- ベストアンサー
技術英文翻訳「考えられる」「思われる」の扱い
- 技術系の会社に勤めている社員が日本語で書いたレポートを翻訳家が英文化する作業が行われている。
- 翻訳家まかせなので、英文に不自然な部分がある。
- 特に「考えられる」「思われる」は不自然な訳になることが多いため、原文のルールを提案している。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本人は一般的に論理性に欠ける人が多く、また文章の表現も何が言いたいのかはっきりわからない人が多いのが特徴だと思います。 そして、何が正しいか自分では判断できず自信がないからあいまいに書いていたり、自分で責任を負う事が嫌で人に押し付けようとする無責任な性格も関係しているように思います…。 事実と自分の考えを分離するというのが、論理的な表現の基本です。 >客観的に正しい事実は、断定型で書くようにする。 これはいいと思います。 >「推定する」「予想する」「判断する」 これは「誰が」という主体を明確にすることが必要だと思います。書いている人が個人的に判断したのか、「一般的にそう考えられている」のか。個人的な判断の場合には、「…する」「…した」とし、場合によっては「私は」もしくは「我々は」をつける。この場合根拠の提示は必要ありません。 しかし、「一般的にそう考えられている」としたい場合には「一般的にそう考えられている根拠」を明記させる。論文・文献・ネット上の記事・雑誌その他なんでもいいので1つ以上の根拠を提示させる。根拠の提示が出来ないものは、個人的な意見とする。 と、そうするといいのではないかと思います。
その他の回答 (4)
- sknuuu
- ベストアンサー率43% (408/934)
ああ、何となく問題点が見えました 技術者と翻訳者と、質問の方、たぶんとりまとめというか直接的な製品製造の方でないというか せっかく翻訳をしているのだからきちんとした英文で表すべきと思っていても、それをさせてくれない環境があるのでしょうか 今の時代は、例えば料理であれば「つべこべ言わず黙って食え! そうすればすぐわかる」とかいう感じは通用しないところがありますからね 少し美辞麗句を語ったほうが注目度が高まる時代です ですから言葉の重要性というのは非常に高いわけです 海外の人がその製品を評価する場合、まずは説明書とか開発のデータなどを見て検討に値するかを見るわけです もしいいかげんなデータや説明が提示されていたとすれば、購入意欲は減少するでしょう 最後には信用問題ですからね ずっとおつきあいできる信用できる会社(製品ではなく)と評価できるかですね そうすると、こういう"たかが翻訳"という作業が非常に大きなウェイトを占めることにります いろいろ大変なんですね
お礼
度々のご回答ありがとうございます。 問題点は大体お察し頂いている通りの内容だと思います。 私の所は研究開発部門です。自分も含めて中の人間はほとんど 技術職採用ですので、こういう文書管理のような仕事も理系出身者 がやることになります。私は、元々文章書いたり英語が好きだった こともあり、現在はそういう仕事に携わっております。 元々海外とはやり取りが少ない部署だったのですが、近年海外メーカー とのやり取りが増え、また国際社会への対応という会社の方針のもと 文書の英文化が行われるようになってきました。 今、自分が問題にしているのは、技術レポートです。これは技術論文ほど重い ものではないんですが、共同作業している海外メーカーや、海外事業所の 外国人が読むであろうことを想定しているわけです。今のレベルは一応は 通じると思うんですが、日本人的な文章とかいうレベルですらなく、単純に 不自然なレベルなんです。 なんでそうなるかというと、さほど英語ができる人がいないので、原文は日本語 で書きます。これはチェックを受けるのですが、技術的な内容だけで日本語について はよほど変でなければ通ります。そして、それが自動的に社内の翻訳家 (文系の翻訳兼通訳)に行き、「打ち合わせもなく翻訳されます」。 ここで、本当は打ち合わせをするべきですし、 翻訳家の方も嫌がらないと思うんですが、技術者が多忙を理由に嫌がります。 結果的に不自然な英訳が出来上がります。この英訳は、一応、著者及びその上司が チェックすることになっているのですが、元々英語が苦手で翻訳を頼んだ人が 何をチェックしていいのか分かるわけもありません。大抵チェックしたふりを して社内のサーバーに登録されることになります。 この系の質問はこれまで数回したことがあるのですが、多くの方の意見は、 統括的にチェックする人が必要ということでした。私もそれに同意いたします。 それで、文書管理の責任者にあたる人に、今のやり方はまずいんじゃないかと 何回か言ったことがあるのですが、今の水準でもなんとか理解できるとか、 多くの書類を短時間で翻訳する必要があるから仕方ないとか、色々理由をつけて 改善策を講じようとしません。理由云々より、単に非経済的なことに時間を さきたくないだけなのだと思います。 回答者さんのおっしゃるように、海外に売り込みをかけるのに使うような 文書でしたら、説明の重要性は無視できなくなりますよね。そこら辺の 意識が低いのが一番の問題だと思います。 こういう議論すらも会社では相手してくれる人がいないので、 このサイトは大変助かっております。
- sknuuu
- ベストアンサー率43% (408/934)
あ、あと別の視点から >>その中でも「考えられる」「思われる」と書いた部分は、ほぼ確実に不自然な感じに訳されています。一番多いのは "it is considered"で、"it is thought" もたまにあります。 これは翻訳者の職務怠慢と思われます 日本語での「考えられる」「思われる」というのは非常にあいまいな表現であり、場合によっては全く必要のない表現だということは多くの日本人が知っているわけです それにもかかわらず、単に"it is considered"や"it is thought"で済ませてしまっているというのは、やる気がないとしかいいようがないです 前回答の内容は発注する側からの依頼に含めるべきものであるとともに、依頼を受けた翻訳者もどのように訳すべきかをきちんと確認すべきことと思います どちらにせよ、依頼側と翻訳者との間での意思疎通がうまくいかなければ、いい翻訳はできません
お礼
二回にわたり丁寧なご回答ありがとうございました。 執筆者と翻訳者のコミュニケーションが一番大事ですよね。 私もそれは十分承知しているのですが、メーカーの技術者というのは 文書を書くのが苦手というか嫌いな人が多く、正論をぶつけても 暖簾に腕押しというところがありまして・・・ 企業の技術者にとっては論文というより製品が成果ということなのか、 レポートにまとめるということの価値が軽んじられています。 (もちろん、そういう企業ばかりではないと思いますが) そこで、正攻法ではないかもしれないけれども、現在の水準を少しでも 上げるための試みをしようかと思った次第です。色々な方のご意見と自分の 意見を合わせますと、以下の順で重要になりますでしょうか。 1執筆者と翻訳者のコミュニケーション 2執筆者の原文作成能力(国語力) 3翻訳者の実力(テクニカル英語の知識) 4確認に必要な程度の執筆者の英語力 一生懸命考えても、色々理由付けられてあまり取り合ってもらえないのですが、 自分のためでもありますので、引き続き考えていこうと思います。
補足
お礼コメントに書いた「一生懸命考えても、色々理由付けられてあまり取り合ってもらえない」というのは、「会社の上の人が」という意味です。 ここのサイトの皆様は真摯にご回答くださり感謝しております。
- sknuuu
- ベストアンサー率43% (408/934)
>>ほとんど打ち合わせも指示もなく翻訳家まかせなので、できあがった英文を見ると不自然な部分が少なからずあります。 >>その中でも「考えられる」「思われる」と書いた部分は、ほぼ確実に不自然な感じに訳されています。 >>著者以外が勝手に決めていいものではないと思っています。 質問の方にお伝えすべきことは、「翻訳者は機械ではない」ということです 何の打ち合わせもない状態で、日本語原文、それも技術的な内容を訳せ、というのは酷な話です ましてや、程度の話を重要だと考えるのであれば、それを翻訳する人に伝えなくては期待する訳が出てくるはずがありません 出てきた訳に注文をつけて修正してもらうことはできるはずです その修正を少なくしたければ、日本語の原文をしかるべき表現にするのも有効ですが、そもそももどういう点に注意して訳してほしいかを打ち合わせなどで伝えるべきです ま、提示されたたように明確な日本語表現を提示することは大事なことですし、かなり有効なことだと思います ただし、英文を読むのは誰なのかを考えた場合、ネイテイヴだということであれば、例えば推定=assumeというのが適切な訳かどうかというのはわからない(形容詞を使ったほうがいいケースも多い)ので、疑問があればその都度、こまかに翻訳者と打つ合わせる必要があると思います 日本語原文に沿った英訳が、ネイティヴにとって自然な英文かどうかは全体の流れから判断する必要があるからです
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
それは、『日本語を書く人間が、 ・断定に足る証拠があるのか、 ・考察における推論としてその考えに至ったのか、 ・他の可能性も残っており断定できないが一因ではあるのか、 それぞれが区別できるように「日本語での区別を統一する」』 べきものです。技術者として、科学的に断定できないものまで断定させるのは、翻訳のためとは本末転倒の行為です。 学術論文における、結果(Result) の欄は統計的データに基づく事実であり、断定可能なもの。しかし、考察(Discussion) の欄はその Result から論理的に導かれるものを書くのであり、因果関係の言及においては、まだ単一原因-単一結果の一対一対応が取れているとも言い切れないし、言い切ってはならないのです。 これは、翻訳のためではなく、そもそも原文の時点で「論理的に断定可能か否か」という自問自答をさせておかねば、技術文書としての意味をなさない、というところとともに、英訳の際にもその違いを表現できるよう分類する「交通整理」の役目をするための、戒めです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに翻訳家の便宜のために原文を単純化するのは本末転倒 ですよね。ただ、メーカーの技術者というのは、大学の研究者と違って 成果を文章にするというのが非常に苦手でして、何とか現状よりも ましな水準に引き上げたいという思いがありました。 「論理的に断定可能か否か」というのは重要なキーワードだと思いますので、 現在作成中の原文作成のポイントの資料に使わせていただきます。
お礼
質問にストレートにお答えいただきありがとうございます。 主体や根拠をはっきりさせることが重要なのですね。 論文に関する質問では同様の指摘をいただくことがあり、 その重要性を認識するようになりました。 メーカーでは複数の企業と共同業務を行うこともあり、 そういうことからもレポートには主体を明らかにしておくのがよさそうです。 ご回答を参考にして、原文作成のポイントをまとめようと思います。