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素朴唯物論って何ですか?
素朴唯物論って何ですか? 分かっていると思っていましたが 分からなくなりました。何でしょうか? むしろ ふつうに・そのまま世界を見ており認識しようとしている。という内容のように思われます。いったい何でしょう?
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素朴唯物論:人間というのは素朴な状態なままだと、自分が肉眼で感じられた内容をそのまま存在すると信じ、反対に、見えないものは存在していないと思い込む傾向がある。
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- 雪中庵(@psytex)
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日常生活の範囲で得られる、限られた時間、限られた 空間、限定された感覚、限定された現象階層などを、 先入化した認識。 物理的な知見(階層現象性、量子的不確定etc.)や グローバルな見識を前提とせず、そうした事実に 反する我流の思い込みに流される。
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こんばんは。ご回答をありがとうございます。 とにもかくにも ○ 素朴 ☆ なんですよね? 何も余計な手を加えない。 だったら 見たまま聞いたまま感じたままを 知覚内容としその概念化したものを認識とする。これが 《素朴な経験としての認識》なのではないかと まづ思われます。 しかしながら 《素朴》が素朴を超えているような内容をすでに言っているのでしょうか。 ★ 先入化した認識 ☆ 先入化という言葉も分かりにくいのですが 《素朴な経験をつうじて認識する》というのにどうしてこの《先入化》がからむのでしょう? つまり: ★ 物理的な知見(階層現象性、量子的不確定etc.)やグローバルな見識を前提とせず、 ☆ というのは 《素朴な経験的認識》です。けれども ★ そうした事実に反する我流の思い込みに流される。 ☆ というのは どうしてそんなことが生じて来るのか? 言いかえると 素朴な経験的な認識を 余計な見方や考え方によって加工してしまい 学問的な知見とは違った内容を真だと思い込んだり あるいは 学問的な知見と同じ内容を認識していてもその経験知を すでにその内容があたかも絶対的な命題であると信じ込んでしまったりするなら それは素朴ではなく《我流の思い込み》である。 ということではないのですか? ★ 日常生活の範囲で得られる、限られた時間、限られた空間、限定された感覚、限定された現象階層などを ☆ 素朴にそのまま知覚しまた概念化して認識する。この認識に どうしてつねに《先入化》が入ると見るのか? 先入化が入らない認識を 素朴と言うのではないか? こういった疑問が離れません。どうでしょう? あるいは 命名の分かりにくさという問題でしょうか。
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 そうなんですか。 つまり《傾向》を特には言うのですね? ★ 自分が肉眼で感じられた内容をそのまま存在すると信じ、反対に、見えないものは存在していないと思い込む傾向 ☆ 《信じたり思い込んだりする》というそういう派生する事態が取り上げられていたんですか。 つまりわたしが思っていたことは ★ 人間というのは素朴な状態なままだと、自分が肉眼で感じられた内容 ☆ をそのまま知覚内容として受け留め その知覚内容をさらに概念として理性が認識する。という単純な《感性と理性のハタラキとその結果》のことだと思ったわけでした。 でも お言葉を返すようですが ★ 人間というのは素朴な状態なままだと、 ☆ 知覚内容についてその知覚したものごとは そのまま存在すると《信じる》傾向があるのでしょうか? 《知覚していないものごとは 存在していない》と信じるくせがあるのでしょうか? これについては 半信半疑ですね。 つまり 《見ていないものは 見ていない》と言うことはあるし 《見たものは見たんだから 事実である》と言い張ることもあると思うのですが その存在が無いとか有るとかを《信じる》というまでになるとは 半分しか信じられないのですが わたしだけでしょうか。 もう少しみなさんの意見を聞きたいと思います。ありがとうございます。