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ドレスデン空襲が非難されるわけ
投弾数被害者数という問題を超えてドレスデン空襲は議論の的となっているようですが、それはつまりこういうことなのでしょうか。 当時(1945年2月)敗色濃いドイツは、特にソ連方面からの難民が押し寄せていて、文化都市的性格のあったドレスデンに何十万人か流れ着いていたと言うことがある。人であふれている文化都市に対して、英米は人員殺傷目的で大空襲を行った。 しかも、その空襲の真の狙いは、間近まで迫ったソ連軍に、英米の空軍力を見せ付けると言うことにあった(これは諸説あるようですが私はこれがもっともらしいと思います) つまり、軍事的にそれほど価値のない都市(せいぜい東に向かうドイツ軍を収容するくらい)を、避難民も含めた人民殺傷目的で空襲し、さらにその殺戮には、真意としてソ連をけん制するということがあった。つまり、10万人からの被害者は、ソ連への見せしめに殺されたのだ。 こういう構図が見え隠れするから、問題になっているのでしょうか。 いままで、なんでドレスデンドレスデンとこだわっているのかわからなかったのですが。 なので、通常兵器空襲での長崎広島的意味を持つ行いであったこと。もし、ドレスデンの議論がこういう含みで行われているとしたら、これが、「核」の問題を超えて、広島長崎でももっと問題視されるべきとも思われます。
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ドレスデン空襲が特に非難される理由は、難民が集まっていた都市を狙ったこと、ソ連への牽制、に加え、その特異な爆撃方法にあります。 「ターゲット・エスカレーション」と呼ばれるこの爆撃法は、一度目の爆撃は軽い爆撃に留め、空襲警報が解除され人々が防空壕から出てきた頃を見計らって、時間差で2度目に本格的な焼夷弾爆撃を行なうというものです。ドレスデンでは、空襲警報が解除され、市民による救援活動が本格的に開始された頃を見計らって2度目の空襲があった為、多くの人が巻き込まれ焼き殺されてしまいました。ドイツの防空部隊も高高度で侵入した「おとり」である1撃目の爆撃隊に注意をそがれ、超低空で接近した2撃目の爆撃隊はノーマークでの侵入を許してしまったため甚大な被害となってしまいました。 広島原爆でも似たような爆撃法が採られたといわれています。
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- Mumin-mama
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91年と07年にドレスデンに行きましたが、黒くすすけた建物が目立ち確かにドイツのどの町より第二次世界大戦のことがいつも感じられる街だと思います。 当時ドレスデンには市民の何倍もの引揚者で街が混みあっている状態だったようです。絨毯爆撃とか街の周りから焼夷弾を落とすと炎が竜巻になるので逃げ場を失ってしまったのでしょうね。 私の母の家族も東京大空襲の体験者で私も子供の頃から東京大空襲の話を聞かされて育ちました。東京にはその面影もありませんが、91年ドレスデンの旧市街に立って空襲の恐ろしさを感じたことを思い出しました。 ドレスデンもエルベ川に橋が架かることで世界遺産からはずされるかも知れません。現在は昔通り、ドイツで一番美しい文化都市です。もし、まだご覧になっていらっしゃらないようでしたら、訪ねてみてください。
お礼
現地に行ってみると感慨を催すところはありますね。日本ではすぐ風化してしまうようですが、外国では間近に歴史を感じることができるところが多いです。やはり、引揚者であふれている街を襲ったという非情なやり方が非難されるゆえんかもしれません。
補足
これは、妄想に近いものなのですが、もし、ソ連が追いやった避難民がドレスデンに群がっていたとすると、そして、もし、ソ連に対して米英が戦後の力学を考慮して威嚇威勢行動を取る必要がありまた取ることを希望していた場合(このばあい原爆もその意図があると考えてよいかもしれません)、「お前ら(ソ連)がおいやったこの着の身着のままで厳冬の街に逃げ込んだやつらがいる、これはお前らの力の証明だろう、だが、俺らがこいつらをどうするかわかるか?お前らがやった以上の力で炭人間の山を作ってやる!」というような凶暴な心理作用が働いたといえなくないのではと妄想します。
- Mumin-mama
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ドイツの歴史に詳しく(その人の家族も東プロイセンの引揚者)日本の歴史も勉強しているドイツ人にドレスデンの空襲について聞いてみました。 Q:(前文略)人員殺傷目的での大空襲だったのか? A:そうではないと思う。 スターリングラードで戦えば、ドイツは必ず負けるとドイツ人の誰もが思っていた。(1943年初め、ドイツ敗北)その時点か負けた時点で戦争を止めていたらドレスデンの空襲は無かった。 Q:その空襲の真の狙いは、間近まで迫ったソ連軍に、英米の空軍力を見せ付けると言うことにあったか? A:そういうことは今までに聞いたことが無い。 ドイツのみに対しての空襲だと思う。 第二次世界大戦の初めの頃はイギリス空軍とドイツ空軍の報復合戦でドイツもロンドンやその他イギリスを攻撃しているし、イギリスのドレスデン空爆はCoventryの報復の意味もあるかもしれない。 Q:ドレスデンの空襲は広島や長崎と同じ様な意味を持つか? A:戦争は全て悲惨で、何処と何処がという比較は誤解を生みやすいが、広島や長崎というより、東京大空襲の方が近いと思う。 ドレスデンの聖母教会の再建話が持ち上がった頃に市民の反対者たちから、「広島の原爆ドームのように残すべきだ」という意見があったからドレスデン=広島と言うのかも知れない。 1970年に撮影された聖母教会 http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Bild:Frauenkirche_1970.jpg&filetimestamp=20070614054756 再建後の聖母教会 http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Bild:Dresden_frauenkirche.jpg&filetimestamp=20070425142622 Q:イギリスはドレスデン空襲についてドイツにすでに謝ったか? A:国は謝っていないが、例えば、ドレスデンの聖母教会の屋根の十字架はイギリスの”Dresden Trust”の寄付とドレスデンを空爆したイギリス軍パイロットの息子〈金細工師)によってつくられた新しい十字架が再建後飾られている。 また、ドイツが爆撃したConventryのカテドラル再建にドイツも寄付をし、Cpnventryは現在ドレスデンの姉妹都市になっている。 ドレスデンの空襲による被害者は死亡者約25,000~40,000、負傷者約3,000人だそうです。 ドレスデンは当時ベルリンとプラハ、ウィーンやニュールンベルクを繋ぐ鉄道の要でした。 また、軍事産業も全く無かったわけでもないようです。
お礼
ありがとうございます。 ご足労ご協力非常に感謝いたします。うれしい限りです。 なにか、ドレスデンという地名を空襲の代名詞のようにたびたび聞く気がしました。それが、ベルリンでもハンブルクでもほかの都市でもないのです。なぜか、ドレスデンです。ここが他と比べて、圧倒的に攻撃されたわけでもなく、投弾量とか被害者が桁外れだったわけでもないらしいのです。それななのに、なぜかというのが疑問です。 それが、なにか広島長崎のような象徴的な意味合いを持つのではないかという気がしました。 だとしたら、なにかソ連をけん制するという意向があったのかという憶測をしてしまいます。 東京大空襲って言うのは、あれは3月10日だけではないんですね。その後もたびたび襲われますが、投弾量は同じでも被害は格段に少ないのです。地形地勢住居環境と防御体制によるものです。
補足
なお、まず周囲に火を放って、住民の逃げ場を奪ってから、皆殺しの投弾を行うという手法は共通しています。
お礼
ありがとうございます。 やはり、そのような、難民へのそして以下に人間を殺傷するかという観点から行ったと事の倫理観が問題だということなんでしょうね。それえでなければ、なぜハンブルクやベルリンが非難されないのかわかりません。ソ連は都市爆撃を敢行する空軍力がなかったんでしょうかね。だから、英米はできるぞ!とみせつけたか。 しかし、防空壕って結構効果あるものなんですね。 広島は、6機できましたが、2機は途中離脱し、あとの3機は気象観測や記録のためでしたようです。はじめの2機に空襲警報が発令され、搭載機にはマークが甘かったという解説を読んだ気がします。