※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ひとの意志は モノに還元されるか?)
ひとの意志はモノに還元されるか?
ここでは 自然科学の知識を勝手にイメージとして捉え その情報にもとづき勝手に――それでも――人間と社会とにかんして考えようとするものです。
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まづ次が そのイメージをひろげた仮説です。
社会主体としての人間の・殊に《わたし》の力を想定し さらに四つの力を仮想してみる。もちろんまったくの空想です。
1.重力 :《 〈わたし〉 の社会的な力》
2.電磁相互作用 :《 〈わたし〉 の超現実》=《 幻想 〔としての意識〕》
3.強い相互作用 :《根源的な 〈わたし〉 》
4.弱い相互作用 :《とにかく〈わたし〉というもの》
これらの人間の力つまり 自己の基体である物質の運動についての意識としての人間の力は 物質としては広い意味の《光》が媒介するものである。
いまわかりやすいように そして基本的にもそうであるように 男と女に対する関係を例にとって考えるのがよい。
第二の《〈わたし〉の超現実》というのは いわゆる光が 視覚などによって起こす電磁相互作用としての力である。
男と女のあいだに 電磁場(電気的・磁力的な作用の場)が形成されるのである。これは 《幻想》的であり 幻想としての現実である。
幻想というのは 相互作用がはたらいても それはまだむしろ場の成立であって 何も起こっていないのに 何か起こったと錯覚したり さらには何か確かに作用が起こったときそれは 自分に都合のよいように別の作用が起こったのだと錯覚するか もしくは 何もまだ起こっていないのだと強引に主張するか そのような場合が 多いからである。
このとき これらは 特に意識しなくとも 第四の力の《とにかく〈わたし〉というもの》をとおして そしてそれは 光の仲間としてのウィークボソンによって媒介されるところの弱い相互作用となって まづは始められていたものであろう。つまり 後でそのような結果として捉えられるものであろう。(何でもないことのほうが 印象や影響が強かったりする場合がある)。
これら二つないし三つの力を要約すると 男と女とは それぞれ《とにかく〈わたし〉》をとおして まづ接触し 何らかのかたちで 《根源的な〈わたし〉》を意識し始め それぞれが《わたしの超現実》という場を夢見始めるに到る。
《根源的》というのは ここでは かの相手とのかかわりにおいてとにかくこのワタシという存在を意識し自覚し始めるといった事態を言っている。
《弱い相互作用――自由な電子が飛び廻ってのように――》において互いに接触し 《強い相互作用》を働かせる。(ただしまだ 事の始まりとして 互いの自己紹介の程度までではある)。そして次に《電磁相互作用》がはたらいたなら 相互認識の場あるいは付き合いの形が 成立する。
第三の《根源的な〈わたし〉》というのは さらに進めば自己の同一性にとどまろうとする――言いかえると この場合 相手を選ぼうとする――力であり いわば自己の凝縮というような自己確認の作用である。
これは 《糊の粒子(グルーオン)》とよばれるものによって媒介される強い相互作用に属する。もちろん 人それぞれにであり 単純に人それぞれにである限りにおいて人は 独立主観である。この意味で 根源的なと名づける。
以上これらの三つが 大きくは同じ場でむしろ同じ力の三態として はたらいている。独立主観が 孤立しているわけではなく 他の独立主観と 接触したり相互依存的であって 不都合はない。この力は 三態という範囲において もしくは 正負の向きなどを含めたいろんな関係のあり方として それを愛(つまり 愛情と嫌悪をふくむ)とよぶのにも 不都合はない。
最後に 第一の《〈わたし〉の社会的な――時には公共的な――力》が重力であり 表現として万有引力(?)である。
主体の社会的な意味での重さとは 意志のことであり これを同じく 愛(自治・自己経営)と呼ぶのに不都合はないであろう。
男女の関係としては その夫婦一組としての社会的な職務(つまり家族としてのふつうの社会生活)にかかわった力の問題にあたっている。
婚姻は 第二の電磁相互作用の場 これが 婚姻関係〔の場〕として新たに確立したときの力の過程である。それは 重力の作用つまり自由意志によるかと思われる。
婚姻に限らず 一般に人びとの連帯が成立するのは やはり 万有引力に比されるべき人間の意志によるのであって 或る主題の科学的な知解や 或る問題の解決へ向けての運動として考えられる。
けれども 個人の二角関係のうちの 男女の対(ツイ)関係における婚姻という結びつきは 四つの力が統一的にはたらいているかも知れない。
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1. 意志よりほかの・自然本性としてそなわる精神の能力――すなわち 記憶および知解――は あんがい生物物理学的なモノに還元されるのかも知れない。ひとの身(およびそこにおける意識)とそして自然および社会としての環界とは むしろ相互に通底しているかも知れない。
2. けれど 意志は 四つのチカラの内 ほかの三つの相互作用とは 或る意味で異質であることとかかわっているかのように 特殊である。と考えられる。
3. それは もし社会のいわゆるクウキやシガラミなどといった人間関係によってことごとく影響を受け ほとんどその内容に〔おのれの意志が〕従ったとしても そうだとしても この人間の意志というのは そのようにいやいや従ったのだいうことを知っているという特徴を持つ。からである。
4. このような自由意志の特徴というのは 一般に基本として 《ゆづる》という行為である。あるいは 関係として捉えて 《ゆづりあい》という社会行為である。
5. かんたんながら 以上を踏まえて言ってこう問います。
○ ひとの意志は モノに還元されるか?
なお仮説としてかかげた見方は 次の質問でもあつかいました。そこでのやり取りを参照していただけるかと思います。
【Q:《アース力》は 慈悲なるチカラだ。】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7834459.html
お礼
たとえであり空想ですよとことわった上では かなり自由に想像することができるように思います。もっとも自然科学は 素人同然なのですが。(これは へりくだりではありません)。 どろっぷよーくさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 1. ひとの身(およびそこにおける意識)とそして自然および社会としての環界とは むしろ相互に通底しているかも知れない。 → 人間に属するうちで、肉体を除くものは主に父母から引き継ぐ割合が多いので、私にはトレンドがそうだと思われます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《トレンド》というのは 世の中の思潮だとかファッションだとかの移り変わりのあり方でしょうか。いろんな変数の趨勢と われわれ人間とが言わば地続きであると。 つまりは 世の中のトレンドにかんする人間の意識は 単純にモノと連動しているのではないかと。 たぶん それでは ファッションならファッションのあたらしいものを生み出すのは ものごとの趨勢からか。それとも 多少はそれらから自由な人間の発想法によるものか。――これは 必ずしもはっきりとは分かりません。わたしには。 ここでも使うとすれば 世の中のトレンドぷらすアルファが 人間の発想力にはあるのかも知れない。――単純にこう思われたりしますが よくは分かりません。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2. 意志は 四つのチカラの内 ほかの三つの相互作用とは 或る意味で異質であることとかかわっている → 意志を四つの力のうちに定義しなかったのは、特殊の名にはずれている。弱い相互作用が意志です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そうですか。これこれこうだと言われると しっかりとした応答が出来なくなります。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 3. この人間の意志というのは そのようにいやいや従ったのだいうことを知っているという特徴を持つ → 自由ですから。 4. 《ゆづりあい》という社会行為である。 → 行いでそうであるし、内においても多分にそうでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここは賛成していただいたのですよね。 ただし ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ○ ひとの意志は モノに還元されるか? → 還元されます。影響を与えない意志は存在しません。弱い相互作用が重力と二つの相互作用を含有していると、私には思われます。言い方ですが。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ というご見解なのですね。 前身の質問への回答として 次のような見解が寄せられています。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ボクならば 重力:社会のオキテ、決まり、法律 電磁気力:他者への愛(その反対として《憎しみ》) 強い力:自己愛 弱い力:自己を変質する(自然な)力 としますかね。 社会のオキテは、重力のように、その働く範囲は広い。経験的には重力は非常に強い力のように思われるが、・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ うんぬんと続きます。 こういった見解の寄せ合いをつうじて 何らかの発見や互いの考えが深められて行くならさいわいに思います。 保留しつつ反芻したりします。