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ポツダム宣言

ポツダム宣言は、ベルリン郊外のポツダムでトルーマン、チャーチル(のちにアトリー)・スターリンの3首脳が決定したものですが、何故英米中の三国の名前で勧告がだされているのですか?介石はポツダム会議にでてないのに、、、。

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  • hinode11
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回答No.2

昭和20(1945)年7月中旬、戦後処理を話し合うために、米、英、ソ、三国の首脳がポツダムで会議を行いました(⇒ポツダム会議)。米ソの利害が対立して会議はスムースに運びませんでしたが、日本と戦争していた米、英、二国が対日降服勧告について合意しました。米国が重慶の蒋介石と無線連絡をとって蒋の同意を得、7月26日に米、英、中、三国の名前で日本に向けて降服勧告を発出しました(⇒ポツダム宣言)。 この時、ソ連の名前がなかったのは、日本の戦後処理について米ソの合意が成立しなかった事情もありますが、当時、日ソ中立条約が生きていたので、日本と戦争をしていないソ連が降服を勧告するのは具合が悪いという事情もありました。ソ連のスターリンは日ソ中立条約に違反してでも樺太や千島を日本からもぎ取りたいという野望があったからです。 昭和20(1945)年8月9日午前0時、ソ連は条約を一方的に破棄(違反!!)して、日本領の千島、樺太、朝鮮と、日本の同盟国だった満州国に対して武力攻撃を開始しました。武力攻撃を開始した日に、ソ連はポツダム宣言に加盟しました。ロシア人は非常に汚いことをやったのです。 余談ですが、日本政府は、8月14日午後11時ころ、米、英、中、ソの四国に向けて、ポツダム宣言受諾の電信を発しました。

その他の回答 (1)

  • cdsdasds
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回答No.1

何故かと言えば、ご質問にあるとおり蒋介石が参加していないからです。 何故カイロ宣言のときにいたのに、今回はいないかというとポツダムではドイツ降伏後のヨーロッパをどうするかということがメインテーマで、領土的にヨーロッパと直接関係せず、ドイツに軍を出していない中国とはこの問題について特に協議する必要が無かったからです。 対日宣言自体は蒋介石も同席して出したカイロ宣言の延長なので、中国を無視したというわけではないと思います。 ただ、蒋介石がいないところで日本に降伏するよう呼びかけてはいけないというわけではないですよね。残っているの日本だけだし。

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