕府軍が北に逃げ延びる際に江戸湾を脱走 した榎本武揚らのジャンプ艦隊がそれらを船に乗せ函館湾に寄港。 そして五稜郭にいた薩摩藩の武士達を一掃した。 その際、生き残った者達は本州に送り返された。 そして函館戦争が始まり、榎本脱走艦隊は宮古湾での薩長の鋼鉄艦 奪取、アボルダージュ作戦に失敗し、函館の各地で奮戦するも ことごとく敗れ、五稜郭に篭り降伏した。とあります。 明治維新後は北海道開拓使として旧榎本軍の武士達が開拓の指揮をした とあります。

noname#224207
noname#224207
回答No.7

No.5です 補足を頂戴しました。 >むしろ私の脳みそが未開の地なのかも という訳ではありません。 歴史学というのはあくまでも文献史料つまり文字で残されたものだけが頼りです。 物をもとにしたのが考古学です。 考古学は太古の昔だけが守備範囲ではありません。 昭和だろうが大正だろうが時代を問いません。 学校の教科書は文字史料が豊富な関西が中心になっています。 明治維新も江戸と西国が主体です。 実は明治維新も調べれば北海道が多いに関与しています。 明治以降は北海道は欠かせません。 古代がどうのと言いますが、エジプト、ギリシャに比べれば奈良も京都も可愛いものです。 明治維新で薩摩がどうの長州がどうのと言われますが、それなら宮崎はどうした大分はどうした、肝心の長崎はどうなった、となると歴史マニアもムニャムニャです。 四国も土佐がどうのといいますが、他はどうなっていると言えばこれもムニャムニャです。 関東も江戸だ東京だと言いますが、千葉、群馬、埼玉、栃木、茨城となると郷土史になってしまいます。 >北海道がたらこみたいな形で記載されている1650年頃の地図などを見て もう少しあとの元禄時代の地図ではかじった食パンみたいです。 日本の海岸線をセッセと測量したのは伊能忠敬が最初です。 それまでは、街道筋の宿場や村を繋いだだけです。 北海道がたらこなら本州はひね芋でしょう。

disaster
質問者

補足

 よく調べてみると安土桃山時代には既に北海道は流刑地になっていますね。  とても住めたものではない未開の地であったからこそ流刑地とされたわけですが、北海道には金の採掘地としての歴史もあるよう。  金と聞くと、もっと何かあったのでは?と調べたくなります。

回答No.6

基本的には、北の方から入ってきた人々が日本列島で暮らしていました。まだ国などの概念がないころの話です。 おおよそ今の新潟あたりまで(いわゆる)アイヌ語が語源となったと考えられる地名が残っています。 畿内ヤマト王権ができたころには、あまり従わない勢力として記録されているようですが、中には友好的?支配されたからかもしれませんが、エミシを名前につけてた貴族階級の人(蘇我蝦夷や小野毛人)がいたり、ツガルが勇強な人々の居る部族(土地)と認識されていたりするようです。 時代が下り江戸時代ころまでに青森あたりまでは、いわゆる日本人の土地となりアイヌの人たちは北海道まで追いやられ、江戸時代にもちょろりと北海道が開拓されていましたが明治維新後には本格的になり今に至ります。(多分) 遺伝子的に云々な話もありますが、日本人も米国に移住して英語をしゃべってアメリカンなライフスタイルをすれば立派な米国人なわけで、そのあたりは注意が必要だと思っています。

disaster
質問者

お礼

やはりエミシですね。 出雲族だとか、アテルイ、武闘派、呪術派の違いだとか。 神道、仏教、日ユ同祖論ですとか。 物部氏滅亡の話ですとか。 断片的には知っているのですが、パズルが完成しない私の脳みそです。 くぅ~ (;´∀`)

noname#224207
noname#224207
回答No.5

>明治維新以前は日本地図に北海道は書き込まれていなかった。日本の地図にも、世界の地図にも北海道は書き込まれていなかったか、または未知の領域だったと知りました。 どちらからお知りになられましたか。 ヨーロッパ人としては1618年に蝦夷へ渡ったイエズス会士ジェロニモ・デ・アンジェリスが記録として地図を残しています。 ジェロニモ・デ・アンジェリスが蝦夷へ向かったのは1564年にイエズス会士マノエル・テイシェイラが広東から行っ た報告によるものです。 日本の北方にほとんど未知の広大な土地のあることを伝えています。 津軽海峡の先に陸地があることは古事記に渡島と書かれているのが日本の文献史料のなかで最も古い記録とされています。 詳細な測量地図としては大日本沿海輿地全図を作成するために寛政12年(1800年)に伊能忠敬が測量して記録として残しています。 >北海道に何があったのか? 明治維新とは? ご質問の趣旨が全く分かりません「何があった」とは何をお知りになりたいのでしょうか。 再度補足で御説明願います。 蛇足 日本人のルーツとして、最近はシベリアから北海道を経て南下したした人達がいたとされています 考古学的にも北海道では古い遺跡や遺物が確認されています。 オホーツク文化と呼ばれる文化がアイヌ文化とは別にあったことが知られています。 これらのことを勘案すれば青森の三内丸山遺跡の人達は津軽海峡の向う側に陸地があったことは当然承知していたと考えられます。 関西料理の出汁の主役は北海道産の昆布です。 関西のお正月料理では定番の棒ダラに使われる干鱈は北海道産です。 北前船を持ち出すまでもなく、江戸時代には蝦夷地は常識でした。 道南は松前藩の管轄地でした。 藩を認めている以上は江戸幕府も当然了解していました。

disaster
質問者

お礼

ジェロニモ・デ・アンジェリスのくだりが特に参考になりました。 ありがとうございます。 φ(..)

disaster
質問者

補足

むしろ私の脳みそが未開の地なのかも ( ̄▽ ̄;) 明治維新ですとか歴史はテスト対策程度にしか勉強してこなかったので、北海道がたらこみたいな形で記載されている1650年頃の地図などを見て、なんじゃこりゃ?となっているところです。特に深い意味はありません。

  • shintaro-2
  • ベストアンサー率36% (2266/6245)
回答No.4

> 明治維新以前は日本地図に北海道は書き込まれていなかった。日本の地図にも、世界の地図にも北海道は書き込まれていなかったか、または未知の領域だったと知りました。 そこまで酷くはありません。 19世紀初頭には、樺太が島だと判明しています。 https://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0200000000/0210000000 そもそも、松前藩は北海道松前半島の藩です。 http://donan.org/history-legend/dounan_history.html

disaster
質問者

お礼

松前藩などはもちろん知っていました。ただ、それ以外の領域ではこれまで私は原住民が原始的な生活をしていたという認識だったのですが、アイヌやロシア以外(ブラジルなど)の移民が存在した様子もあるようなのです。私の気のせいかもしれないのですが。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

歴史的には徳川時代の末期にロシア船が北方から来ていろいろ刺激をあたえたことで、北海道の存在の大きさが知られ、何人ものヒーローが出て、かの国との争奪戦に勝利したということです。明治維新前にはほぼかたがついていました。 「菜の花の沖」 司馬遼太郎 「北海道人」  佐江衆一 「北海道探険記」 本多勝一 などが参考になります。

disaster
質問者

お礼

参考書籍、読んでみたいと思います。 (*^^*)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 #1です。補足です。  北海道に何があったの?  忙しくて考古学のサイトを書き忘れましたが下記のオホーツク(モヨロ)文化、トビニタイ文化などから色々たぐって行けば面白い歴史の重なりがご覧になれます。   http://www.okhotsk.org/news/kodaibunka.htm  http://pucchi.net/hokkaido/history/okhotsk_bunka.php

disaster
質問者

お礼

ありがとうございます (^o^)/~~

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

1。 言葉では、ニクブ(ギリヤーク)(下記)、ウィルタ(オロッコ)(下記)、などと一緒にアイヌ語が話されていました。今も保存の動きがあります。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B4%E3%83%95  http://kam-r.sub.jp/ainu/uiruta.html 2。このような言葉を話す人は約2万年ぐらい前から今の北海道(過去には蝦夷地、ainu mosir (=人間の住む土地)など)に来たと言われています。 3。考古学的にも色々重層的な歴史のあるところです。

disaster
質問者

お礼

彫りの深いおそらくはコーカソイドが二万年ほど前から既にいたのですね。

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