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人間存在とは何者でしょうか?
人間とは何でしょうか と問えば 二足歩行とか道具を使うとか出てきそうですが 人間存在とは何か?と問えば どうでしょうか? 人間存在は体も入るでしょうか? 精神? 実存?もっと簡単に言えるでしょうか?
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人間は自分の体を環境とする生物であるというような説を聞いたことがあります。この場合の生物というのは、必ずしも発達した脳ということではなく、外見から見れば他の生物と違いがないような、いわば眼には見えないようなものではないかと思います。あなたのおっしゃる精神というのが当たっているように思います。
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- ukiyotonbo
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>人間の影響した全てが人間と言う事でしょうか? そうではなくて、人間が影響した全てを反射させると元の人間存在にあたるということ。見て、聞いて、味わって、想像して、感じて、行動して、影響を及ぼした全てを反射させた総和が人間存在ということ。 >人間は自分は何ものだろうと客観視することは出来ないのでしょうか >他の人間を見て考えることも出来るように思えますが。 他人を客観視して、自分も同様だろうと推定することは可能です。 しかし、その客観視している視点に、人間がしっかりと存在しているので、 客観性には限界があるのです。犬の視点は?クジラの視点は?と想像は可能ですが、 それをやっているあなたという人間から決して逃れられません。 人間は人間から離れることはできないのです。 例えばあなたがものを見ます。見るという行いの反射は、見られたものからの視点です。
お礼
勿論完璧な客観視は出来ないでしょう。ただ人間には理性がありますから大体の客観視は出来る様になるのではないでしょうか? 反射をどうやって認識するのでしょうか? どうもありがとうございます。
- ukiyotonbo
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人間存在を客観視して、精神であるか、実存であるかという観察を深める不毛は、 「人間存在とは何か」をその人間存在が考えるという事態によるものです。 人間活動の全ては、認識、行動、過程、結果、波及のあらゆるものごとが、人間存在に基づくものであると言えます。 しかし、その人間存在とは何かを人間存在からみても直接答えを得ることが出来ないのです。なぜなら、未知の自分を問うているのが自分なのですから答えが出るわけがありません。逆に既知になったときそれは既知であって問いが単純に消失します。 それはそれとして、では手はないのかというとそうでもありません。前段の認識、行動、過程、結果、波及のあらゆるものごとが、人間存在に基づくものですから、そこからの全ての反射が人間存在を表しているということになります。 つまり、あなたが捉えている人間の全ての「活動」の反転があなたの人間存在となります。ここで反転というのは、その全ての活動をもたらしたものです。それが何かを言葉で表現することは困難です。そして、全ての人のその反転を集めることができるならそれこそが人間存在と等しくなるのではないでしょうか。
お礼
人間の影響した全てが人間と言う事でしょうか? 人間は自分は何ものだろうと客観視することは出来ないのでしょうか 他の人間を見て考えることも出来るように思えますが。 どうもありがとうございます。 確かに僕も人間かされたもの 自動車や道具なども人間の一部と考えていますが。環境も。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 聖書から次の文句を取り出しその表示するところが ひとは三位一体なるカミの似像(にすがた)であるという。その見方を提出します。 ◆ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 ☆ 次の図式が この文章の意を取ってその内容を明らかにしようとしたものです。 ○ (ひとは カミの似像である。) ~~~~~~~~~ ――ひとと社会の成り立ちについての図式―― 光のたとえ・・・・・・・・・光(光源・・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ) 三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・聖霊なる神) ____________________________ スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A ) ____________________________ 身体〔の運動〕・・・・・精神・概念(記憶・・・・・知解・・・・・意志) ・・・・・・・・・・・・・・・・・↓・・・・・・・ (↓・・・・・・・↓・・・・・・・↓) [S者/S圏] 個体・・・・・・・・・・・・家 族 ( 秩序・・・・・労働・・・・・・愛) 社会主体・・・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治) 経済主体・・・・・・・・生産態勢(組織・・・・・・生産・・・・・・・経営 ) 政治主体・・・・・・・・・↓ ・・・・・・・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓ [A者/A圏] ・・・・・・・↓・・・・・・ ・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓ 社会科学主体・・・・・社会形態(社会組織・・経済活動・・・政治 ) 〃・・・・・・・・・・・・・(国 家 : 司法・・・・・立法・・・・・・・行政 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ひとの生まれつきそなわった自然本性とは 身と心とです。 心すなわち精神には 三つの行為能力があります。記憶と知解と意志とであり その内 意志がひとの存在にとって・つまりとりわけ実存と言われる存在のあり方にとっての中軸を成す。と見ます。 この三つの行為能力を持つ〔精神としての〕自然本性をもって ひとというミクロコスモスなる存在は 司法・立法・行政という三つの権力の分立かつ協業をその仕組みとするひとつのコスモスたる社会(その単位体)と言わば相似形を成す。と考えられます。 これら三つの行為能力(その時間差をともなった一体性・協業性)は おそらくフラクタル構造を成すかのごとく 社会の到るところ(分野)で見られるのではないでしょうか。 《神の似像》論は 細かくなりますので ここでは触れません。愛嬌として捉えてみておいてください。 * ちなみに 次も愛嬌のようなものですが 昔の人たちは コスモスをいわゆる宇宙として捉えて そこには神の霊があると見たとき この霊と人間との言わば一体性を思い つぎのような類型で表わしたと考えられます。 1. ブラフマニズム:梵我一如 梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス 我:アートマン・・・・・ミクロコスモス 2. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如 無梵:空・シューナター・ゼロ 無我:アン‐アートマン;ニルワーナ 3. ブディズム:仏仏一如 仏:アミターバ / マハーワイローチャナ 仏:如来蔵・仏性 4. クリスチアニズム:霊霊一如 霊:神・聖霊 霊:《神の宮なるわれ》 5. (プラトン?):霊霊一如 霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ) 霊:《われ》 * ひとなる存在は そのみづからの知解能力によってものごとや世界を認識するのであるが この認識によってその存在が成る――ということではないはずです。 ひとは 素粒子そのものではありません。それらに還元されないでしょう。 ひとは――あるいは 人である《わたし》は―― すでに生きているとき その生きている存在を認識することはあっても 認識行為が存在を成り立たせるなどということはあり得ません。(自覚の以前と以後との違いはあるかも知れません)。 存在が わたしにおいて生きているというのは その中軸である意志によってものごとを考えおこないをおこなうということを意味すると思われます。
お礼
色々考えて来られたのでしょう 分りにくい所もありますが 「存在が 私において生きていること」と言うのは唯物論では分かりにくい言葉ですねえ。 意志によって考え、行う事を意味する。 大体分かります 人間存在が精神であると言うこと その意味が意志で考え行う事である事 と言うことでしょうか どうもありがとうございます。参考になりました。
- mas-george
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わたし? あなた? 人間の存在とは? その質問は、あなたが やさしく我慢強い親に育てられ 日本語を話すことができ、 ネットを使える程度の教育を受け 自分で考えることが出来て初めてそーゆー質問ができるんだ。 そういう質問が出来るまで育ててもらった 親に感謝したまえ。そして感謝したならそれを態度で示したまえ。 そして身の回りにいる困っている人を助けたまえ。 それが『人間の存在する意義』だよ
お礼
なるほど確かに どうもありがとうございます。
- suzumenokox
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人間として存在するということは‘人間の個性を活かして生きること‘だと私は考えます。人間の個性とは主体的に価値を為すことで、それは日常のほんのささやかなことでもいいし、広い世の中のどこかの誰かの励みになるということだけでもいい。自分の実情に応じていろいろな人間の個性の活かし方があるものだと思います。
お礼
人間存在の在り様は 人間の個性を活かして生きることだと 説明される訳ですね この個性と言う言葉 存在には必要な言葉だと私も思います。 人間の個性は様々な性質を持ちますよね どうもありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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人間とは、「認識可能性」であり、その感受表面が「内=記憶= 時間の流れ=自我仮説=過去=時間軸」と「外=予測=空間の広がり =時空仮説=未来=空間軸」を分ける界面原点なのです(感受表面 =量子相互作用=現在=0(仮説的空間への無の射影))。 量子論的世界像において、認識される事によって有限的な存在 性(=宇宙)を派生させています(絶対的な確定化において無限 不確定に発散する本質を階層現象表面的に(いい加減に)捉える事で)。 全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づき、無限に 詰めると存在確率の山は平らになり無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識 体の仮定断面(認識可能性)の変移を想定すれば、相対的に 無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン) の向うに、自己の補完(相補的不確定性=不確定性原理)とし ての宇宙を認識するのです。 換言すれば、あらゆる時点(無=無限の潜在としての認識可能性) からの過去(記憶=自我仮説)と未来(予測=時空仮説)への相互分化を、 その原理的な変化(プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張) の先入化=時間軸化=時系列化において、その「経験による階層 現象表面的定性化=いい加減に捉える」事を可能にしているのです。
お礼
最近不調で先生の説明を読むと頭痛がしてきます 今度時間があったらじっくり読んでみます どうもありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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存在の自覚と言えば、人間の場合自らが生きている自覚なんだけどな。 あんたはこの自らの自覚が不明確なのだよ。 不明の自覚には主観的にいろんな言い訳があるだろうが、要するに自分ひとりで生きていけないから、いつも誰かの影響を受けていて、その影響を与えた誰かさんの意思を自分の意思より優先しているんだ。 自分の意思で生きていないから、生きている自覚がない。 そして存在不安だ。 実のところ君を支配している意思は、君自身の意思では無くゴルゴムの意思で、君と言う存在はゴルゴムと共に仮面ライダーに滅ぼされてこそ、自らの真実を知ることができる。 私がその仮面ライダーだ。
お礼
何だかよく分かりませんが どうもありがとうございます。 人間存在も、人間以外の存在も 基本的には同じだと 僕は考えていますけど。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2126/7992)
地球が人間がいない惑星だった場合を考えてみましょう。 人類発生以前の状態のままで現在まで続いていたら、二酸化炭素の増加が無かったわけですから、現在は氷河期の真っ只中で、大陸は氷河で埋め尽くされ、生物は赤道近くの狭い地域にしか生きていられなかったでしょう。 人類の歴史は地球温暖化の歴史と呼んでも良いくらいで、人類の活動が活発化するほど温暖化が急速に進み、現在では温暖化が速過ぎて環境異変が起こっている状況です。 人類の存在とは地球を温暖化するものだと言っても良いでしょう。化石燃料を掘り出して燃やす生物が存在する事が、地球温暖化に繋がっているわけで、人類がいない地球は氷河時代から抜け出せない惑星なのです。
お礼
面白い切り口のご意見、ありがとうございます。 しかしもっと過去には何度も温暖期が在ったのではないでしょうか?
お礼
精神が体を環境にして存在している それが人間存在の在り様と言うことでしょうか なるほどですね どうもありがとうございます。