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《認識の無への還元》は 認識行為ではないのか
(あ) 《物理学は、対象を分析しているようで、実は同時に認識手段も分析している事でもある》と いま認識しているのではないか? (い) 《そして、対象は「超弦=量子定常波」、認識は「感受表面での量子相互作用」として、量子性に還元される》とやはりいま認識しているではないか? (う) 《その量子が、仮説的時空への無の射影=認識の無への還元として得られる時、もはや「なぜ認識はあるのか?」という問いは意味を持たない》という認識が いまおこなわれている。その認識を無へと還元するのは このいまの人間の〔認識だけのではあるが〕意志行為である。 (え) 《全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなる》という認識を いまおこなっている認識および意志の行為になぜ《先入化》してしまうのか? (お) 《この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識体の仮定断面(認識可能性)の運動を想定すれば(プランク定数hの収束の時系列化=物体の収縮=宇宙の膨張)、相対的に 無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのだ》というのは いまここでおこなっている認識行為ではないのか? その認識をおこなってしまえば もう人間の認識行為は消えてなくなるのか? (か) なぜ《無への還元》なる認識をいまの認識に先入化するのか? (き) なぜいまここなる時を止めてしまうのか? (く) 認識を無に還元したから 自分は透明人間になるというのだろうか。 (け) なぜいま・ここにはいないかのような思考と振る舞いをするのか? (こ) 《無への還元》は 単なる観念ではないのか? それとも量子相互作用をいま知覚しているというのだろうか。 (さ) 《認識は無に還元される》という命題の前にその認識とは何であるかを明確にしなければならない。生きているなら 《〈認識は無に還元される〉と認識しているわたしがいる》ということを明らかにしていなければならない。
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- 雪中庵(@psytex)
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>《認識の無への還元》は 認識行為ではないのか と言う前に、「認識とは何か」を勉強してみましょう、 と言っているのだ。 日常生活で得られる情緒的な概念を先入化して、言葉の 上で戯れる事を、素朴唯物論という。
お礼
もうこれで最後としましょう。 ほとけごころがちと過ぎた。 ご回答をありがとう。