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スターリンとルーズベルト、トルーマンなどの交渉
スターリンはルーズベルトやチャーチルなどから有利に交渉などを運んだ印象があります。 でもトルーマンとはそうでもないように思えます。 それぞれ交渉の内容などどのようでどのように違ったのでしょう?
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ミリタリーはまだしも、政治史はあまり詳しくないので一般的なレベル程度の話になりますが、アメリカ的には社会主義政策ともいえるニューディール政策や、全体的な対応を見てもルーズベルト大統領はかなり容共的な人だったと思います。今なら、社会主義者と呼ばれるかもしれないですね。 一方のトルーマンはかなりアカがお嫌いだったと思います。アメリカでいわゆる「赤狩り」が始まったのもトルーマン政権下のことでしたからね。赤狩りが本格的になったのは次のアイゼンハワー大統領のときだけど、ジョセフ・マッカーシーが台頭してきたのはトルーマン大統領のときですからね。 トルーマンは基本姿勢はアカ嫌いの(現代の目から見れば)差別主義者だったと思います。日本に対する原爆使用も躊躇はなかったようだし、黒人に対する態度も厳しかったようです。 チャーチルがスターリンに対して政治的に勝つことができなかったのは、もう大英帝国はドイツとの戦争で疲弊して終焉していましたからね。国力的にもうソビエトに対抗できなくなっていたというのはあったと思います。チャーチル卿その人も大変なアカ嫌いではありましたが、それ以上に政治家でありました。韓国のオバチャンのように自分の感情(一説には本当は日本好き説もあるみたいですけどね)で国益を損なうようなことはしないってことです。結果として、譲歩はせざるを得なかったところではないでしょうか。
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- mm058114
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チャーチルは、イギリスは経済が実質破綻しており、 アメリカから武器、ソ連から食料援助を求めていた。 対日戦に、大きく関与できない事を認識していて、 旧来の植民地の回復だけを望んでいた。 ルーズベルトは、最終兵器である原爆使用を、ためらっていた。 また完成に近づいていたが、いつになるかは確たる自信が無かった。 ルーズベルトは、対日作戦で早期降伏させる為には、 本土上陸作戦しかないと考え、 ヨーロッパ以上の戦傷者が発生するであろう事を予想し、 早期のソ連の対日参戦を望んでいた。 ソ連は、ドイツを降伏させてからの賠償金品土地の獲得を、まず望んでいた。 スターリンは、対日戦にも参加したかったが、 ドイツ降伏の目の前になっていても、まだ二面作戦の自信がなく、 ドイツ降伏の半年後の対日戦を目論んでいた。 また、日ソ中立条約があるので、条約の一方的破棄で、世界からの孤立を恐れ、 破棄をルーズベルト、チャーチルに認めさせたかった。 ルーズベルトが死亡し、トルーマンは昇格し、時期大統領選の勝利を第一に考えていた。 トルーマンは、全然知らされていなかった、原爆開発に、 戦費の1/3もの大金が使われていた事に驚き、 時期大統領選の勝利の為、戦費の1/3をかけた原爆を国民に言い訳するために、 必ず対日に使用せねばならないと考える。 原爆という武器を手に入れたトルーマンは、戦後世界でのソ連の発言権を大きくせず、 アメリカ一国で独占したいと考える。 てな、ところでどうでしょう?
- hamazo2004
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これはネットなどによらない私の個人的意見なので間違っているかもしれません。当時日本は欧米にとってイメージ的にも強国であった。対日戦争を終わらせるためには陸続きであるソ連の協力が絶対に必要であった。ソ連は日ソ中立条約があり、参戦を正当化する理由が必要であった。ルーズベルトはすでに病気であった。チャーチルの対日感は悪くなかった。結果的に野心家のスターリンの独壇場であった。今と違って米国内にも共産主義者が多かった。トルーマンはルーズベルトの病死によってたまたま大統領になった。トルーマンの回顧録を読んだが、原爆投下について責任逃ればかりで無責任で小物のイメージ。