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日本人の恐れる地上戦とは?
- なぜ日本人は必要以上に地上戦を恐れるのか。
- 日本人は過去の戦争経験から地上戦に対して特に敏感になっています。
- 島国であることから、日本人は大陸国と比べて地上戦や長期にわたる紛争に慣れていない可能性があります。
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ドレスデン空襲の被害者の話を聞いて、「第二次大戦中日本の10倍の爆撃に耐えたドイツ」とは言えないでしょう。 日本は、陸上で国境を持っていない(南樺太は放棄、北方領土は海上に国境)ので、陸軍が国境警備するわけではなく、海上か空中での国境防衛をしなければならないのが特徴的な国です。 ドイツへの徹底的な空爆とノルマンディーから押し返されての進軍、そして後ろの壁になっていたソビエトに見放されての挟み撃ちになって、あっという間に陥落したドイツ・ベルリン。 その姿を沖縄本土決戦と同時期の5月にみてしまった軍部などが、8月にソビエトの対日参戦をくらった時点で、ドイツと同じ方法論で10倍の爆撃をしてくるだろう、という前に天皇は英断を下したのです。
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- s_h_i_g_e_y_a_n
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簡単です。勝てないからですよ。 日本がある程度、大陸に侵攻できるようになったのは、明治以降でしょう。 島国なので、遠征するのは難しいし、逆に侵略もされにくい、という条件ですしね。 >見かけ倒しの黒船 江戸時代に黒船や大砲見せられたら、そりゃビビるでしょ。 ってか、ここで我慢したから、日本は明治以降、強くなったんだと思います。 >日本軍中佐が戦後まるで悪人 帝国軍は紛れもない悪ですよ。 どれだけの多くの人が、無謀な戦いに赴かされ、犠牲になったと思ってるんですか? 平和な時代に、ヒヨって生きてる人間が適当言ってんじゃねぇよ。 明治以降に蓄えた国力が、間違った方向に使われてしまいましたね。 >ドイツや中国が怖いもの知らず そういうことは、比較的言えるでしょうね。 どちらも世界に席巻した国家ですから、やられてもやり返せたし、 やってしまった手前、やられても仕方がないという気持ちがあったでしょう。 しかし明治以降の(特に太平洋戦争時の)日本ならば、そういう面でも世界的に上位にランキングされると思いますよ。
- eroero4649
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>第二次大戦中日本の10倍の爆撃に耐えたドイツ。 耐えたとはちょっと違いますね。ドイツ市民が最大の被害をこうむったのはドレスデン爆撃でしょう。ドイツの古都ドレスデンは軍事施設などもなかったため連合軍の爆撃の対象から外れていたため、「ドレスデンは爆撃に遭わない」と各地の避難民が集まっていました。連合軍はここに無差別爆撃をかけ、ドレスデンは文字通りに灰塵となりました。この爆撃が行われたのは1945年2月で、5月にベルリンが陥落していますから、もう戦争の大勢は決しており、ドレスデンには工場があったわけでも大規模な部隊が展開していたわけでもありませんでした。 この爆撃でいったい何人のドイツ市民が犠牲になったのか、永遠に分かりません。というのも、いったい何人の避難民が集まっていたのかが分からないからです。一説には「少なくとも20万人はいたのではないか」ともいわれています。当時ドレスデン市内は避難民が路上まで溢れていたそうです。公式の死者は3万人前後ですが、推定値では最大で20万人が死んだともいわれています。くり返しますが、これは「何の意味もない一方的な虐殺」です。個人的には東京大空襲、広島・長崎原爆にも匹敵する虐殺だと思っています。 >当時の海軍力では江戸幕府の地上軍すら撃破できないレベルの海兵隊の数しか運べないのに 日米交渉でペリーは「我々は100隻の戦艦を持っている。もし拒否すれば戦争も辞さない」と強硬な砲艦外交を仕掛けてきました。実はペリーはフィルモア大統領から「戦争にだけは絶対にするな」とキツく命じられていたのですが、無視したのです。 来日前に日本に関する資料を精読したペリーはあるひとつの推測を立てていました。それは「日本人は恐喝に弱いのではないか」ということでした。その読みは当たり、彼の恐喝外交ともいうべき方法は大成功を収めたといっていいでしょう。 一方、当時ロシアはペリー以前から江戸幕府に対して外交交渉を何度も仕掛けてきたのですが、幕府側が「外国の窓口は長崎だから長崎に行ってくれ」といわれればそれに従う「ちゃんとした外交」をしてきたので江戸幕府にのらくらと躱されて条約を結べませんでした。 >やっぱり対して数いない元寇を大変な事態であるかのように記録している日本人。 いやまあそれなりに大軍でしたよ、元軍は。ただ、彼らは対馬海峡を渡る程度の航海でも士気が下がるほど海に不慣れだったのです。また日本側にとっても政治的に大変な危機ではありました。当時の首相ともいうべき立場にいた執権北条時宗は、元寇の戦後処理に苦悩する中、弘安の役のわずか3年後に34歳という若さで病気で亡くなってしまいます。元寇とその対応が相当なストレスであったと推測されますね。 >日本本土空襲の被害なんて限定的なものにすぎないと戦時中パニック防止のために正論を述べた 戦後のアメリカ戦略爆撃調査団の報告で推定の死者が25万人です。阪神淡路大震災の死者・行方不明者が約6千人、東日本大震災の死者・行方不明者が約2万人です。貴兄は「東日本大震災の被害なんて限定的なものにすぎない」といえるかな? 貴兄はドイツ爆撃に関しても、ペリー来航に関しても、元寇に関しても、日本本土爆撃に関しても、基礎的な知識が不足していますね。ほぼ皆無といっていい程度かなと思います。
- hekiyu
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日本は島国です。 ソ連や中国のような大陸なら、内部深くに誘い込んで包囲して やっつける、という方法も採れます。 しかし、島国ですから、敵はどこからでも攻め込むことが できます。 そして、攻め込まれたら逃げる場所はありま せん。 もっと言えば、国土に侵入された時点で、概ねアウト ですわ。 だから国土に侵入される以前に何とかせねばならない わけです。 こういうことで、制空権、制海権をとられたら、 大変な事態になります。
- kuni-chan
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>黒船に降伏した日本人。 どこにそんな事実があるのでしょうか。
- ithi
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judenki さん、こんばんは。 第二次大戦中日本の10倍の爆撃に耐えたドイツ。 当時の海軍力では江戸幕府の地上軍すら撃破できないレベルの海兵隊の数しか運べないのに、見かけ倒しの黒船に降伏した日本人。 それ以前の時代の、やっぱり対して数いない元寇を大変な事態であるかのように記録している日本人。 島国だから地上戦や数十年単位のにらみ合いに慣れてないんでしょうか。 大陸国では頻発してる程度の事象でも日本国内で起こるとその当時大事件になるのは当然としても100年過ぎても依然そんな扱いなのはなぜなのか教えてください。 それとも逆に、ドイツや中国が怖いもの知らずなのが世界平均からみておかしいんでしょうか。 ドイツや中国のように陸続きの国は陸戦が得意です。日本は海洋国家ですので、日本国内や日清、日露の両役のような外征の地上戦ならまだしも、日本国内に外国の軍隊を引き入れての守りの地上戦は不慣れです。地の利がある分、かなりの抵抗ができるでしょうが、結果的に負けてしまうでしょうし、特に目の前で人が殺され、人がケガしているところで敵を攻撃するという残酷なことに精神的に耐えられないでしょう。また、地上専用の武器も完全には揃えることができない点、恐ろしく想像力が欠如しているというのも一因かもしれません。 そして、原爆のような戦略兵器が開発され、実戦で使用されたことも一因でしょう。
- zenix1
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その点に関して時の為政者がまともな判断をしてきたんでしょうね。 外国の軍隊が入ってきて市街地戦やられたり、ゲリラやレジスタンス活動なんてしたくないですもん。 戦争は外でやってほしい。 専守防衛なんてどうかしてる、いきなり本土決戦だもん。 防衛できる訳ないじゃん、歴史的に見ても。 それでもどうしても本土決戦になってしまったら、愛する家族を守るため老体に鞭打って竹やり持って戦う覚悟持ってますよ。 コンマ5秒でやられますけど。 つまり恐れているのではなく、現実的な判断をしただけ。 例にだされてるドイツや中国などは、入ってきちゃった。