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ヤルタの思惑

戦後の世界システムを決定付けたヤルタでの米英ソ首脳会談でのエピソードですが、会談前に米大統領F.ローズベルトは「私は理想主義のチャーチルより私と同じ現実主義のスターリンの方が馬が合う」と語っています。ですが、ソ連を最大の脅威とし封じ込めを説くチャーチルより、戦後のマーシャルプランを含め共産圏との共存が可能であると考えていたローズベルトの方がよっぽど理想主義者であるように感じるのですが・・・

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  • tanuki4u
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回答No.2

http://newspaperarchive.com/panama-city-news-herald/1943-12-23/page-2 he said practically nothing except that he and Stalin were realists というのが 新聞のアーカイブに残っているので、テヘラン会議の後でも 言っていたようです。 少なくとも、このタイミングを「ヤルタ会談の前」とするのは、ちと強引かと。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

1 元ネタ(?)は これではないか? The four policemen and Postwar Planning, 1943-1945 P69 By this point the difference in ideology between the president and prime minister had become clear; at the Quebec conference of August 1943, a precursor to the Tehran meeting, Roosevelt declared that he and Stalin were realists, while Churchill was overly idealistic. 2 タイミングが違う ケベック会談 1943年8月17日 - 24日 チャーチル、ルーズベルト、キング カイロ会談 1943年11月23日 - 26日 チャーチル、ルーズベルト、蒋介石 テヘラン会談 1943年11月28日 -12月1日 チャーチル、ルーズベルト、スターリン ヤルタ会談 1945年2月4日 - 11日 チャーチル、ルーズベルト、スターリン ヤルタ会談の前とは言え、18ヶ月前のケベック会議段階でのルーズベルトの発言となっています。 3 テヘラン会議(スターリンと会う)に向けて、英米の視点が離れてきた(という中でのルーズベルトの発言引用) 中国やアジア政策に関して、英米の乖離が進んだ・・・というのが元ネタの 飲用文章の前に延々と書かれています。

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