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人間は精神である。精神は人間の存在性である?
人間と言うと体と頭に宿る精神と・・・と考えますが 私は極論ですが、人間とは精神の事だと言いたいです。 精神は人間の存在性であり。従って人間は存在性そのものです 存在しようという性質(のハタラキ)が人間なのです。 え~~~?という方も居られるとは思いますが そう思う貴方 貴方は精神ではありませんか? 精神がなくなったら、貴方ではなくなるのでは? 精神が存在性でなければ 人間は死んでしまうのでは? 存在性とは そのものを存在させる性質の事です つまり精神は性質なのです? おかしいでしょうか? 教えてください よろしくお願いしますm(_ _)m
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哲学を知らず、哲学書を読まない、だからもう2~3年間、同じ質問を繰り返し、繰り返し、まるで壊れたレコードみたいに質問している。 いったい、それしか質問することが無いのか? 哲学書を読んでいたら、いくらでも疑問に思うことがあり、いくらでも質問することがあるのに、いかんせん、ぜんぜん哲学書を読まないと、一つことをバカの一つ覚えのように質問するしかない、ああ、哲学を知らないとこういうことになるのか、という見本のようなもの。 他にないのかね? もう、その質問は飽き飽きして、あくびが出る。 こんなことを言うとOKウエイブの担当者は、また私の回答を削除するかもしれないが・・・・・・・ それにしても、なんでそんなつまらない質問にわざわざ回答しなければならないのか、空しさを覚えます。 私は自分を人間だと思ったことはあるけど、精神だなんて思ったことは、これまで一度もありません。 「精神というと、体と頭に宿る精神と・・・・・考えますが」と言って、その間に・・・・・・・が入っていますが、たぶん、あなたも、そう言い切るのには「ためらい」があるということなのでしょう。 「ためらう」のも分かります。 なぜって、体を、頭を、解剖したって、精神なんてどこにも無いからです。 人間の体は機械と同じもの、そして頭は肉のカタマリ、神経繊維・ニューロンと化学物質・シナプスのネット・ワークに過ぎない、そんな中にどうして精神なんて存在するでしょうか? 肉のカタマリでしかない、脳が、精神? あなたのいう精神とやらは、どこにあるんですか? きっと、17世紀にデカルトが心が実体、身体が実体と言って心身二元論を唱えてより、人間はただの物質ではなく、精神を持った存在だと、学校で教わったから、それをあなたは今でも信じていて、人間は精神だと信じているのでしょう。 だけど、心が実体だというデカルトの考えは、19世紀初頭にカントによって、心が実体ではないこと、心は物のように実体的に存在するものではないことが明らかにされ、デカルトの心身二元論を論破してより、今では人間を精神などという人は、あなたを除いて、他に誰もいません。 人間が意識を持っていることは明らかですが、その意識が精神だとは誰も思っていない。 あなたのいう精神って、いったい何ですか? そしてその精神はどこにあるんですか? 精神なんて、ただの言葉、言葉でしかありません。 あなたはそれをみずから「極論ですが・・・」と言っているように、「人間は精神である」とは極論を通り越して、妄想のたぐいです。 「精神は人間の存在性であり、したがって人間は存在性そのものです」 ・・・・・と言っているが、「・・・・・・性」という場合の「性」とは、その物の本性・本質を言う。 人間性といったら、人間をして人間たらしめる本性とか本質を言う。 ところがあなたは「存在しようという性質(のハタラキ)が人間なのです」 ・・・・・と言っているが、性質というのは、そのものの本性でも、本質でもなく、属性のこと。 人間が本性とか本質によって人間であるというのなら理解できるが、その属性である性質の「ハタラキ」によって、人間であるとはどういうことか? また、「人間は存在性そのものである」とはどういうことか? 人間の本性とか本質は、その属性である性質と不可分だとしても、「人間が存在性そのものである」とは言えない。 また、その「性質の「ハタラキ」が人間なのです」とも言えない。 そもそも性質の「ハタラキ」とは何を指して言っているのか? 人間がさまざまな性質を持っていることは分かります。 本性や本質以外に性質という属性を持っています。 だけど、その性質の「ハタラキ」とは具体的に何を指して言っているのか? 「ハタラキ」とは機能のこと、人間の機能だとしたら、「走ったり」「食べたり」「ウンチをする」「恋愛する」「旅行する」・・・などのことです。 でも、「走る」のは人間だけではありませんし、「食べる」のも人間だけではありませんし、「ウンチをする」のも人間だけではありません。 ところがあなたは「性質のハタラキが人間なのです」と言っている。 どうして人間が、「走ったり」「食べたり」「ウンチをする」ことが人間なのですか? あなたは人間以外の動物が「走ったり」「食べたり」「ウンチをする」のを見たことが無いのですか? そうしたことは人間だけの特権だとでも思っているんですか? ああ、笑っちゃう! 私は精神なんて無くても、あなたのいうその変な言葉・存在性が無くても、それでも人間です。 「精神が存在性である」なんて考えないし、「精神が存在性でなければ人間が死んでしまう」なんて考えないし、そんなものが無くても、私は自分を人間だと思っています。 意識があれば、それだけで十分。 心だとか精神は、ただの言葉です。 だから言葉としては実在しても、現実には実在しない。 心も、精神も、見えない。 見えるものだけが実在し、見えないものは概念、言葉。 「存在性とは、そのものを存在させる性質のことです」「つまり精神は性質なのです」 ・・・と言っているが、「存在性」という言葉がどの辞書にもない、ウィキペディアにも載っていない、あなたの自分勝手な造語だし、そんな言葉は無いし、デタラメだし、哲学も知らない、哲学書を読んだこともないあなたの妄想に過ぎないし、性質とは本性・本質と違って、そのものに必然的に属する属性ではないし、人間は本性・本質によって人間なので、性質という偶然的なものによって人間なのでもない。 最後に「つまり精神は性質なのです?」と言って、最後にクエッション・マークを自分でつけているように、自分でもそれを正しいと信じていないのではないか? 「おかしいでしょうか?」と言って質問する前に、あなたはそれが「おかしい」ことをあらかじめ知っている。 あらかじめ知っていて「おかしいでしょうか?」と質問するのは人をバカにするのと等しい。 「おかしい」に決まっているだろう? さて、この回答にOKウエイブの担当者は、削除するか、それが楽しみだ。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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ひとは 自然本性として《身と心》から成るということに誰も反対していません。 それを《心》のみに還元してしまうことは おかしい。と言っています。 ★ 精神がなくなったら、貴方ではなくなるのでは? ☆ なくなるから ★ 私は極論ですが、人間とは精神の事だと言いたいです。 ☆ が そのまま通るとは限りません。 だったら 《身体がなくなったら 貴方は貴方でいられるか?》と問うた場合は どうなのでしょう? ★ 体と頭に宿る精神 ☆ であるのなら 精神もなくなります。 きちんと道理に合った議論をしてください。 あなたが言いたいのは 《身と心 身体と精神 感性と理性 感性の原野と思考の緑野》をも超えたところの何ものかのことを言っているのではないのですか? それを 《存在性》とか《精神》とかと呼んで。 精神の語を用いるのは ややこしくなります。 存在性の語は よほどしっかりと定義しないと いつまで経っても何の進展もしないというやり取りになります。いえ もうなっています。 だから 《有限なもの――つまり 身と心 感性の原野と思考の緑野――》を超えたところの場 これを《無限なもの》として 人間の現実に――想定としてでも――採り入れるということ。そしてそれが 《非思考の庭》であり 思考の知性に対しては 霊性とも呼ぶべき領野です。 この霊性なる奥の院は 本性と呼ぶことがあり得るという意味では 《性質》と言えなくもないようですが なにぶん《感性や理性》としての有限性や可変性といった・これも性質と呼ぶものとまぎらわしくなります。 だから この弱点をも押してさらにご自分の主張をつらぬきたいと言い張るには よほどの理論を全体として整合的にして示す必要があります。 おい ゆにこ! 何度言わせんだよ。 ○ 霊性というのだから 《性質》と言って何がわるい? ☆ と返されたなら。: 霊性:非思考の庭:信じる:クレド( credo ) ----------------- 知性: 感性:感性の原野:感じる:センスス・コムニス( sensus communis ) 理性:思考の緑野:考える:コギト( cogito ) ☆ このように《~~性》というふうに用いるのと 《性質》という語として用いるのとではやはり違うと思われます。
お礼
書いたのですが消えてしまいました。 身と心 これが矛盾します。それで人間は迷います 動物を殺して食べていいのか?性交は不潔な行為なのか?人間は何故戦うのか? 天皇陛下でもウンコをするのか? 戦いは動物なら体どうしで戦います。しかし人間はそれを精神の世界まで持ち込んでしまいました 戦争など動物でさえしません。 精神は適度な競争がいいのです。戦争等精神には害ばかりです。 殺されるのも害、殺すのも害です。 心・精神が人間であり 精神は殺し合わなくていい いや殺し合ってはいけない。 動物じゃないんだ、尊い存在なんだと言う事を 今一度訴えたいと思います。 霊性と言うのは?辞書では色んな意味があるようですが どういう意味で使ってあるのでしょうか? 霊ってなんですか?スピリットとどう違うのですか? 光とか、波動とか、いろんなイメージを言うスピリチュアルもありますね。 非思考の庭 感性の原野 思考の緑野 って誰が言ったのですか?? どうもありがとうございます。
人は自己の存在価値が確保できないとき、 自己を「存在」とするために、 つまり「実体的存在幻想」を確保して、 精神的安定(安心立命)を得るために、 反社会的な行為に訴えてでも自己の存在価値を確保しようとするからである。 まさに「存在価値問題」とは「存在問題」 そのものなのである。
お礼
そうです つまり存在が価値なのです。存在する事が、存在するものが価値なのです。 どうもありがとうございます。
- weavaest
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じゃあ精神って何でしょうか。物理的な何かなのでしょうか。脳の中の”何か”なら、肉体の一部ですよね。 精神て言葉が曖昧だと感じてる私のような人からすれば、曖昧なものを別の曖昧なものに起き変えているように見えます。
お礼
精神はあなた自身ですよ 他人の精神なんて体験できませんよ あなたにとってのあなた自身である精神が曖昧なのでしょうか? 性質ってどういう概念かわかりますか? どうですか? 知ってる様で知らないですかね? その辺をよく考えれば 分かって頂けないものかと思いますが どうでしょう? どうもありがとうございます。
- ggggggggggg hhhhhhhhhhh(@tasketeqq1)
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あまりにも難しく、ワタクシには判りかねます
お礼
それはすみません。分かりにくいですねえ 申し訳ない。 どうもすみません。
お礼
ご回答ありがとうございます 何か誤解が多いようですが、私の主張は次です 体は所謂猿ですから、大自然の法則、体の進化のための弱肉強食、欲望に遵います。 しかし精神(心)は猿ではないので、それなりの理想を持ちます。弱肉強食ではいけません その 体と精神には従う行動に矛盾が生じるのです。 これが人間を悩ますのです。人に良くして上げたいが、自分の欲が出ます。 牛や豚は食べたいが 人を殺して食べるのには抵抗があります。 思春期の子供たちはその様な悩みを抱えて苦しむのです 人間とは心身両方を持って人間とするには矛盾をはらみ割り切れません それよりも 欲望に関しては動物、心に関しては精神(人間)とした方が分かり易いのです その上人間は人工物を多く作りました。それらは主に精神の成せる技です 動機は美味しいものが食べたい、衣食住に困らないように、移動をスムーズにしたい 雨に濡れない職場を作りたい等々有りましょうが。精神が作ろうとしなければ出来ません その時作る手は人間の手です。意識、精神が支配しています。(欲望が主に支配することもある) そこで私は精神の方を「人間」と呼び。体の方は「動物」と呼びます。 つまり精神が動物を飼ってる様な格好になります。 精神が性質で出来ているというのは、精神のように非常に多くの情報や性質、ハタラキを持ってるものは この世には「性質」しかないからです。他に何があるでしょうか?そのような小宇宙をこさえるものが? つまり前に書いた様に脳を主体とした神経細胞などが持つそれぞれの性質、伝達物質や微弱な電磁波の持つそれぞれの性質、ホルモン、脳漿の成分の持つそれぞれの性質が反応し合って意識、感情、心、精神を成している訳です。 世親が存在性だというのは 簡単に言えば 精神がなかったら人間も生きてはいけない、存在できない と言う事です。 私は心身二元論ではありません。エネルギー(物質)と性質の二元論です。 取り敢えず今日はこのへんで。 どうも大変ありがとうございます。