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第二次世界大戦関連の情報の捜索
閲覧頂きありがとうございますm(__)m 私が過去に読んだ本、ニュースの中で【山本五十六さんが「私は戦争には反対であるが、開戦後数ヵ月はなんとかする」と昭和天皇?に言う記述】と【ハフィントンポストかその他アメリカかイギリスの大手メディアの日本語版にて「イギリス首相のチャーチルとルーズベルトもしくはトルーマンが日本に到底受け入れがたい要求(植民地と現中国の放棄と他)を出し日本が戦争をしなくてはいけない路線にはめた(仕組んだ)」】と言う記述があったのですが、今探しても見つからないです。 分かる方がおりましたらそのurlか書籍名、又はスクリーンショットをお願いします。
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- igarasik0
- ベストアンサー率28% (59/208)
前者は山本が近衛文麿首相に語った内容を近衛が記録していた話。 大抵は近衛の日記などをまとめた「近衛日記」という本を出典としている。 後者は陰謀論めいたネタとして、いろんなところで語られている話。 質問者様が見た記事もいろんなものが考えられるので、他人が特定するのはたぶん無理。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
>山本五十六さんが「私は戦争には反対であるが、開戦後数ヵ月はなんとかする」と昭和天皇?に言う記述 開戦前に当時首相だった近衛文麿が連合艦隊司令長官だった山本五十六に「もし日米開戦したら勝つ見込みはあると思うか?」と問われたときに「半年や1年なら大いに暴れ回りますが、それ以降はどうなるか分かりません」と返した話で、山本五十六関連だったらお約束のエピソードくらいにそこらじゅうに出ています。 ちなみにこのとき、山本五十六は「持ったところで1年だよ」という意味を込めて話したつもりだったのですが、一方の近衛は「1年以内に戦争を終えればいいんだな」とポジティブに受け取ってしまったようです。戦後、あれは戦争反対の意でそういったと聞いた近衛は「もしそうだったら開戦しなかったのに」といったという話が伝わっています。 >ハフィントンポストかその他アメリカかイギリスの大手メディアの日本語版にて「イギリス首相のチャーチルとルーズベルトもしくはトルーマンが日本に到底受け入れがたい要求(植民地と現中国の放棄と他)を出し日本が戦争をしなくてはいけない路線にはめた(仕組んだ)」 「日米開戦はアメリカに仕掛けられた」という陰謀論ですね。これも割とそこらじゅうにあります。アメリカが最後通牒としてつきつけたのが「ハルノート」というもので、これを受け取った日本側は「もはや開戦しかない」と決断したと巷間よくいわれています。 厳密には、アメリカからハルノートがつきつけられた時は日本側は御前会議で開戦が決まってはいたのですけれどもね。
- kimamaoyaji
- ベストアンサー率26% (2801/10379)
ネタ元がフェイクだと思います、日本は植民地を持っていません、ましてや中国は清の第12代皇帝 愛新覚羅 溥儀 ラストエンペラーが居たわけで、日本は満州国(1932年から1945年)の愛新覚羅 溥儀と「大日本帝国と不可分的関係を有する独立国家」です。 日本の敗戦により、8月18日に満洲国皇帝・溥儀が退位して満洲国は滅亡。満洲地域はソ連の占領下となりました。 また中国は上海から内陸部はイギリスの植民地、青島周辺はドイツの植民地、マカオや南京の内陸部、ベトナム周辺はフランスの植民地だったわけで、内陸のさんがくぶはや砂漠などが植民地でなかっただけ、なお、朝鮮や台湾は統治はしていましたが植民地ではなく、併合と言う形です、現地の人間に日本国籍を与えた、つまりは教育も受けられるし、軍の士官にもなれました、実際朴大統領は日本軍の士官でした、植民地の場合は教育どころか三等兵にすらなれません。 同時期ヨーロッパでの併合はドイツに併合されたオーストリアがあります、ではオーストリアドイツの植民地扱いでは無いですよね、であれば、併合と植民地はぜんぜん違うものだと言うことです。 日米の戦争は、アメリカが日本を経済封鎖した、つまり海路を封鎖して、輸出入を止めたのが原因で特に石油が輸入できなくなったのが大きな要因です。 だから日本はフィリピンやインドネシア方面に進軍したわけです。 朝鮮はロシアとの防戦、陸路を中国の湾岸部を通って陸軍が南下しようとしたと言うだけ。 当時は白人以外は奴隷扱いで劣等人種として扱われていたわけで、その中で唯一日本だけが白人と対等に渡り歩いていたことに対して、ひれ伏させるのが最大の目的でしょう。