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貴方の哲学的発見は何ですか?惜しみなく教えて下さい
哲学をやってて これは と言う様な発見が在りますか? 或いは これはと言う哲学を見つけた 哲学の芯を見た と言う様な発見がありますか? 私は「存在性」と言うものを発見しました。 他にも存在にまつわる事を発見したような気になっています。 もしよかったら 貴方の発見を教えてくれませんか? 自分を発見した でも構いません。
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>あなたの哲学的発見は何ですか。惜しみなく教えて下さい ⇒本日はぐっとくだけて、「言葉の料理フルコース」と参ります。 A.オードブル (1)「植松君」という知人がある時頓珍漢なことをのたまったので、ほとんど無意識に「おそ松くん!」と呼んでしまった。すると彼は間髪を入れずに、「シェーッ!」と返したのではあった。折りしも湧き上がる大爆笑…。数々の夢とロマンと笑いを与えてくれた、赤塚不二夫さん、ありがとう。「おそ松くん」といい、「天才バカボン」といい、彼の漫画には常に哲学があった。 (2)誤解という言葉はあるが、「誤伝」という言葉はない。ボクはこれを辞書に加えたい。誤解は聞き手側に非があるという感じだが、部分的なりと話し手側に非のあることもあるだろう。日常会話で、「もう少しましな説明の仕方があるだろうに」と思っている矢先に、自分の伝達のまずさを棚にあげて一方的にこちらの「誤解」をなじる。むしろ「自分の誤伝を自戒しろ!」ってんだ。 (3)カタカナ語の氾濫が言われて久しい。かつて戦時下で外来語が禁じられた時、ラッパのことを「真鍮曲がりがね笛」と言い換えたそうである。そこまでやろうとは思わないが、同程度に妥当な場合なら、なるべく本来の日本語を使うようにするつもりである。 B.スープ リスボンの街角で二人の男が大声で争い始めた。私は野次馬を決め込んだ。事の顛末は端折るが、面白かったのは、えらい剣幕で罵り合った二人が、十数分後には何と「握手を交わして」別れたことであった。鬼の形相で口角泡を飛ばして喧嘩を始めたが、互いに相手を罵倒し尽くして「充分に満足した」という風情であった(喧嘩はこうでなくっちゃ!)。 翻って日本ではどうか。日本語の場合、他人をなじったり罵倒したりするための表現が極めて貧弱だといわれる。それで、日本人同士の喧嘩の場面では、言葉の応酬だけでは憤懣を発散できず、別れ際に「覚えてろ!」などとのたまう。だから、「日本人の喧嘩で手が早いのは、喧嘩用語の不足から来る」などと言われるのだ。それで、国語審議会に「喧嘩用語の開発」を提案したい。そして、口頭だけで喧嘩して、最後にお互いの博識ぶりと健闘ぶりを讃えあって、(「覚えてろ」ではなく)「おかげで溜飲が下がりましたよ」などと感謝しあって別れる。そんなけんかをしてみたいな~、と思う昨今ではありまする。 C.料理(メーンディッシュ) 日本語の「はい・いいえ」の使い方は非常に微妙で分かりにくい、という外国人の著書を読んだことがある。確かに、例えば英語では「肯定文が続くか、否定文が続くか」によってYesかNoを使い分けるので、その使い分けの基準は単純明快である。日本語の場合、「あなたの言うとおり」が「はい」、「あなたの言うことは違います」が「いいえ」である。一見明快のようだが、問題が起こりやすい。英語では、話者の心理などとは無関係に、単に構文の違いに応じて機械的にYesかNoを使い分けることができる。一方日本語の場合そう簡単ではない。 特に否定語「いいえ」の表す「あなたの言うことは違います」は、容易に「あなたは間違ってます」という意味に取られかねない。よって当の「あなた」は、単に意見を否定されたということ以上の、「人間性を否定された」ような錯覚に陥りやすいのである。「アイツはオレを否定しやがった」というわけである。会議などで、対立的な意見の持ち主同士の議論がしばしば感情的な対立の様相を帯びるのは、こういう事情と関係があるのかも知れない。自戒も込めて言うのだが、ものを言うときは「はい」「いいえ」をはっきりしたいものである。そして意見に反対された時、否定されたのは「意見」であって、決して人間性などではない。だから、反対されたからといって、感謝こそすれ、根に持つことなどとんでもない被害妄想・感情動物の所業なのだ、と思う。 D.デザート 居酒屋でほろ酔い加減の学生S君が言う。「ボクは、全然もてないのが悲しい。何か良いアドバイスはないでしょうか。」―酒の席である。少々悪乗りしていい加減な「アドバイス」を垂れたものである。「我々は誰でも、初めて会う人には拒絶反応を示す傾向が強い。そして拒絶する際、比較的多く否定語が用いられる。ということは、相手が否定語を使うことで事が進行するような状況をプロットすればよい、ということになる。因みに、君は話しかけるとき、『お暇ですか?』とか『お茶でもいかがですか?』のように、一般肯定形で言うのと違いますか?」―「そのとおりです。」―「やはり。それがいけないんですよ。」『お暇など無いでしょうね』とか『お茶など飲む気はありませんですよね?』とか『ボクなんかと一緒ではだめでしょうね』のように言うべきなんですよ!」 彼は真顔になって感心し、「否定語前進法ですね」などと言いながら手帳に書きとめていた。そして、後日某大学の学園祭に出かけて、早速その手法を実行したそうな! 驚いたことに、それからというもの、頻繁に『幸福の報告』を聞かされる羽目になってしまったのだ。二人の関係はだんだん濃密になっていき、卒業後ついにゴールインした。ついでに付記すると、祝宴の席上で『否定語前進法』の秘話をバラしたらバカうけであった…。ご馳走様! 以上、長々書いた割には「哲学的発見」に遠く及ばず、おこがましかったかも知れませんが、ご回答まで。
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- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
yuniko99様、こんばんは。 ・・・ちょっと、違うので恐縮ですが、 「受容」ですか。 (いや、もっと大変なところも、ある、に違いない)
お礼
受容することを発見したのでしょうか? クリナルさんの答えはいつも あら?と考えさせられます。 そこが良い所ですね 受容しなければなりませんね どうも大変ありがとうございます。
毎回「これは・・!」の連続ですが、1ヶ月後には発見したものは自分にとっての当たり前(たまに早とちりも見つかる)になっていて、1ヶ月前は未熟だったなあ・・の繰り返し。「成長する」ということを発見しました。
お礼
毎回「これは・・!」 というと? しかし自分の成長を発見できるのはいいですねえ 私もここに質問すると 毎回「これは・・!」と思う回答が来ます 大概。 勉強になりますし 私も少しは成長してるのではと思います。 いい答えをありがとうございます。
- 02140023
- ベストアンサー率19% (82/416)
継続は現状維持である 継続は力なりと申します。 しかし、『○○をしている』、という現状を変えずにいるということでもあります。 変われることは強さです。 変われないのは脆さです。 …哲学とは違うかも。
お礼
>変われることは強さです。 >変われないのは脆さです。 これも言えてますが 変わらないことの強さ 変わることの脆さも言えますね 哲学だと思います。生きる上でも考えることですよねえ 私も考えました。 どうもありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
最高の英知はメメントモリです。 それ以前の私は死の恐怖に打ちのめされそうになったときに、なんとか逃げよう、忘れようとしたものです。 しかし、哲学(の傍流かな?)に出会って、メメントモリを言い聞かせるようになってから、人生が充実してきました。 お蔭様で、人生の後半になって、幸福感に満ち、感謝で一杯の日々を過ごすことができています。
お礼
メメントモリと言うのは「死の予見」というのと同じような意味なのでしょうか? 必ず死ぬのだから今を楽しめ という感じですかね それで充実した生き方が出来るのならいいですねえ。 僕もそう在りたいものです。 どうも大変ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
このような内容の質疑応答は おままごとかまたはお医者さんごっこでしかないという発見です。 むろんとっくに得ている発見ですが 確認するのもよいでしょう。 問題意識がない。 問題を意識したときには あまりにも大きすぎる。広すぎる。 これが 茶飲み友達のあいだでの茶飲み話の特徴です。 これを その種の人びとの《存在性》だと言って言えなくもありません。 あぁ またひとつ発見した。
お礼
存在性と言うものは実に感心するくらいの発見ですよ 進化論の発展形なのでしょうけど すこぶる上手く説明がつく これを残して私は死んでゆくのですねえ ははあはあ? 存在性という言葉を使う人をまた一人発見した。^^ どうも大変ありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
前から言いたかったがな。 脳みそ筋肉論がすいこうな精神の原点だと言う私に対して、君の反応はあまりにも軟弱だ。 君には煮えたぎる男の熱さが無い。 それでは所詮筋肉エクソタシーには到達できまい。 入魂が君には必要だ。 アニキなツンデレというやつだ。 熱いだろ。
お礼
アニキのツンデレは冷たく熱い。焦げている。 私はもう燃えカスのようです ハイになっています^^ 脳みそ筋肉論は冗談でしょうか?マジでしょうか?? どうもありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
知性とは精神力次第だ。 したがって脳みそを筋肉トレーニングすることで磨かれる。 素晴らしい発見だ。
お礼
確かに最後は体力勝負、精神力勝負ですねえ 脳トレ筋トレで知性を磨く 歯磨きみたいに毎日ゴシゴシ磨けば 知性はキラキラ光りだす。その結果素晴らしい発見がザックザク 凄い こりゃ大発見だ^^ どうもありがとうございます^^
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
哲学では仮説は発見できるが正解は発見できないということです。 考えたことはいつまでも仮説でしかない。 哲学では考える以外に検証手段がないからです。 仮説自体が矛盾を含んでいる場合に、それを指摘することはできます。 その場合、仮説を放棄するか、矛盾が発生しないように仮説を修正することになります。 しかし、仮説はどこまで行っても仮説。 ある事柄・現象があったとします。このことを説明できる仮説Aを考えて、Aには内部的な矛盾がなかったします。この場合でもAが正解であるとは言えません。もしからしたらA以外に、内部的に無矛盾なほかの仮説が存在するかもしれないからです。通常は全ての仮説について検証することは不可能です。まだ、思いついていない仮説があるかもしれません。 しがっていつまでたっても仮説のままということになります。
お礼
それはそうですね。人間には真理を知ることはできません。 出来るのはせいぜい法則の仮説を唱える事くらいです。 超弦理論もヒッグス場も量子論も相対性理論も仮説です。 現実が数学通りのはずがないのです。 成る程どうもありがとうございます。
- Prome_Lin
- ベストアンサー率42% (201/470)
Jean-Paul Sartre(ジャン=ポール・サルトル) 「人間は自由の刑に処せられている」 人間は、完全に自由であるが、その言動や行動は、全人類に対して責任を負っているため、「自由の刑に処せられている」ということになるそうです。 もう40年近く前に読んだ本ですが…。
お礼
確かにどう行動するか考えますが 必ずしも全人類に対して責任を負ってはいない人も多いのではないでしょうか? サルトルは背負いすぎたのか? ビートルズはヘイ・ジュードで 世界を背負わなくていいと言ってますねえ サルトルとビートルズでは哲学的には格が違いますかねえ^^ しかし確かに自分で選び、自分がその報いを受けるわけです 天国と地獄もどちらを選ぶかは自由 という事でしょうか? 成る程どうも大変ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
発見したのは、この宇宙。 宇宙の果てまで&根源まで、見えるようになった。 何かのためでなく、自分が自分である事に基づいて、 自然に生きられるようになった=真の自己を発見した。
お礼
自己宇宙論ですね。一つの哲学としては成る程と思います。 宇宙が自分の認識である それ以外のものは認識し得ない 宇宙の果ては自分の中にある 宇宙の根源は自分の根源である と言うような事でしょうか。 成る程どうも大変ありがとうございます。
お礼
先生の文章なので 明日じっくり読んで書こうと思いましたが 全くです。自数の割には楽しく読めました。腹痛がするので難しいのは苦しいのですが。 よくは分からないのですが 暗に僕へ自戒を促したのだろうと思いました。 オードブルでは「誤伝」言葉の問題 スープでは批判を被害的に取らないこと メーンディッシュでは日本語の否定を人格否定や存在否定に取らないこと デザートでは否定語前進法 これは哲学する態度かな?人との間にも言えそうです。 その様な教訓が込められているように思いました。 凄いですねえ この様な文章は 僕は逆立ちしても逆上がりしても書けません これは私の発見というより 教えられたと思います。 ただ私がこれから それを活かす応用力があるかどうか 年だし頭も行かれてて 私 凄まじいとこでやってたんで議論が荒くなり 理解されないと言う諦めがあります。 ここで最後まで諦めない気持ちを もう一度思い出したいと思います。 昨日の野球で9回に3点とってサヨナラ勝ちしました それも際どいプレーばかりです 勝負は下駄を履くまでわからない。先生の教えを活かせたら いいのですが 果たしてどうなることか? これはどうも大変ありがとうございます。^^