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オオカミとツルのはなし
- オオカミが餌を食べていて、骨を喉に刺してしまいました。
- 痛くて物を食べることができず、このままでは死んでしまいそうです。
- ツルはオオカミの口に頭を入れて骨をとってあげました。しかし、オオカミはお礼を忘れ、ツルはがっかりして立ち去ってしまいました。
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イソップ寓話につきましては、ソクラテスが詩に書きなほしたといふ記述(プラトン『パイドン』60d,61b)もあるくらゐで、哲学的な御質問です。タイトルの「第14話」といふのが、どの書物による番号なのか不明ですが、以下引用文献によつて番号が変ります。 寓話の末尾には「教訓」が示されます。 *** *** *** *** *** 「悪人相手に恩恵を施し、何もひどい目に遭わなかったら、それが最大の返礼である、とこの話は説き明かしている。」 (『イソップ寓話集』第156話 中務哲郎訳 岩波文庫130ページ) 「この話は、悪い人々のところで受ける善行の最大のお返しは彼らから不正を働きかけられないことだ、ということを明らかにしています。」 (『イソップ寓話集』第224話 山本光雄訳 岩波文庫175,176ページ) 「恩をも知らぬ悪人に恩をほどこさうずるときは、偏へに天道へ對してめされい。」 (『天草本 伊曽保物語』第5話 新村出翻字 岩波文庫41ページ) 「その如く、悪人に対して、能き事を教ゆといへども、かへつてその罪をなせり。しかりといへども、人に対して、能き事を教へん時は、天道に対し奉りて、御奉公と思ふべし。」 (『万治絵入本 伊曽保物語』(中)第16話 武藤禎夫校注 岩波文庫93ページ) *** *** *** *** *** 上記の日本語訳をまとめると、自分に災難がふりかからなければそれで良かつた、と考へて納得することだ、といふことになりさうです。『万治絵入本 伊曽保物語』のやうに、善行によつて「かへつてその罪をなせり」といふ踏み込んだ解釈もあります。質問文の「初めから相手にせんほうが良いのでは」といふ見解に近いのでせう。狼を助けたことによつて、今後、仲間の鶴が何羽か食べられてしまふこともあるかもしれません。そもそも、この鶴は「早くお礼をください」といふ利己心を露骨に表明してゐます。状況の把握がおそろかになつてゐると判断せざるを得ません。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★ (No.16お礼欄) 要するに悪党ってのは放おっておけば勝手に死ぬのであるから、彼らの信義則が何であれいちいち関わらねばよいのである。 ☆ ぢゃあ なんで《早くお礼をください》って言ったの? それに その悪党から見れば あなたのほうがよけいに悪党に見えるかも知れない。 だから 同じことを言われる。ということに気づきませんか? とにかく こちらの問いに答えることが出来ない。ということが 衆人の監視のなかで明らかになりました。 今回は このあたりで・・・というのが 妥当でしょう。 逃げたというような意味のことを言うと思うが それは あなたがすでに採っている道であることをよく肝に銘じておいてください。空白のお礼欄が ここかしこに見えています。
お礼
やっぱ思った通り、逃げよったわ。 バイバイ。
寓話は公的集会での弁論に適している。それにはまた、過去の同じような事実を見つけ出すのは困難だが、寓話を創るのは容易である、という利点がある。 (アリストテレス『弁論術』1394a 第2巻第20章 戸塚七郎訳 岩波文庫 249ページ) 『イソップ寓話』の 「猪と馬と猟師」Perry269 Chambry328 「狐と針鼠」Perry427 を引用したあとで、アリストテレスは上記のやうに述べてゐます。 >イソップ物語は......下手な宗教なんかよりはるかに思想的に豊かである。 このたびの質問は、ギリシャ哲学の伝統を受けつぐものです。
お礼
ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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☆(回答No.15) ~~~~~~~~~~~~~~~ ★(No.14お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そもそも悪党と善人では信義則が異なるってことである。 もとより悪党には隣人愛は通用しない。 また悪党ってのは放おっておけば死ぬのである。 だから悪党には関わってはならないってこと。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ その悪党に《お礼をください》って言ってんぢゃん。 ぢゃあ 悪党なるわたくしをブロックすればいいではないか。 それに もし《信義則が異なる》としてもその異なったほうの信義則をも認めて 教訓の《真意》としているのは どこのどいつだ。 その認識からナチスムへは 大した歩数のへだたりはないのだよ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここがホッタラカシですよ。 訳書の教訓とわたしの回答内容とが 同じだということは 理解できていますか? 片方を《真意》として もう片方は《精神が捻じれているからそういう見方になる》と言っている。 恥づかしいという感覚は もうとっくに捨てて来たんだね。 いったい何があったの? 何が起きて 次のようなタコツボに閉じ籠るようになったの? ★★ ~~~~~~~~ 有瑠慶此即唯一絶対 ・・・ 無一切神唯除有瑠慶 ~~~~~~~~~~~ ☆ へんな漢文だが これについて 《有瑠慶》のほかにも 違った名の神はあるとみとめることから始めましょう。気持ちがすっきりします。 それもむつかしいとすれば せめてほかの神はみな《唯一絶対なる有瑠慶》の内にふくまれると見るとよい。 だってそうぢゃん。《唯一絶対》は みなを包含するはず。 そうして 心をひらくとよいでしょう。 すべての《悪党》たちも この有瑠慶の神のもとに息をして けっきょくはともに人の道を問い求めているのではないのですか? ようく目を見開いて世界を見てみましょう。
お礼
> それに もし《信義則が異なる》としてもその異なったほうの信義則をも認めて 教訓の《真意》としているのは どこのどいつだ。 要するに悪党ってのは放おっておけば勝手に死ぬのであるから、彼らの信義則が何であれいちいち関わらねばよいのである。 > それもむつかしいとすれば せめてほかの神はみな《唯一絶対なる有瑠慶》の内にふくまれると見るとよい。 有瑠慶の下に人間がいて、彼らの脳内にはそれぞれ矮小な神々が日々造られているという現象があることは認識しています。 これがつまり人間の文化人類的活動の1つである宗教であり、一種の集団社会を形成する活動である。 しかしこれは集団社会を形成するため人間が行う社会的活動であり、真理の探求とは無縁のものである。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★(No.14お礼欄) ~~~~~~~~~~ そもそも悪党と善人では信義則が異なるってことである。 もとより悪党には隣人愛は通用しない。 また悪党ってのは放おっておけば死ぬのである。 だから悪党には関わってはならないってこと。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ その悪党に《お礼をください》って言ってんぢゃん。 ぢゃあ 悪党なるわたくしをブロックすればいいではないか。 それに もし《信義則が異なる》としてもその異なったほうの信義則をも認めて 教訓の《真意》としているのは どこのどいつだ。 その認識からナチスムへは 大した歩数のへだたりはないのだよ。 ウリナラ・ファンタジーとまるで変わらない心性であるようだ。とっくに分かっていることだが。 よほどひどい仕打ちを受けたって体験があるのかい? けっきょく そっちのほうの問題だろー。そっちのほうが問題だ。 ここで告白するわけには行かないとすれば だれかに聞いてもらいなさい。 胸の閊(つか)えを取り除いて すこやかな気持ちで出直すようにつとめなさい。 わたしに訊きたいことがあるのだったら いつでも・何でも言って来なさい。 知らないことでも それなりにこたえてやるから。
お礼
>わたしに訊きたいことがあるのだったら いつでも・何でも言って来なさい。 いいことを教えてあげよう。 イソップ物語は読んだことあるのかい。 イエスキリストとかゆーペテン師なんぞの話より、よほど真理に満ちているよ。 哲学がいっぱい詰まっている。 下手な宗教なんかよりはるかに思想的に豊かである。 これを読めばあなたの病気の原因が分かるかもしれんよ。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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まだ隣人愛が 中途半端であった。 ★★ (No.11 お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~ 「教訓」については、 >(α)「悪人相手に恩恵を施し、何もひどい目に遭わなかったら、 それが最大の返礼である、とこの話は説き明かしている。」 (『イソップ寓話集』第156話 中務哲郎訳 岩波文庫130ページ) が最も真意を述べていると思いますが、[・・・] ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ と述べています。そのあと 《現実問題としては》とつづけて別の内容としての見方がつづられていますが その《現実問題》に対してこの引用したところは 《真意》の問題である。 ところが 次のようにも見解を述べている。: ★★ (No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~ > (No.7回答= bragelonne )=(α) オオカミにし てみれば 《お礼は沢山いたします》と約束したとおり に 《オオカミの口の中に頭突っ込んで生きて帰れる》 というお礼をしたことになっています。 約束ごとつまり信義則にかんしては だいたい果た されている模様です。 もとより精神が捻れ病んでいるのであるからこのよーな解釈になるのは当たり前なんだろーね。 このよーな精神環境の基ではどれ程のゆすりたかりもみな正当化され、悪党がのさばることになる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いったい《精神が捻れ病んでいる》のは 誰なんだろーね。 ここまでを指摘しないと 慈悲は成就しない。 心を入れ替えて 精進したまえ。
お礼
>約束ごとつまり信義則にかんしては だいたい果た されている模様です。 そもそも悪党と善人では信義則が異なるってことである。 もとより悪党には隣人愛は通用しない。 また悪党ってのは放おっておけば死ぬのである。 だから悪党には関わってはならないってこと。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.10に《お礼》は要らないよ。 書くに書けないだろうから。心配り。 かえって つらくなったかな。 書かざるを得なくなったとか。 でも わたしみたいな ★ 悪党は初めから相手にせんほうが良いということです。 ☆ よ。ブロックでもしてみたら? 少しは気が楽に成ったかな? ならない? (ちょっと慈愛が溢れすぎたか)。
回答番号4,11のplapotaです。「お礼」をありがたうございました。 「だいたいアルケーの質問ページに首を突つこんでおいて生きて帰れるものがゐると思ふかね。そのことをよく考へなさい。」 といふ返答があるかと思つてゐました。 お示しの英訳書は未見です。英語はわかりませんので、私は英語カテゴリでは質問ばかり、回答は一度もしてゐません。『イソップ寓話集』(中務哲郎訳 岩波文庫)の底本は、 Ben Edwin Perry, Aesopica, Urbana 1952 らしいのですが、これも持つてゐませんので、この英訳との比較はできません。私の手持ちの原典は、『イソップ寓話集』(山本光雄訳 岩波文庫)の底本の Émile Chambry, Ésope fables, Paris 1927 です。 http://okwave.jp/qa/q8806243.html http://mythfolklore.net/aesopica/chambry/224.htm 教訓は、人それぞれで勝手に考へればよいと思ひます。実際、ラ・フォンテーヌ『寓話』(第3巻第9話 今野一雄訳 岩波文庫(上)179ページ)には教訓の記載がありません。私としましては、回答番号4に記したとほりです。
回答番号4のplapotiです。回答してから2日経過しましたが、コメントがありません。 「早くお礼をください」 「君はなんてバカなんだ。お礼はとっくに上げましたよ。」といふ、バカへの「お礼」は何ですか。
お礼
ありがとうございます 取り敢えずplapotaさんへのお礼として質問文に原文と挿絵を添付しました。 「教訓」については、 >「悪人相手に恩恵を施し、何もひどい目に遭わなかったら、それが最大の返礼である、とこの話は説き明かしている。」 (『イソップ寓話集』第156話 中務哲郎訳 岩波文庫130ページ) が最も真意を述べていると思いますが、現実問題としては私が質問に書き記した 「教訓:ー つまり悪党は初めから相手にせんほうが良いということです。 世にはばかる悪徳商法や宗教ビジネスなどはここに出てくるオオカミと同じではないでしょうか。」 これでよいのではないかと考えたわけです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★ (No.7お礼欄) このよーな精神環境の基ではどれ程のゆすりたかりもみな正当化され、悪党がのさばることになる。 ☆ とすると その悪党に対してあなたは ▲ それを見てツルがオオカミに催促した。 / 「早くお礼をください」 ☆ と言う口なんですね。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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悪徳霊能力者から反論だよ。 君を守護するアルケーちゃんのお姿を私から聞きたくは無いかい?
お礼
聞きたくないね。 どーせV字開脚してたとかそーゆーはなしだってことは分かっておるんで。
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お礼
ありがとうございます。 >タイトルの「第14話」といふのが、どの書物による番号なのか不明ですが、以下引用文献によつて番号が変ります。 イソップ物語の翻訳書は数知れないほど多くあるので、番号はそれぞれ異なります。 私の読んだ原文はこの本の31ページにあります。 http://www.amazon.co.jp/Fables-Classics-Brian-Handford-Aesop/dp/B00AXH9CC2 私はこの本にあるイソップ物語の英文訳が気に入って昔よく読んでいたのですが、なぜか特にこの寓話が気に入っています。 >寓話の末尾には「教訓」が示されます。 その教訓の解釈、内容については本ごとに相当に異なりますが、この寓話の場合は、 「悪人相手に恩恵を施し、何もひどい目に遭わなかったら、それが最大の返礼である、とこの話は説き明かしている。」 (『イソップ寓話集』第156話 中務哲郎訳 岩波文庫130ページ) これが最も正解ではないかと考えます。 私が読んだ英文訳でもこれと同様の内容になっています。