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ノルマンデイー上陸作戦の真相とは?
- 第二次世界大戦のノルマンデイー上陸作戦について調査しました。
- アメリカの戦略とスターリンとの関係性に注目する必要があります。
- ルーズベルトの判断とノルマンディー選定の真意を考察しました。
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>ノルマンディーではなくもっとソビエト領に近いところを上陸地地点とすべきだった、にもかかわらずスターリンの要求でノルマンディーを上陸地点せざるを得なかった。ルーズベルトはスターリンにしてやられた。という考えがありますが 歴史(軍事史)好きですが、そんなん初めて聞きました。まあいかにも歴史を知らないネット右翼あたりがいいそうな荒唐無稽な陰謀論ですけれど。 連合軍がノルマンディーを選んだのは「攻めやすく、かつ補給がしやすい場所」を探した結果です。連合軍はデンマークからスペイン国境の辺りにかけて北海、大西洋に面する海岸とその後方をくまなく調査をして、どこが最も上陸作戦に適しているかを検討しました。 まずは上陸しやすい地形であることと、膨大な連合軍に補給が維持できるようにそこそこ以上の大きさの港を近くに持っていることが必須条件で、次に重要な条件としては「ドイツ軍の守りが薄く、増援がすぐに送れないこと」がありました。 この条件で、オランダとベルギーが外されました。ドイツ軍の強力な装甲師団が展開していて、すぐに増援にやってこれるからです。 最有力候補としてあがったのが、フランスのパ・ド・カレーでした。ここはイギリス本土から最も近く、上陸しやすく、規模の大きな港湾がありました。 けれどそれはドイツ軍も分かっていて、パ・ド・カレーには陣地を築いて部隊も多く配置しました。ノルマンディー上陸作戦が行われたとき、ドイツ軍はノルマンディー上陸作戦はドイツ軍の気をそらすための陽動作戦だと思い、本命はパ・ド・カレーだと思って増援が遅れて勝機を失う原因のひとつにもなりました。 「パ・ド・カレーのドイツ軍は強力で、上陸作戦を行うと多大な損害を被る可能性がある」と連合軍は分かったので、必死に偵察を行いました。すると、ノルマンディーは陣地の構築がほとんど進んでいない「穴」であることが判明しました。ノルマンディー西部のコタンタン半島にはシェルブールという大きな港湾都市があるので補給の面でも好都合です。 また様々な情報収集も行ったところ、ノルマンディー地方には東部戦線(独ソ戦)で大きな損害を被った部隊が再編制のために駐留しているなど、防御部隊も二線級であることも分かりました。連合軍が最も恐れる、ドイツ軍の獰猛な虎である装甲師団もほとんど存在しませんでした。 なので連合軍の上陸作戦の場所として、ノルマンディーが選ばれたのです。選ばれた理由は純粋に軍事的な理由で、政治による駆け引きの結果ではありません。 ベルリンをソ連にとられたのは、連合軍が首都よりドイツ南部にあるドイツ軍残党を優先したからです。対するソ連軍はスターリンの命令により遮二無二ベルリンを目指しました。連合軍の総司令官は軍人であるアイゼンハワーです。アイゼンハワーは(後に大統領になりましたが)あくまで軍人ですから、軍事的理由を最優先します。 一方のソ連は軍人などスターリンの虫の居所ひとつで簡単に粛清されますから(実質的にソ連軍を作り上げたトハチェフスキー将軍も粛清されました)、スターリンが「ベルリンを目指せ!」といったら全員それに従います。スターリンは軍人ではなく政治家なので「敵の首都を占領する」という政治的なパフォーマンスを優先したのです。
お礼
素晴らしいです。これ以上のノルマンデイー上陸作戦についての説明はないです。当方あやうく「歴史を知らないネット右翼あたりがいいそうな荒唐無稽な陰謀論」に惑わされるところでした。もちろんこの「陰謀論」は当方がどこかの雑誌で読んだもので誰が書いたかも覚えていません。この質問をしなかったら、roero4649さんの回答を読まなかったら一生荒唐無稽な珍説を信じてたかもしれません。ありがとうございました。